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球が切れた!2007年05月21日 21時08分26秒

耳鏡の球が切れました。
アホなことに僕はこの耳鏡の構造を理解していなかったために、耳鏡には「球」が入っていて、これが切れると光らないということを理解していませんでした。
で、その結果、球の予備を持っていませんでした。
従って、3日間、耳鏡が使えませんでした。
こ、これは苦しい。耳鏡が無いと診療にならない、、。患者さんにも十分な医療を提供できず、大変なご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

大学在籍中も僕はたまに耳鏡を使っていました。え?耳鏡が小児外科病棟においてあるのかって?ちゃんと、ありますよ。以前は包交車の引き出しの奥に入っていました。
開業するにあたって、鼓膜が診れないと話しにならないので、ずいぶん、勉強しました。稲毛の大行列ができる耳鼻科クリニックのU先生にもいろいろなことを教わりました。
現在では、発熱しているお子さんの耳は全員、診ています。確かに、無駄も多いです。つまり、全然、耳を痛がらない、もしくは触ったりしないお子さんの耳はたいていの場合、きれいです。また、耳あかで何も見えないことも多いです。でも、たくさん、診ているうちに色々なことが分かって来ます。
しかし、まだまだ修行不足。
数ヶ月前の話しですが、熱がなかなか下がらないお子さんで、鼓膜がほんのりと赤く、いや、オレンジ色で、抗生剤を使っても良くならないので、千城台の行列のできる耳鼻科クリニックのN先生に診てもらったのですが、正常の色ですと言われてしまったことがありました。
うーん、やっぱり奥が深くて難しい。
でも、僕は自分の「耳」には自信が無いのですが、「目」にはけっこう自信を持っています。
小児外科の世界で19年間やって来て、ここのレベルまで来れたのは、「目」の力と思っています。最近、めっきり老眼が進んでますが、いやいや、「眼力」ならまだまだ若いものには負けませんぞ!

なんとリアルな夢!2007年05月22日 21時21分58秒

昨日はちょっと変な、そしてリアルな夢を見ました。
僕は科学雑誌『Nature=ネイチュアー』を読んでいます。そこには、一流の科学ジャーナルに最近、掲載が決まった論文の名前がズラッと書かれているのです。僕はがん研究専門誌の『Cancer Research=キャンサー・リサーチ』(がん研究の意)に論文を投稿していましたので、ドキドキ・ハラハラしながらその一覧を見ているのです。いくら探しても僕の論文のタイトルは見当たりません。ああ、僕の論文は採用されなかったのか、、、と悲嘆にくれているところで、目が覚めました。
わはは。なんて言うことでしょう。やっぱり今でもあのエキサイティングな気持ちは忘れることが出来ません。

僕の最初の論文はわずか3週間の実験で結果が出て『キャンサー・リサーチ』に掲載されました。1990年のことです。この当時は、信じがたいかもしれませんが、東欧やアジア各国ではきちんとしたコピー機が普及していない時代でしたから、僕のもとに別刷り請求が数10カ国から100件以上、来ました。ほとんどが東欧と東アジアです。
これには感激しました。
2本目の『キャンサー・リサーチ』には一転して非常に苦労しました。実験が完全に暗礁に乗り上げてしまったのです。この窮地を救ってくださったのが、京都府立医大小児科教授の杉本徹先生です。先生の細胞株RT-BM-1を頂いてすべてがうまく行きました。
しかし、論文が掲載されるまではまたも苦労の連続でした。
最初は『Molecular and Cellular Biology』(通称MCB=分子細胞生物学の意)という僕のあこがれの雑誌に投稿したのですが、これはまともに審査されませんでした。トニー・ハンターというこの業界では超有名な科学者から手紙が返って来て、この論文はもっと専門的な、、、たとえば神経生物学の雑誌に投稿したらどうかと言う提案が書かれていました。
僕は非常にがっかりして、「ちぇ、じゃあ、キャンサー・リサーチでいいや」と思って論文を一切修正せず、キャンサー・リサーチに投稿しました。ところがその結果は、掲載拒否でした。ここで僕の顔色が初めて変わりました。
「もしかして僕の研究ってたいした価値が無いのでは、、」と急に不安になりました。
もうこれ以上は落とされたくありません。データを少し追加して、論文の構成も修正して今度は『Oncogene=オンコジーン』(がん遺伝子の意)に投稿しました。結果はまたしても掲載拒否です。レフリーのコメントを読むと、明らかに彼らは僕の実験の手技が理解できていない。つまり、僕の方が彼らレフリーより科学者としてレベルが上なのです。
ああ、そういうことかと思いました。前回の『キャンサー・リサーチ』も僕の実験を理解できなかったのですね。
僕は『オンコジーン』に落とされた論文をそのまま、もう一度、『キャンサー・リサーチ』に投稿しました。ちゃんとしたレフリーに行き当たれば必ず通ると思ったのです。この時は内容に確固たる自信がありました。
そしてその通り、論文は受理されました。

編集部から返事を待つまでのドキドキ感。さらに、新着の雑誌が図書館に到着するたびに、僕のライバルが先を越していないかというドキドキ感。そして、編集部からの返事が国際郵便で届き、これを封切る時の心臓のバクバク感。
も〜、たまりません!

いやあ、科学は一度やったら、やめられません!

ハローワーク探訪記2007年05月23日 19時46分13秒

今日は午前中だけで診療は終了です。
午後からハローワークに行って来ました。インターネットで場所を頭に入れて、みつわ台からモノレールに乗って千葉みなとで降りました。
炎暑の中を汗をかきながらテクテク歩いて行きますが、全然見当たりません、ハローワーク。
はい、毎度のことですから慌てません。僕は極度の方向音痴です。僕よりひどい方向音痴の人をこれまでの人生で僕は一度も見たことがありません。
一回、駅までもどってようやく辿り着きました、ハローワーク。
3階に上がるとそこは求人の部屋です。申し込み用紙を覗いていると、係の人から声をかけられました。
僕が求人をここで出すのは2度目です。
開業する前の昨年3月にもここで手続きをしています。従って、その書類をそのまま更新すれば良いのだそうです。
1年前の書類を見ると、僕の字でいろいろなことが書き込まれていますが、電話番号とかはまだ決まっていなかったのですね。
あれから、1年かあ。はや。

今回、医療事務の方を募集しています。週に半分くらい働いて頂ける方は、いませんでしょうか。
年齢不問です。
条件はコンピューターに堪能なことと、人柄が良いことです。
時給は900円から1100円くらいです。
うちの職場は楽しいですよ。休憩時間は笑いの渦です。
興味のある方は、メール下さい。

さて、千葉みなとからみつわ台に戻るまで、次々に3家族の患者さんに会いました。考えてみれば、2000人以上のお子さんたちが、うちのクリニックに来ている訳ですから、3家族くらいに会っても不思議ではないですよね。

新しい人、求む2007年05月24日 20時39分50秒

昨日のブログに書きましたが、新しい人材を求めています。
医療事務と看護助手と僕の仕事の手伝いをして欲しいのです。
医療事務の資格はあった方が良いですが、無くてもかまいません。ただし、PCには詳しく無いと困ります。ワードとエクセルの操作ができることと、OSという言葉の意味くらいは知っていて欲しいです。
年齢不問。
しかし!
何と言っても一番大事なのは、人柄です。PCに触ったことが無くても、これからお給料を全部つぎ込んでPCの勉強をしたいというガッツのある人は歓迎です。
人を笑わせることが得意か、人の話しで笑うことが得意なことが採用の条件です。

だんだん、暇に2007年05月25日 20時10分24秒

5月になって毎日、80人くらいの患者さんがお見えでしたが、昨日は60人、今日は50人と急激に減って来ました。
クリニックは何となく平静さを取り戻しています。
おかげさまで、お昼休みはたっぷり2時間とれました。
これは勉強しない手はありません。論文を読んで、教科書を開き、ワープロを叩きました。
定時にクリニックを閉めた直後に患者さんから電話です。高熱が出ていれば心配ですよね、はい、今から来て下さい。
ママは恐縮しきりですが、なーに、困った時はお互い様です。
僕はこれまでにも日曜日とかにネブライザーなどを何人かのお子さんにやってあげたりしています。もちろん、無料です。
その代わり、僕が路上で倒れていたら、救急車を呼んで下さいね。わはは。

ところで、今日はSちゃんママから木更津のお土産だと言って、卵を頂いてしまいました。早速、夕食で炒り卵にしました。これはなんと、濃厚な味!いけてます。黄身ではなくて、赤い卵です。
これで医療費を受け取らなければ僕は「赤ひげ先生」ですね。

梅雨の長雨を乗り切れば、クリニックはガラガラになるでしょう。それまでもうひと頑張りです。夏になったら、思う存分、コンピューターに向かいましょう。

高松先生からの手紙2007年05月26日 15時04分18秒

日本小児外科学会・理事長の高松先生からE-メールが来ました。
厚生労働省の改革案で、標榜できる科の名称から「小児外科」が無くなることに関して学会員に意見を求めたものです。
そうですか、よーく文案を練って意見を言いましょう。僕はもの言う小児外科医ですから。

ベロではない!『健康・老化・寿命』/黒木登志夫2007年05月27日 18時20分07秒

黒木登志夫先生の『健康・老化・寿命』を読んでいます。
黒木先生は現在は岐阜大学の学長先生。日本のがん基礎研究を代表する大変、高名な先生です。日本癌学会の会長もつとめています。
しかし、そんな偉い肩書きとは別に、黒木先生の文章は大変ユーモアにあふれていて、またたとえ話も絶妙で本当に面白いです。
この本の中に、病原性大腸菌O157のベロ毒素の話しが出て来ます。
ベロ毒素とはVero細胞に障害を与える毒素としてその名がついたのです。そうです、千葉大学の安村先生が樹立し、我が恩師・清水先生が世界に広めたVero細胞です。安村先生は常々、「あれはヴェーロと発音するんだ!」と言っていましたが、なんと、安村先生は黒木先生にかつて実験の指導をしていたそうです。
そして、今回の本の執筆に際して、黒木先生が安村先生にお電話を差し上げたところ、「ベロではない、ヴェーロである。ベロなどと書いた本は読まない」と、お怒りになったそうです。
わはは。安村先生節、健在ですね。
あ、ちなみに僕は、日本癌学会で、黒木先生の座長で口頭発表をしたことがありますよ。

120人・80人・1人・0人2007年05月28日 20時25分35秒

やっぱり開業医というのは、不思議な世界です。いまだに慣れません。
人とたくさん、接するようで、1対1の濃厚な付き合いはあまりありません。あらゆることが、大学時代と異なります。
このブログには毎日120人くらいのかたがアクセスしてくれています。
はっきり言って嬉しいです。
おかげさまで患者さんも、切れ目無くお見えです。こんな僕でも頼りにしてくれる人たちがいると思うと誠意を尽くしたくなります。
今日も80人がお見えでした。大学ではこんなにたくさんの患者さんを1日に診ることなんてありません。
しかし、製薬会社のMRさんは滅多にお見えになりません。これは大学と全然違います。
僕はてっきり、開業医の方が、たくさん、MRさんが来るものだと思い込んでいました。
今日は一人だけ、MRさんがお見えでした。
万有製薬のNさんです。
そして、何と言っても医者は僕以外には1人もいません。
日本小児外科学会が「専門医制度の更新」「標榜科再編」の問題で大きな判断をしなくてはいけない時に、僕は誰とも議論することがありません。
大学にいたら、口角泡を飛ばして毎日議論しているでしょう。
「必要な時に沈黙しているのは単なる卑怯」と僕は思っています。しかし、、、一人で発言するのは疲れる。
禿が進みそうです。
そんな僕に、人よりたくさんあるもの。それは仲間です。クリニックにも大学にも日本中にも仲間がたくさん。
うん、これは日本で誰にも負けないかも。
もう少し暑くなったら、仲間を誘ってビールでも飲みに行きましょう。

明日は園医2007年05月29日 20時20分35秒

明日は、第5水曜日ですから休診です。
僕は園医として幼稚園児の健診にでかけます。この幼稚園は、千葉市と八街市にあります。ちょっとハードワークですが、2カ所に出かけましょう。
1年前の6月7日のブログに書きましたが、八街の園医の体験は何とも得難いものでした。そのとき、園長先生といろいろなお話しをしました。そして、以下のように書きました。

園長先生も立派な方でした。教育者ですね。少子化の日本の現状と行く末を憂いていました。しかし、その憂い方が評論家風では無いんですね。現場に居ますから筋金入りです。志を持って園を率いているんですね。

あれから1年ですが、実は園長先生はもうこの世にはおられません。先日、お亡くなりになったのです。1年前にお会いした時にご自分の病気の話しをされていました。こうなることは予見されていました。
しかし、これは僕にとって「生きるとは何か」、「死ぬとは何か」ということを具体的に教えてくれました。
東海大学の横山・前教授の訃報に接したのもこの日でした。
生きるということは、死ぬということでもあります。人生を生き切ってしまえば、「死」は恐怖でも絶望でもありません。
園長先生のことも、横山先生のことも、僕は自分の人生の最後の日まで憶えています。
あら? 話しが硬かったですね。
明日も頑張りましょう。

270人の心臓2007年05月30日 18時47分49秒

今日の僕は園医です。
朝8時30分に出発して八街に向かいました。僕の車のナビは一体、どうなっているんでしょう?何だか最短距離を示しているとは思えません。
9時10分ころに到着です。1年前と同じように雨が降っています。園庭ではニワトリが鳴いています。のどかです。
9時30分から、120人の園児の聴診と側弯症のチェックを行ないました。45分くらいで終了です。
雨の中を自宅にいったん戻りましょう。あれ、このナビはまたも行きとは全然違うルートを示しています。
今度は13時から千葉市の幼稚園、姉妹校で健診です。お部屋に入るともうすでに園児たちが上半身裸で行列を作っています。
おお、うちの子どももいます。僕の顔を見て身をよじってはにかんでいます。
13時から14時すぎまで150人のお子さんを診ました。
さすがに、午前から連続で聴診しているので、耳が疲れて来て、1人にかける時間が長くなって行きます。
結局、合計で約2時間の間に270人の心臓の音を聴いたことになります。
しかし、なんて1人1人の心臓の音ってこんなにも違うのでしょう。270種類の心臓の音を聴いた気がします。