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ルポ 宗教と子ども――見過ごされてきた児童虐待(毎日新聞取材班)2024年03月03日 19時15分48秒

ルポ 宗教と子ども――見過ごされてきた児童虐待(毎日新聞取材班)
安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、宗教の抱える負の面が報道されるようになりました。
報道にはいろいろな切り口がありましたが、いわゆる宗教二世の問題が重い課題として社会に突きつけられました。
特に、旧統一教会とエホバの証人の問題ですね。
信仰の自由は誰もおかすことができない大切な原則です。
ですが、子どもを巻き込むことはどうなのでしょうか?

宗教というものは、他人を巻き込むように、それ自体がそういう性質を持っています。
神の福音を知ると、それを自分の大切な人に伝えたくなるのですね。つまり、伝道です。
そうすると、自然な流れとして自分の子どもに同じ宗教を持たせようと親は考えます。
信仰は自由と言いましたが、自己判断できない子どもは不自由を強いられるわけです。
ここに宗教二世のつらさがあります。

大人は自己判断として厳しく身を律することもあっていいでしょう。
しかし、子どもは身も心も育っていく過程にあるわけですから、一つの価値観に縛り付けられることには大きな問題があります。
小児医療には、「親は子どもの最善の利益の代弁者」という言葉がありますが、信仰が昂じると、子どもの利益は親から奪われることになります。

こういう状態を児童虐待と言いますが、宗教にそれを当てはめていいのかは非常に難しい面があります。
しかしながら、厚労省は2022年に宗教における子どもへの不適切な扱いを虐待の一類型であるという指針を示しました。
国がそこまで踏み込むとは思っていませんでしたので、ぼくとしてはかなり驚きました。

本書は、サブタイトルに「児童虐待」という言葉を入れ、この難しい問題に対して、子どもの権利を守る立場で書かれています。
執筆は毎日新聞の取材班が共同で行なっており、それがいい形になっています。
個々の記者が、どういう問題意識を持ちながら、どのように調査報道をやっていこうとするかという舞台裏にも触れています。
けっしてその部分が出過ぎておらず、ジャーナリストが何を考えていたのかが、本全体の中でいいバランスで描かれています。

本書の終盤近くまでは、旧統一教会やエホバの証人のことがメインでしたが、最後になってオウム真理教のことが出てきます。
いくら何でも、前ニ者とオウムでは違いすぎるのはと一瞬思いましたが、本質的にやはり通じるものがあるんですよね。
宗教って教義を突き詰めて究極までいくとオウムみたいになる危険性が含まれているのかもしれません。

そしてオウムの施設で暮らしていた100人以上の子どもたち。
ぼくは、この辺の情報には疎かったので実情を全然知りませんでした。
親と切り離されて、栄養もろくに取れず、不衛生な環境で集団生活をして・・・まるで旧ルーマニアの「チャウシェスクの子どもたち」ではないですか?
この子たちは児童相談所に引き取られ、一時保護となりますが、社会復帰までは相当大変だったと思います。
おそらく、子どもたちは愛着障害になっていたでしょう。
当時の資料を記者が発掘しますが、こうした貴重な文献が現在、関係者に共有されていないのは、なんとも残念だと思いました。

さて、この本が誕生した背景には、子どもの人権というものが、(まだまだ不十分にせよ)重く見られるように世の中が変わってきたという一面もあると思います。
1985年の川崎市で交通事故。両親はエホバの証人で輸血を拒否し、子どもは亡くなります。
この事件は『説得』という本になり、講談社ノンフィクション賞を受賞しましたが、社会的なムーブメントは起きませんでした。
知らない世界の知らない話として読まれたのでしょう。
今回の本が、社会に対して何かの力になってくれればいいなと一読者として思います。

新聞記者の仕事の内容は実に多彩ですが、本書は問題意識が非常に明瞭で、大変クオリティーの高い調査報道になっています。
みなさんにもぜひおススメします。
子どもの人権について考えてみてください。