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開院1周年2007年05月11日 20時12分50秒

開院して1周年になったら、あれやこれやを書こうと思っていましたが、そんなことはどうでも良くなってしまいました。
開院1周年は3日前の5月8日です。
1年前のその日には27人の患者さんが来てくれたんですよねえ。初日に受診するなんて、勇気が要ったでしょう。
一番目に受診したお子さんは今でもよくクリニックにやって来ます。嬉しいです。
噂とは恐ろしいもので、その翌日には、「良いクリニックができたと聞いて来た、どこへ行っても治らない」というママが現れました。
いつ、どこで、どんな噂を聞いたのでしょう??さっぱり分かりません。
僕が、近所にある「みつわ台クリニック」の院長の息子という噂が流れたとも聞きました。
わはは。違います。
この一年間の統計みたいなものを出そうかなとも思いましたが、まあ、大学では無いので意味は無いですよね。

僕は1年前に書いたように普通の医療を行なうだけです。
抱負も無ければ、大見得を切ることもありません。
今日、お見えになった子どもは高熱が連日続いて、僕のクリニックが3軒目の受診です。「発熱」とは何かということを、医学部の学生に授業するように説明しました。けっこう時間がかかりましたが、それが僕の仕事です。
僕から処方は特にありません。ムンテラ(言葉による治療=説明)だけ、しっかり行ないました。

祝!開業。めいわこどもクリニック2007年05月12日 15時28分43秒

四街道のめいわに、僕の同級生の青柳先生が開院しました。
めいわこどもクリニックです。今日はその内覧会だったので、さっそく家内と行って来ました。
めいわというのはこじんまりとしたきれいな街並ですね。その中に、きれいなクリニックが立っていました。
青柳先生と言えば、長年、下志津病院で喘息治療の最前線にいた先生です。僕みたいながらっぱちなドクターでは無く、優しい先生ですよ。良かったですね、めいわの子ども達。青柳先生がいつでも診察してくれるので安心ですよ。
僕も難しい喘息のお子さんは、これまで下志津の青柳先生に電話していましたが、これからもめいわこどもクリニックに電話して色々、教えてもらいましょう。開業仲間が増えるということは、それだけ僕の財産が増えるということです。何でも相談できる先生がまた1人増えて、僕は心強い限りです。

柳澤桂子先生2007年05月13日 20時49分06秒

昨日の夕方から、柳澤桂子先生の本を4冊、読みました。
先日、歌舞伎町で新聞記者の友人と編集者の方と3人で飲んだ時に、柳澤先生の話しが出たからです。
柳澤先生がどういうキャリアを持ち、どういった経験をなされて来たかは、これまで色々な書物の断片で何となく知っていました。しかし、先生ご自身の本を読むのは初めてです。
これはちょっと深く考え込んでしまいました。
「幸せは不幸の極みにある」という言葉は先生にしか表現できない言葉でしょう。
そこまでの心境に到達した先生のお考えをご立派だと思うと同時に、何と切ないのだと思ってしまいます。
僕が感じたことはたくさんありますので、今後、折に触れて書いて行きましょう。

『二重らんせんの私』にコメント2007年05月14日 20時52分15秒

昨日の続きです。
柳澤桂子先生の『二重らせんの私』には、筆者がコロンビア大学で博士号を取得するまでの歩みが書かれています。
これを読んでも一般の方々には、柳澤先生の素晴らしさはよく理解できないでしょう。なんとなく凄いということは分かると思いますが、それが具体的にどの程度すごいのかは、遠い世界の業界の話しですから実感するのは難しいでしょう。
本を読んで、僕が感じたのはアメリカの大学院生がなんとよく勉強するかということです。日本の大学院生とは比べ物になりません。日本でも理学部や工学部は別なのかもしれませんが、僕の知る限りの医学部の大学院生とはまるで次元が違います。
これはおそらく、大学院生に限らず高等教育を受ける学生の質の高さが日米で全然違うのでしょう。
我が母校、千葉大学医学部ではここ最近、授業内容を学生が評価するようなことを行なっています。僕も学生からずいぶんと評価を受けたものです。
しかし、これは笑止千万です。先日、朝日新聞にも載っていましたが、講義で後ろの方に座る学生ほど、授業や講師に対して低い評価を付けるという調査結果があるそうです。
簡単に言えば、やる気の無い学生ほど文句を言うということです。
しかし実は、こういった記事が新聞に載らなくとも、そんなことは僕ら教員はみんな知っていました。
しかし、教える側も反省しなくてはなりません。学生が理解できなければ、それは教官が悪いとアメリカではなるのです。この考え方が通用している最大の理由は、学生は全員が勉強熱心だと言う大前提があるからです。
柳澤先生が留学したころの時代背景を考えると、おそらく柳澤先生の知的アクティビティーの高さは、その当時の日本人でほとんどトップだったのでは無いでしょうか。遺伝子の暗号解読の会議で、柳澤先生がニーレンバーグとオチョアに挟まれて座っていて、2人が激しい議論をしたなんていう記述を読むと、肌がぞぞっとします。
同期の中で最初に博士号を習得して柳澤先生は仲間の学生たちと喜びを爆発させますが、分かります、その気持ち。それだけの難関を突破したのですから。ここまでの知的ハードワークをした日本人を、僕はこれまでに知り合った人間の中ではほとんど見たことがありません。
素晴らしいアクティビティーです。

『認められぬ病』にコメント2007年05月15日 22時08分10秒

昨日の続きです。柳澤桂子先生は、研究者としてピークの時に病に倒れます。
この病気が「認められぬ病」なんですね。嘔吐、腹痛、めまい、しびれ、痛みが起こり、先生は長期の入院を繰り返し職を失います。30年以上におよぶこの病は、先生を寝たきりの状態にします。
この間、先生はいくつもの大(学)病院を受診、入院、手術、投薬を受けますが、ほとんど改善は見られません。
何よりも先生を苦しめたのは、医療の側が先生の病気を認めようとせず、先生本人の気持ちや人格のせいにしたことです。
しかし、医学というものを否定しない柳澤先生の優しさ。
僕にはとても真似はできません。
この本は多くの医者に読んでもらいたいと僕は思いますが、もう少し書き込んで欲しい部分もあります。病院の名称や医師の名前などがすべて仮名になっていますが、こういった配慮は必要ないと思います。
特に国立大学病院の医師は税金で給与を得ている訳ですから、「正当な批判」であれば甘んじて受けなければなりません。
また、サブタイトルが「現代医療への根源的問い」となっていますが、もっともっと深く「根源的」に現代医療を分析あるいは批判して頂きたかったです。
まだまだ、あれでは足りないと思いました。
なお、この本では触れられていませんが、その後、先生は「周期性ACTH-ADH放出症候群」と診断されたそうです。
今、僕がこんなことを言うのは先生には余計なことなのかもしれませんが、本書を読んでいる途中で、僕はすぐにこの病気ではないかと思ってしまいました。
時代が違うから先生の場合は診断がつかなかったのでしょうか。
それとも単に僕がこの病気を見たことがあるだけの問題なのでしょうか。

人生の絶頂期に、病によってどん底まで突き落とされて、それでも新しいものが見える先生の生き方には心が大きく揺さぶられます。
僕はまだまだ人間として修行が足りません。おそらく様々な「欲」にとらわれているのでしょう。
明日からまた、人生を学びましょう。

今日は大学2007年05月16日 20時33分17秒

今日は大学病院で診療を行なって来ました。
小児外科の卒業生を診る外来ですが、この外来に終わりはありません。この子たちの人生を診る外来です。
小児外科の世界では「キャリーオーバー」という言葉があり、これは「持ち越し」という意味です。15歳を越えても問題点が消える訳では無いので診て行こうという合い言葉です。
しかし、これが多くの場合、本当に単なる合い言葉に終わっているんでね。
成人に到達した彼ら、彼女らをきちんと診て行かなくてはなりません。しかし、正直言うと、思春期・成人期に抱えている問題点って小児外科医にはなかなか解決できないのです。
そうなると他の科との連携が当然必要になって来るのですが、そうなるといつの間にか、小児外科医の手を離れていってしまいます。
ここが難しい。
『長期フォローアップ外来』というのは、もしかしたら、まだ完成していない未知なる外来なのかもしれません。

『小児外科』が無くなる日2007年05月17日 20時53分58秒

小児外科とは一体何でしょうか。
このテーマについては昔から小児外科学会で盛んに論じられて来ました。
ある人は、こう言います。小児外科とは、まず、なんと言っても外科医である。そして、専門を「小児」とした外科医であり、「一般外科医」の上に立つ外科医であると。
また、ある人はこう言います。大人の医療に内科と外科があるように、小児医療にも「小児(内)科」と「小児外科」がある。小児医療は小児科医と小児外科医が柱となって支えていると。
要するに、「外科医」なのか、「小児医療医」なのか、この議論はいまだ決着を見ていません。
「子どもは大人のミニチュアではない」という決まり文句は、小児外科を説明する時によく使われる言葉です。この言葉は考えてみれば、小児科医にとっては常識でしょう。ところが、小児外科の世界では敢えてこの言葉を持ち出さなければなりません。やはり、小児外科とは「外科医」なのでしょうか。
日本小児外科学会のHPを見てみると、元・理事だった津川力先生は、「ある意味、小児は大人のミニチュアである」と述べています。成人外科の手術をたくさん、行なうことが小児外科医として上達するために大事であると書いています。津川先生は、小児外科医に小児科の研修は必要ないとも以前に述べていたように思います。小児外科医は外科医であるという意見の最右翼でしょう。
しかし、別の意見もあります。
小児外科医とは何かという議論とは少しずれるかもしれませんが、小児外科医の歩むべき将来の道を考えた場合、小児医療の開業医も一つの選択とする意見です。
大阪大学の前教授・岡田正先生は、小児外科の専門医の取得にあたり、小児科専門医の資格を何らかの形でリンクさせることを、小児科学会との間で話し合うことを提案なされていました。
この考え方の根底にあるスタンスは、小児外科医は小児医療の担い手であるとの認識です。
現実はどういう方向に向かっているのでしょうか。
外科系専門医制度が成熟して行く中で、小児外科医は一般外科医の上に立つ専門家(サブスペシャルティー)であるとのスタンスを自らとり始めました。
二階建ての二階部分に小児外科医はいる訳です。
「心臓外科医」や、「呼吸器外科医」も同様な立場です。一応、「消化器外科医」も同じ立場ですが、実はこのあたりに矛盾があって、以前は「消化器外科医」=「一般外科医」であったのです。
それが現在、「消化器外科医」は「小児外科医」と同様に専門家の扱いになりました。
その一方で、脳神経外科医はこのシステムに乗っていません。
二階建ての上とか下とかそういうところにはいないのです。別のカテゴリーとして独立しているのです。
小児外科は二階建ての上に乗ることによって、外科の中の専門分野に存在するということを自己定義したことになります。
最近、小児外科専門医の更新にあたっては、ある一定数の手術をこなさなければならないとの案が浮上しています。
この考え方は、小児外科医が外科医であることの自己同一性をますます強めた考え方です。
こういった方向に向かうのでしょうか。

昨日の朝日新聞の夕刊には驚くべき記事が載っていました。
診療科名をシンプルにするとの案が厚生労働省から提起されており、それによると現在38ある診療科名を19に削減するそうです。
「小児外科」は廃止される方向で検討されています。
「心臓外科」や「呼吸器外科」などの二階部分は、外科の一分野ですから、すべて廃止されます。
独立したカテゴリーの「脳神経外科」は存続します。
千葉大学病院から近い将来、「小児外科」という看板が消えてしまうのでしょうか。

小児外科とは何かということを、ここでもう一度、学会の首脳陣(理事会)は考えるべきです。
もしかしたら、会員全員の合意を得られないかもしれません。
小児外科学会は解散して、外科医は日本外科学会に合流し、小児医療医は日本小児科学会に合流するか、新しい学会を作って純然たる外科医と決別するのが正しい選択なのかも知れません。
僕自身の結論はまだありませんが、小児外科学会の首脳陣や名誉会員の先生たちがどのようにお考えなのか、時間無制限でお伺いしてみたいものです。

医師の数は足りている2007年05月18日 21時06分47秒

医師不足解消のために政府・与党協議会はいろいろと対策を練っているようです。
しかし、新聞を読んでいるとここでも彼らは問題の本質をさっぱり分かっていません。
医師の数は足りています。
足りないのはポスト(就業枠)です。
医師の激務を解消する手段は簡単です。もう一人、医師を多く雇えば良いだけの話しです。ところが、この話しはタブーなのですね。余計にお金がかかるような改革は絶対に行なわれません。
考えても見て下さい。一つの病院に小児科医が7人雇われたとして、彼ら7人で当直を回すと1週間に1度は当直を行なわなければなりません。
医療行為という一歩間違えると生命に直結して、訴訟にもなりかねないこの仕事を眠らないで徹夜でこなすのですよ。
ましてや、7人も医師のいない病院では1週間に2回以上徹夜をしなくてはなりません。
一般のサラリーマンの皆さんに聞きたい。
こんな過酷な仕事をしたことがありますか?
これが40歳になっても50歳になっても続くんですよ。
ですから、もう一つ、ポストを作りなさい。
それから、ベッド占床(稼働)率なんていう訳の分からない「経済の論理」を小児医療に持ち込まないでもらいたい。
こんなものは、小児医療の「し」の字も分かっていない人間の考えることです。肺炎の子どもが明日、予定入院するのですか??
こういったことを最初に問題にした千葉大病院の病院長って一体誰なんですかね。お勉強がたりません。しかし、今やもうこの流れを止めることはできません。
ベッド占床率が100%になって良いのですか?
かつて、小児外科のベッドが100%になった時に、大学病院の事務員の女性が出産して、産まれたお子さんが未熟児だったことがありました。
その子は受け入れ病院が千葉県内にどこにもなくて、神奈川まで搬送されました。満床になるってこういうことです。
大学病院なんて「医員」という日雇い労働の身分の医者が、搾取されながら過労死寸前まで必死になって働いています。良いポストがあれば、彼らはどんどん就職していきますよ。
地方に医師がいなくなったのは、これまでさんざん色々な方が指摘している通り、卒後臨床研修医制度を国が作ったからです。
この制度をやめれば、翌日から解決します。
国は医局と対決して一体、何を得ようとしているのでしょうか?

厚労省は、診療科の数を削ることといい、国民・患者にとって何にも良いことをしません。クニガキチント、やらなければいけないことがたくさんあります。
がんばれ、政府・与党・厚労省。
僕のブログを読んで勉強して下さい。

ちょっと疲れ気味2007年05月19日 21時02分21秒

今日は朝から力が湧いて来ませんでした。
風邪気味なのか、疲れがたまっているのか、何だか声が出ません。ちょぼちょぼ喋りながら患者さんに説明しました。
昨年の秋から今年の冬まで1日あたり60〜70人の患者さんがお見えになっています(インフルエンザの予防接種は計算外)。
ところが、5月になって1日平均80人のかたがお見えです。
なぜでしょう。冬よりも混んでいるなんて。
いずれにしても最近はちょっと自分の時間が減って来ました。文献を読む時間や文章を書く時間が減っています。
読書はこれまで通り可能なのですが、夜はぐっすりと深い眠りに落ちてしまいます。やはり疲れがたまっているのでしょうか。
日本外科学会が専門医の更新に手術を年間100例必須と決定したことや、小児外科が標榜科から消える可能性が報道されるなど、心労が増すようなニュースも原因でしょうか。
明日はゆっくり休んでリフレッシュしましょう。

新書ブーム?ですか?2007年05月20日 20時20分36秒

本屋さんに行くと新刊本コーナーに、新しく出た新書がたくさん、おいてあります。
最近は新書ブームなのでしょうか。次から次へと出版されているような印象です。
ただ、その質はどうなんでしょうか?
同じ作者が以前に書いた本と一部内容がダブルようなものとか、これって一体誰が読むの?というような余りにも専門的な本まで、色々です。
経済的に成り立つことと、良書を世に出すことを両立させなければならないので、出版社も大変ですよね。
今日は2冊の本を交互に読んでいますが、こういう時って、あまりその本が面白く無いときなんですよね。
面白い本を読んだら、また報告しますね。