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なんとリアルな夢!2007年05月22日 21時21分58秒

昨日はちょっと変な、そしてリアルな夢を見ました。
僕は科学雑誌『Nature=ネイチュアー』を読んでいます。そこには、一流の科学ジャーナルに最近、掲載が決まった論文の名前がズラッと書かれているのです。僕はがん研究専門誌の『Cancer Research=キャンサー・リサーチ』(がん研究の意)に論文を投稿していましたので、ドキドキ・ハラハラしながらその一覧を見ているのです。いくら探しても僕の論文のタイトルは見当たりません。ああ、僕の論文は採用されなかったのか、、、と悲嘆にくれているところで、目が覚めました。
わはは。なんて言うことでしょう。やっぱり今でもあのエキサイティングな気持ちは忘れることが出来ません。

僕の最初の論文はわずか3週間の実験で結果が出て『キャンサー・リサーチ』に掲載されました。1990年のことです。この当時は、信じがたいかもしれませんが、東欧やアジア各国ではきちんとしたコピー機が普及していない時代でしたから、僕のもとに別刷り請求が数10カ国から100件以上、来ました。ほとんどが東欧と東アジアです。
これには感激しました。
2本目の『キャンサー・リサーチ』には一転して非常に苦労しました。実験が完全に暗礁に乗り上げてしまったのです。この窮地を救ってくださったのが、京都府立医大小児科教授の杉本徹先生です。先生の細胞株RT-BM-1を頂いてすべてがうまく行きました。
しかし、論文が掲載されるまではまたも苦労の連続でした。
最初は『Molecular and Cellular Biology』(通称MCB=分子細胞生物学の意)という僕のあこがれの雑誌に投稿したのですが、これはまともに審査されませんでした。トニー・ハンターというこの業界では超有名な科学者から手紙が返って来て、この論文はもっと専門的な、、、たとえば神経生物学の雑誌に投稿したらどうかと言う提案が書かれていました。
僕は非常にがっかりして、「ちぇ、じゃあ、キャンサー・リサーチでいいや」と思って論文を一切修正せず、キャンサー・リサーチに投稿しました。ところがその結果は、掲載拒否でした。ここで僕の顔色が初めて変わりました。
「もしかして僕の研究ってたいした価値が無いのでは、、」と急に不安になりました。
もうこれ以上は落とされたくありません。データを少し追加して、論文の構成も修正して今度は『Oncogene=オンコジーン』(がん遺伝子の意)に投稿しました。結果はまたしても掲載拒否です。レフリーのコメントを読むと、明らかに彼らは僕の実験の手技が理解できていない。つまり、僕の方が彼らレフリーより科学者としてレベルが上なのです。
ああ、そういうことかと思いました。前回の『キャンサー・リサーチ』も僕の実験を理解できなかったのですね。
僕は『オンコジーン』に落とされた論文をそのまま、もう一度、『キャンサー・リサーチ』に投稿しました。ちゃんとしたレフリーに行き当たれば必ず通ると思ったのです。この時は内容に確固たる自信がありました。
そしてその通り、論文は受理されました。

編集部から返事を待つまでのドキドキ感。さらに、新着の雑誌が図書館に到着するたびに、僕のライバルが先を越していないかというドキドキ感。そして、編集部からの返事が国際郵便で届き、これを封切る時の心臓のバクバク感。
も〜、たまりません!

いやあ、科学は一度やったら、やめられません!

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