フリー アクセスカウンターアクセスカウンター 無料 情報検索エンジン 登録Google SEOウェブマスター クエスション?

『「少年A」14歳の肖像』 (新潮文庫) 高山 文彦2012年05月18日 22時33分28秒

「少年A」14歳の肖像
高山さんの作品を、最近続けて読みましたが、それらは過去に生きた人物、過去の歴史を描いたものでした。
(北条民雄・中上健次・松本治一郎)
そこで、作品「どん底」と同じように、リアルタイムのノンフィクションを読みたいと思ってこの本を手にしました。
「神戸連続児童殺傷事件」です。

「どん底」と同様に、この本でも「人間とはいかに恐ろしい生き物か」ということを思い知らされました。
人間にとって最大のホラーは人間であり、最大のミステリーは人間です。
まして「子ども」という存在は、「人間の人格」が定まっていく過程の流動的な仮の姿なので、少年の犯罪の本質を炙り出すのは実に難しいと思います。

ぼくがこれまでに書いた3冊の本で、子どもの肉声が聞かれないという批判を時々頂きますが、それは致し方ないんです。
だって、がんを生き抜いた子ども達は、闘病していた頃のことなどほとんど憶えていないからです。
私たちだって、3歳の頃の記憶ってほとんど無いですよね?
中学生だった頃の記憶はあると思いますが、では、あの時なぜあのようなことをしたか、うまく説明できますか?

ぼくは常々思っていますが、3歳の自分と14歳の自分と50歳の自分というのは、連続していないということです。
別の人格と言えば言いすぎかもしれないけど、内的世界は不連続にどんどん変容していると思います。

だから少年Aも、今は青年Aになって、あの時の自分の心理状態を説明できないんじゃないかな。
ある意味、反省のしようがない。
同時にこうも言える。
少年は大人へと分化・成熟・発達できるから、更正は可能だし、無意味に罰を与えてはいけないと。

ま、ちょっと取り留めもない話になってしまいましたが、人間の心の奥底を少しだけ覗き込んで、ぶるぶると震えてしまいました。

「エレクトラ―中上健次の生涯」 (文春文庫) 高山 文彦2012年05月06日 22時20分11秒

エレクトラ―中上健次の生涯
大変難しい本でした。
中上健次の生涯を描いた評伝ですが、まず、ぼくには中上健次という人間がとても難しく感じます。

彼は、被差別部落で私生児として産まれます。
もしその生い立ちの中で、ひどい差別に苦しんだのであれば、彼という人間は理解しやすかったと思います。
だけど中上は、東京へ「パッシング」してしまう。
だから難しい。
梅干しの種の殻を割ると、その中には白い核がある。
その核が何なのか? 中上の核は何か?
自明のようで、けっこうそれが難しい。

北条民雄との対比や類似性の分析もありましたが、ぼくにはこの二人は根本的に別の場所いると思います。
北条民雄は「らい文学」というジャンルを否定し、自分にとっての「らい」は「場合」に過ぎないと言っていますが、ぼくにはそうは思われません。
彼は、「場合」ではなく、「らい」という決定的運命から逃れられなかったのです。
一方、中上はどうでしょうか。
彼の「白い核」に「被差別部落」が決定的な刻印になっているかどうかは、ぼくの頭では理解しきれませんでした。

そして中上の作品が難しい。
ベストセラー作家だった訳ですから、多くの読者がいた訳です。
だから、難解な文学ということはないのかもしれません。
だけどぼくにとっては、中上作品は難しかった。
「19歳の地図」とかはよく分からなかった。
こういうのは、脳の相性の問題なのでしょうか?
一般に大江健三郎の文学は難解だと言われますが、ぼくの頭にはスラスラと入ってくる。
特に彼の文体が心地良い。
だけどそれは「万延元年のフットボール」あたりで、ぷつりと消えてしまうんですよね。

そして「文学」自体がこんなにも難しいものだったのかと、今さらながら驚きました。
中上健次と編集者の葛藤にはすごいものがあります。
作家という職業は、作品を産み落とすために、ここまで苦しみ抜かなければならないのでしょうか?

では「文学」の役割とは一体何なのでしょう。
物事の「真実」を伝えるためだけならば、「事実」を羅列すればすむ訳です。
「解説」でも「評論」でも「説明」でもいい。
中上健次と「ノンフィクション」の激突も描かれていますが、事実の持つ重みや、それを伝える難しさは、「文学」とは関係がないのかもしれません。

音楽や美術の目的が、美しさを追求すること、人の心を揺さぶって感動を引き起こすことにあるのならば、文学は、音楽や美術とまったく同じカテゴリーにあると言えましょう。

人はなぜ文学を書くのか。
書きたいから書くのでしょうね。
だけどここまで苦しむ理由は、芸術に限らず人間のあらゆる営みや労働が、悲しみや苦しみを求めているからでしょう。
小説を書くという行為は、そういったものが端的に表れるのでしょう。

というわけで、大変難しい本でした。
1日で読んでしまいました。

「対論 部落問題」 (平凡社新書) 組坂 繁之, 高山 文彦2012年05月04日 16時42分09秒

対論 部落問題 (平凡社新書) 組坂 繁之, 高山 文彦
「火花」を面白く読んで、その流れで本書を読みました。

ノンフィクションですが、対談なので、特にレビューを書きつらねることはやめておきます。
松本治一郎の生涯を辿るなど、話は盛りだくさんであっと言う間に読了してしまいます。

僕はこのブログで、人の心に潜む「差別」の本質は「経済」にあると何度も書いていますが、この対談でもそのことがしっかりと指摘されていました。
「部落差別」の本質がどういうところにあるのか、(普段は)興味のない日本人が大多数でしょう。
ですが、日本人は日本人を知るべきだと僕は思うのです。
この問題を避けて、私たちは私たち自身を理解できないと思うのですが、いかがでしょうか。

「火花―北条民雄の生涯」 (角川文庫) 高山 文彦2012年05月03日 18時05分49秒

火花―北条民雄の生涯
かなり前に読んだ作品ですが、今回、再読しました。

出だしが重く、歯車が回り始めるのに時間がかかるのは、高山さんの文体だと思います。
ノンフィクション文学は、往々にして読みやすさ(伝えやすさ)を優先するために、舞台となる「場所」の風景描写が弱かったりします。
どうしても、インタビューで引き出した台詞が中心になって。
しかし高山さんはそういう部分を丁寧に力強く書きます。
ですから作品に重みと厚みが出ます。
筆力が非常にしっかりしていることの証左でしょうね。

さて題材は、「北条民雄の生涯」。
ぼくはこの人を知りませんでした。
ノンフィクションは、「人」を描くか「事件」を描くかのどちらかに大別されますが、本書は「人」を描いています。
「有名人」の評伝を書くなら、資料も豊富で、様々な人にインタビューできますから、プロであれば必ずしも難しくはありますまい。おそらく。
だけど、北条民雄もその周辺の人達も、ほとんどの人がすでにお亡くなりになっていますから、この本を書き上げるのはかなり難しかったと思います。

北条民雄を選んだこと自体が素晴らしいし、彼の生涯をここまで描き出したのですから、やはり本書は傑作と言えるし、ノンフィクション文学の一つの頂点の形を示していると言えるでしょう。

この本の中で、北条民雄の生き方ももちろん読み応えがあったのですが、「東条」という友人の物語もよかった。
結婚かさもなくば自死を選ぶかの場面です。
あそこは読んでいて本当に切なくなりました。

「人生は暗い。だがたたかう火花が、一瞬暗闇を照らすこともあるのだ」

「火花」というのは良い言葉ですが、やはり北条民雄には「一瞬」という言葉がよく似合います。

黒澤明の遺言(実業之日本社)都築 政昭2012年04月28日 21時58分07秒

黒澤明の遺言
黒澤明の「言葉」の数々を都築政昭さんが、紹介し解説した本です。
こうして88の名言を改めて読んでみると、黒澤明がいかに偉大であったか本当によく分かります。

彼は映画監督として天才であっただけでなく、言葉の天才でもあったのだと思います。
しかし日本において、黒澤明は「天皇」とか「サムライ」とか揶揄されて、一部の映画ファンの間でしか正しい評価を受けていないのではないでしょうか?

新しい時代を作ることができると信じることができる人間のみが、新しい時代を作る。
これはSteve Jobsの言葉ですが、彼はそういう信念に基づき「Think Different」というキャンペーンを展開しました。
世界の天才たちを大きく取り上げましたが、日本人ではやはり黒澤明でした。

どうも、クロサワは海外からの評価の方が高いようです。

この本の中で印象的だった言葉を。
「創造というのは記憶ですね」
これは有名な台詞です。ぼくもよく真似をします。
こうも言っています。
「本を愛するというよりその前に跪いている」
同じことですね。

もう一つ。
「通俗的な人間の面白さを、真実に書けば書くほど通俗的ではなくなる」
これはちょっと解説が必要ですが、それを書き始めるとブログではなくなってしまうので、やめておきます。
興味のある方は、本をお読みください。

西村賢太対話集(新潮社)西村 賢太2012年04月25日 22時16分44秒

西村賢太対話集
面白くてあっと言う間に読んでしまいました。
西村さんの語りとか私小説はある意味ワンパターンなのですが、それがなぜか多彩なワンパターンなんですね。
同じことを言っているのですが、言葉が潤沢だから、くだらなくないんです。
露悪的に見えるけど、本人は露悪ではないと言う。
石原慎太郎にカッコ悪いくらいにへつらっているように見えながら、実はそれが単なるポーズに見えたりする。
本が何万部売れて、印税がいくら入ったとか、とても通俗的に見えたりするんだけど、ちゃんと文学議論をしていたり。

何でしょう、この人は。
底が透けて見える振りをしているだけなんでしょうか?

しかし純文学を書いている作家で、こうやって個人の対話集を大手出版社から発刊できる人など、今の文学状況では西村さんくらいしかいないのではないでしょうか?

ぼくは「苦役列車」を読んだ時に、この人は文学者として生き延びていくと直感しましたが、そのひらめきはどうやら正しかったようです。
次作が楽しみです。

「さいごの色街 飛田」(筑摩書房)井上 理津子2012年04月18日 22時22分28秒

さいごの色街 飛田
大変面白くてすぐに読んでしまいました。
飛田というのは大阪にある地名。
昔の遊郭が今も残っている所と言えばいいのでしょうか。
もちろん、非合法ですし犯罪行為ですが、警察は、より大きな悪を摘発するために、この地域には積極的に介入していません。

「お店」の大きく開いた玄関に「女の子」が座り、素顔を晒しています。
ぼくはこの光景の描写を読んで、アムステルダムで見た「飾り窓」を思い出してしまいました。
あの時は、この世にこういう光景があり得るのかと呆然としましたが、現代の日本にもあるのですね。

さて、本書は、井上理津子さんの12年の取材がだいたい時系列に書かれています。
なぜこの本を書いたか、その辺の説明があまり詳しくないのですが、要は好奇心ということのようです。
ぼくは、好奇心で取材をするというのは全然悪いことでも、価値の低いことでもないと思います。
人間には「ものを知りたい」という根源的な欲求がありますから、それを求めるのはジャーナリストやライターとしては至極まっとうな動機だと思います。

ですが、この街は取材できない街でもあります。
前半は話が、ある意味まどろっこしくて、そこが却ってリアルです。
取材できないから、取材してやろうとしているのかな、などと井上さんの執筆動機を深読みしてしまったりもしました。

中盤の「解説」は、文献で調べた飛田の歴史。

終盤になると井上さんも飛田にたくさんの知己を得て(取材開始から12年ですものね)、得られる情報が一気に増えます。

クライマックスは、ここで働く「女の子」の肉声でしょう。
彼女たちは、親から教育を受けず、男に騙され、捨てられ、借金を背負い、子どもを抱え、身も心も貧困状態で飛田に辿り着きます。
こういった悲惨な状況を、戦前の日本と変わらないと考える人もいるでしょう。
だけどちょっと違うかなとぼくは思います。
「サンダカン八番娼館」のおさきさんは、まったく彼女自身に落ち度はなく、原始的な資本主義の貧困の中で体を売り飛ばされたのに対して、飛田の女娼たちには、同情はするものの自己の責任も「少しは」あるかなと思えるのです。
現在でも日本の資本主義社会は多くの矛盾を抱えていますが、自助努力の部分で相当は這い上がれると思うのです。
ま、最終的には弱い女性が搾取される構造は、昔も今も同じなのですが。

すべての皆さんにお勧め、、、という本ではありませんが、ノンフィクションとして完成度の高い作品だと思います。

追記)本書に対して、井上さんが取材対象者にウソをつきながら発言を引き出していることに批判的な意見もあることを知りました。
全然OKだと思いますよ。
どこが悪いのか? プロのライターの仕事とはこういうことを言うのだと思います。

「仁義なき日本沈没: 東宝VS.東映の戦後サバイバル」 (新潮新書) 春日 太一2012年04月15日 23時14分04秒

仁義なき日本沈没
今日、読んだ本はこれ。
前著の「天才 勝新太郎」が面白かったので。

だけど今回は、人間が主役ではなかったのでだいぶ趣の違う仕上がりになっていました。
ノンフィクションではありますが、解説本という感じでしょう。
もっとも「新書」というのは本来、何かの教養を伝えるためにある訳ですから、これは普通の姿です。

映画好きな人には楽しい一冊です。

なお、「綺羅星のごとく」=「きらぼしのごとく」という誤用が2カ所にありました。
もちろんこれは、「きら、ほしのごとく」が正解です。

「オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ」森 達也(角川書店)2012年04月14日 22時39分01秒

オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ
「職業欄はエスパー」の続編のような作品です。
森さんの文章は気持ちの良いリズムがあるので、すぐに読んでしまいます。
本の最後の方で、メンタリストという言葉を初めて聞きました。
YouTubeにはこんな画像があります。
http://www.youtube.com/watch?v=y51vX1rhwN8

こんな画像も。
http://www.youtube.com/watch?v=8iUefMbdr9I

でもね、これは超能力ではないそうです。
うーん、じゃあ、なんなんだ。
ぼくは頭が固くてよく分かりません。

とにかく面白い一冊でした。

「わたしが出会った殺人者たち」(新潮社)佐木 隆三2012年04月13日 22時34分12秒

わたしが出会った殺人者たち
殺人者の記録を読むと、私たちとは全然別の人種、別の世界の話と感じる一方で、人間の本当の姿の一端も垣間見えたりします。

いえ、何も私たちの心の中に殺人者と共通する心理があると言っている訳ではありません。
人間とは理知的な生き物であっても、一面では結局は動物に過ぎないということも知らされて、合理的には作られていないことが分かります。

そしてその鬼畜のような殺人者の心の中にも悔いる心があったりして、本当に人間とは謎に満ちていると思います。

この本では18人の殺人者が登場しますが、佐木さんは18人を描くと同時に自分を描いていますので、加賀乙彦さんの「死刑囚の記録」のようには殺人者の姿には肉薄していません。
読み始めた時は、殺人者を見続ける佐木さんの人生に興味があったのですが、しだいに殺人者に惹き付けられてしまいました。
ま、それは当然かもしれません。
生き物としての濃さが違いますからね。

人間の濃さをたっぷりと見せつけられた一冊でした。