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謹賀新年2024年01月01日 09時47分31秒

新春を寿ぎ謹んで新年のお慶びを申し上げます。
今年の夢。
全世界から戦争がなく、飢えがないこと。

2024年の目標。
1. 善き医療を目指し、成し遂げる。
2. 本を4冊以上書く。
3. 友人と呑みに出かける。

みなさんにとりましても素晴らしい1年であることを心から祈っています。

みなさまへのお礼2023年12月03日 21時11分19秒

ふと気がつけば、このブログへのアクセス数が100万回を超えていました。

最初に書いたのは、2006年4月11日。
あれから、4068本の原稿を書きました。

ま、おそらく100万字以上は書いているでしょう。

今から17年前。開業のときは、ワクワク感もありましたが、それまでの人間関係が消えてしまい、本当に寂しい思いをしました。
孤独の中にいました。

そのときに、世界とのつながりをもう一度持つことができたのは、このブログのおかげです。
ぼくは「書く」ことによって、自分を取り戻し、また、新しい世界を切り開くことができました。

このブログはぼくにとって恩人です。そして延べ100万人の皆様には感謝しかありません。
これからもときどき覗いてみてください。

執筆活動、続けます2023年10月20日 22時53分23秒

クリニックは相変わらず混雑しています。開業して18年目になりますが、こんなに患者が多い年は初めてです。
コロナ禍の影響で、あらゆる感染症が増えているからでしょう。
うちの近隣のクリニックは予約制をとっている所が多く、一定の人数で患者さんを制限しています。
すると、そうした患者さんが大挙してうちにやってくるという具合です。

医者は患者を診ることが基本なので、ぼくは可能な限り診ていますが、スタッフの負担は相当重く、時間をうまくやりくりする工夫が必要な状況です。
午前中に患者さんが殺到した場合、これ以上無理という場合は午後に来ていただくことになると思います。
かと言って、朝からあまり行列を作らないでくださいね。

はっきり言ってぼくも疲れていますが、人生の後半戦になり、ぼくは時間を無駄にしたくありません。
晩酌をするとか、書斎のソファでごろりと横になるとか、そういう時間の使い方をする余裕はありません。
ぼくの頭がシャープなのは、あと15年くらいでしょう。
それまでは(医療の)勉強もするし、本の執筆活動も続けるつもりです。
休んでいる暇なんかありません。

2023年は、3冊本が出ました(出ます)。
『患者が知らない開業医の本音』(新潮新書)
『1文が書ければ2000字の文章は書ける』(日本実業出版社)
『発達障害に生まれて』(中公文庫)10月24日発売開始。

2024年も3冊の出版が決まっています。
『開業医のリアル(仮)』(中公ラクレ)2024年2月
『奇跡の子(仮)』(新潮新書)2024年3月
『患者が医師に聞きたい30のこと(仮)』(三笠書房)2024年夏

ぼくは開業医として医師を続けないと執筆はできなし、執筆をやめたら医師も続けられなくなると思っています。
いつかクリニックを閉じるときがきますが、そのときは一気に老け込んでしまうような気がします。
ぼくは多分、休むということができない人間なんだと思います。

一生懸命働いて、一生懸命書こうと心に決めています。

お盆休み2023年08月14日 19時13分30秒

全国100人のぼくのブログのファンのみなさん。
お休みをいただき、ありがとうございます。
4月中旬から7月下旬まで、クリニックは異常に混雑しましたが、8月になって少し落ち着いたようです。
お盆休みを取りましたが、困っている患者さんはそれほど(うちのかかりつけには)いないと思います。

この休みの期間、ぼくは毎日原稿を書いています。

5年前に『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』という本を出しました。ノンフィクションとしてはかなり多くの方に読まれました。
今でも読まれています。
それなりに単行本がヒットすると、文庫化されるのですが、この本は売れ行きが落ちないために文庫化が遅れていました。
今回、ぼくの希望もあり、文庫化が決定しました。
その後の5年を加筆して、10月に中公文庫として発売されます。単行本もそのまま販売されます。

2024年1月には『開業医の正体(仮)』という本を中公ラクレから新書本として出します。
今年の1月に出した『患者が知らない開業医の本音』という本は、ぼくがクリニックを作った舞台裏のような内容でした。
今度の作品は、業界の内幕を書いています。そんな露悪的なものではりません。
いわゆる暴露本ではなく、開業医がどういうことを患者に伝えたいか、裏事情を説明しながら述べていくというスタイルです。
実は、原稿はとっくの昔に書き終えています。
ま、出版の時期を検討していたという感じです。

現在、書いている原稿は、東京に住むある家族の物語です。
お子さんは18トリソミー。重い病気をたくさん抱えて生まれてきました。
ここまで重いと家族も医者も諦めてしまうかもしれません。
でもこのご家族は諦めませんでした。
その愛情の深さ、家族の形を本にしたいと思っています。
完成までもう少しかかりそうですが、いい本ができる予感があります。

やはり本を書くという行為は、自分の世界を広げることにつながりますね。
知らない世界を書くので。
医者だけやっていると、知識が偏るんですよね。
だから本を書くことは、これからもずっと続けたいです。

大宅賞予備選考委員を辞する2023年06月13日 21時06分45秒

日本一のノンフィクション賞といえば、間違いなく大宅壮一ノンフィクション賞でしょう。
ぼくは5年以上前から大宅賞の予備選考委員を務めていました。

予備選考員の仕事は、その年のノンフィクション作品を可能なかぎりたくさん読む。
日本文学振興会が挙げてくる書籍は130くらいありますので、100くらいは読みます。

そして1〜5作を候補作として事務局に提出します。
ぼくのような予備選考委員が何人いるのか知りませんが、ここで最終候補5作が決まります。
最終選考委員は5名で、その人たちが受賞作を決めます。ま、そういう流れです。

今年度をもってぼくは選考委員を辞しました。
理由はいくつかあります。

1 まず古典を読む時間がまったく取れないこと。どうしてもその年のノンフィクションばかりを読みますからね。

2 書き手は大宅賞を2回取れないので、大宅賞作家の新刊が出ても手に取るのに躊躇が生まれる。やはり時間が足りないので。

3 毎年、事務局から送られてくるリストを見ると、大半は読んでいますが、中には全然聞いたこともない本があります。慌ててそういった本を読むのですが、やはりぼくの知らない本は、かなり高い確率でまったくおもしろくない。
貴重な読書の時間を無駄にしたと思ってしまう。

4 自分の目が確かか疑問がある。年によっては、ぼくの挙げた候補作が最終候補作にズラリと並びます。しかし別の年では、ぼくが圧倒的1位に推した作品が、事務局の130くらいのリストにも入っていないことがあります。これってぼくの独りよがり?

ま、もう5年以上やったし、血は入れ替えた方がいいので、今年度で辞めることにしました。
貴重な体験をさせていただき、感謝しかありません。

時間が足りない2023年05月18日 23時06分29秒

全国100人の、ぼくのブログファンのみなさま。
なかなかブログが更新できなくてすみません。
とにかく忙しい。時間が足りません。
まずクリニックが昨年の8月からずっと混雑しています。
なぜ、こんなに患者さんが多いのか分かりませんが、とにかく多いのです。
17時30分に受付を終了しますが、その時刻で診療が終わることはありません。
帰宅も遅くなりますし、帰宅するとやるべきことが山ほどあります。

今年の1月に新潮新書から『患者が知らない開業医の本音』を出しました。これはもうかなり落ち着いています。
7月には日本実業出版社から『1文が書ければ2000字の文章は書ける』という文章術の本を出します。
現在、この原稿のゲラ直しをしています。
5年前に上梓した『発達障害に生まれて』(中央公論)が、9月に文庫化されます。
そのため、現在、加筆をしています。
12月には同社から開業医のリアルをメッセージとして伝える本を出します。原稿はすでに提出してあり、今後直しが入ります。

そしてもう一つ。現在、あるご家族に長時間のインタビューをお願いしています。難病の子のお話です。
これはまだ1行も原稿を書いていませんが、インタビューの準備が大変なのです。
まだ出版社は決まっていませんが、2024年には形にしたいです。

そんなわけで、帰宅して机に向かっているとあっという間に24時になってしまいます。
肩の力を抜いた原稿を書ける余裕ができたら、またお付き合いください。

パーキンソンの法則2023年04月01日 22時27分47秒

パーキンソンの法則って知っていますか?
1 仕事は、利用可能な時間をすべて満たすように拡大していく。
2 支出の額は、収入の額に達するまで膨張していく。
大学病院の医者の雑務はまさに1番ですね。

みんな野球小僧だった2023年03月22日 20時15分10秒

家族でWBCをテレビで観ました。
すると次女(20)が野球のルールを全く知らないのでちょっと驚きました。
ストライクも知りませんでした。
まあ、それは当然かもしれません。
今の子どもたちには、「野球をやる」という娯楽が存在しません。
テレビ中継もなくなってしまいました。
娯楽自体が多様化したし、スポーツそのものも多様化しました。

ぼくが小学生の頃、みんなでやる娯楽といえば野球でした。
昭和40年代の東京都にぼくは育ちましたが、東京といっても山手線の外側は全くの田舎で、ぼくの住んでいた地域にも、畑とか川とか森とかがありました。
そして「原っぱ」がありました。
今にして思うとあの「原っぱ」は誰の所有地だったのかな?
とにかくだだっぴろい「原っぱ」がいくつもありました。

そういう場所を(もちろん無断で)使って野球をやるんですね。
小学生の3〜4年の頃が一番多かったかな。週末が近づくと、隣りのクラスの男子たちがやってきて、試合を申し込まれるんです。
で、うちのクラスは野球をやりたい「野球小僧」を9人揃えるんですね。
すぐに集まりますよ、みんな野球小僧でしたから。
夢中になってやりました。

テレビだってスポーツ中継といえば野球だけです。
(東京12チャンネルに『ダイヤモンド・サッカー』というのは一応あった)
だから男子で野球のルールを知らないなんてあり得ません。
女子も家族のテレビ観戦に付き合わされるので、ルールを覚えてしまいます。
うちの妻もちゃんとルールを知っていますよ。
そういう時代です。

今回のWBCを見ていて感じますが、野球は世界レベルでみればまだまだマイナーな競技です。
参加国も少ないし、一次リーグのレベルはかなり低かった。
WBC が、世界規模の人気の原動力になってくれればいいのですが、それはアメリカ次第でしょう。
今回の大会も有力な投手はみんな出場辞退です。これではちょっと・・・。
やはり公式リーグ戦が優先されているのは間違いありません。
これはアメリカにとって大きな課題ですね。

さて、野球小僧だったぼくは今でも野球が大好きです。
野球って日本人のメンタリティーによく合うんじゃないかな。
団体競技であると同時に、ピッチャーとバッターの1対1の対決でもありますよね。
今日はまさにそれで、大谷翔平とマイク・トラウトの真剣勝負には本当に痺れました。
このシナリオは誰が書いたんでしょうね(笑)。
野球の神様しかいませんね。

生きることの意味2022年12月31日 22時53分08秒

生きることの意味
人はなんのために生きるのか? 
それは、より善く生きるために生きるのではないでしょうか。
ぼくは人として欠点の多い人間で、他人を赦す能力に乏しかったり、最も親しい人に愛情をうまく伝えられなかったり、(大学時代ですが)後輩に対して思いやりのある言葉を発せられなかったりしました。

しかしどこか善の部分もあります。
患者に対してひたすら真面目に精一杯治療を行ってきた35年間に偽りはなく、責任感とか使命感は揺るがずに持っていました。
つまり自分の心の中には、善の部分と、そうでない部分が混ざっています。
より善く生きるとは、善の部分を膨らませ、育て上げて、自己実現をはかっていくことでしょう。

開業医という仕事は、なかなか自分を成長させられません。
大学時代の貯金を切り崩して診療を行っているようなものです。
ぼくが開業医になって本当に勉強した分野は「喘息」と「発達障害」だけかもしれません。
ただ、たとえ風邪を診るだけでも、家族からすればありがたいことかもしれないので、医療という労働によって、ぼくはわずかでも日々自己実現している可能性があります。

本を書くことになったのは、今から14年前で、これまでに14冊の本を作りました。
それぞれの本に思い入れがあり、書くたびに学びがありました。
特に障害児医療をめぐる医師の使命と倫理については、本を書くことで初めて目が開かれるような思いをしました。
執筆を通じて、自分がより善く生きることができるようになったのは間違いなく、この活動はこれからも続けていきたいと思っています。

「売れる本」を書くつもりはありません。書けないし。「善き本」を書きたい。
そうして自分の中の善の部分を拡大し、生きる意味を再確認したいと思っています。
若い頃のエネルギーはもうないけれど、残りの人生の中で今日が一番若い日です。
挑戦をやめることはしません。

学びは「多様」の中にある2022年12月29日 08時07分31秒

世の中って多様だなと意識したのは小学生の頃です。いや、正確に言うと世間から多様性が消えて初めて気づいたと言えるでしょう。
昭和40年代の東京下町では、塾や習い事に行く子どもなどはいなくて、学校が終われば近所の子どもたちが10数名集まって、完全に日が暮れるまで遊んだものです。
「缶蹴り」とか「馬跳び」とか。

この遊び仲間にYちゃんという子がいました。
年齢はぼくより3−4歳上。
軽度の難聴があった。
そして発語が不明瞭だった。
難聴があればうまく喋れないと、当時のぼくにも理解できましたが、Yちゃんの場合は、その点を際し引いても若干、知的障害があったようにぼくには見えました。
けれどもYちゃんはぼくらにとっては仲間であり、決していじめられたり、さげすまれたりすることはありませんでした。

学校にはH君がいました。
いつもニコニコして、すこし天然パーマで。
彼は明らかに軽度の知的障害でした。
級友から、時にからかわれることもありましたが、そういう時は彼は反撃しますので、最終的にはいじめられるところまではいかず、ある種の人気があって、いつも人の輪に中にいました。

いつしか、「路地裏」とか「地域コミュニティー」とかは消え、障害児はどこにも見当たらなくなってしまいました。
1979年は養護学校が義務化された年ですが、この年にぼくは、今でも忘れられない強烈なNHKドラマを見ています。
城山三郎原作の「素直な戦士たち」という作品です。
東大合格を悲願とした小学生の強烈な受験戦争がテーマでした。

こうした受験戦争は、同じ年に「共通一次試験」という形で具現化します。
全国100数十万人の子どもたちが、一つの尺度で評価されるようになった訳ですね。
その後、マイナーチェンジはあったものの、日本人は「単一」であることを好み、「多様性」を大事にしない道を歩んでいます。

日本は「単一民族国家」と発言して大臣を辞めた政治家も以前にいました。
もちろん、北海道や東北地方にはアイヌ民族が存在します。
沖縄の人たちにも特有な文化があります。
在日朝鮮韓国人は約40万人いますが、これは、日本がかつて朝鮮半島を植民地支配したための結果であり、戦後70年が経った今、彼ら彼女らに帰る国はなく、日本が故郷ということになります。

障害をもっている人。そうでない人。
民族が同じ人。そうでない人。
学歴が高い人。そうでない人。
人間性が豊かな人。そうでない人。
多様な社会でしか、私たちは何かを学ぶということはできません。
日本人1億人が全部同じ人間だったら、日本民族は何も学ぶことができず、民族として衰退し、滅亡してしまうでしょう。
だから「多様である」ことは尊いし、美しいと思います。
「異なっていることこそ正常」(ヴァイツゼッカー大統領の言葉)なのです。