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『二重らんせんの私』にコメント2007年05月14日 20時52分15秒

昨日の続きです。
柳澤桂子先生の『二重らせんの私』には、筆者がコロンビア大学で博士号を取得するまでの歩みが書かれています。
これを読んでも一般の方々には、柳澤先生の素晴らしさはよく理解できないでしょう。なんとなく凄いということは分かると思いますが、それが具体的にどの程度すごいのかは、遠い世界の業界の話しですから実感するのは難しいでしょう。
本を読んで、僕が感じたのはアメリカの大学院生がなんとよく勉強するかということです。日本の大学院生とは比べ物になりません。日本でも理学部や工学部は別なのかもしれませんが、僕の知る限りの医学部の大学院生とはまるで次元が違います。
これはおそらく、大学院生に限らず高等教育を受ける学生の質の高さが日米で全然違うのでしょう。
我が母校、千葉大学医学部ではここ最近、授業内容を学生が評価するようなことを行なっています。僕も学生からずいぶんと評価を受けたものです。
しかし、これは笑止千万です。先日、朝日新聞にも載っていましたが、講義で後ろの方に座る学生ほど、授業や講師に対して低い評価を付けるという調査結果があるそうです。
簡単に言えば、やる気の無い学生ほど文句を言うということです。
しかし実は、こういった記事が新聞に載らなくとも、そんなことは僕ら教員はみんな知っていました。
しかし、教える側も反省しなくてはなりません。学生が理解できなければ、それは教官が悪いとアメリカではなるのです。この考え方が通用している最大の理由は、学生は全員が勉強熱心だと言う大前提があるからです。
柳澤先生が留学したころの時代背景を考えると、おそらく柳澤先生の知的アクティビティーの高さは、その当時の日本人でほとんどトップだったのでは無いでしょうか。遺伝子の暗号解読の会議で、柳澤先生がニーレンバーグとオチョアに挟まれて座っていて、2人が激しい議論をしたなんていう記述を読むと、肌がぞぞっとします。
同期の中で最初に博士号を習得して柳澤先生は仲間の学生たちと喜びを爆発させますが、分かります、その気持ち。それだけの難関を突破したのですから。ここまでの知的ハードワークをした日本人を、僕はこれまでに知り合った人間の中ではほとんど見たことがありません。
素晴らしいアクティビティーです。