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アルツハイマー征服(下山 進)2021年04月03日 17時33分40秒

アルツハイマー征服
アルツハイマー病の治療薬開発をめぐるサイエンス・ノンフィクションです。
著者は下山進さん。編集者としても作家としても有名な方です。
日米を中心にワールドワイドに取材を重ね、科学論文を読み込んで仕上げた超巨編にしあがっています。
大変おもしろく読んだのですが、納得できない点もありました。

最初にノンフィクションと書きましたが、この本はとてもドラマチックな表現が多く、例えば、「〇〇博士の胸に熱い思いが込み上がってきた」みたいな言い回しがたくさん出てきます。
これはその博士がインタビューに答えてそう言ったのでしょうか?
それとも著者が想像で書いたのでしょうか?
ぼくは後者であってはいけないと思います。こういう表現をするときは、「私の質問に答えて、〇〇博士は、胸を熱くしたと返事した」と書くべきだと思うのです。

ドラマ性を文章で付加しなくても、この本の内容自体が十分ドラマチックなのだから、もっとシンプルに書いていいというのがぼくの意見です。
結局その方が迫力が出ます。

著者にとって最新のサイエンスを理解し、描くのはそうとう難しいことだったでしょう。そして残念ですが、サイエンスをやった経験のない作家がサイエンスを語る限界は越えられなかったように見えます。
科学的な表現に関して、間違っている所がいくつもありました。
また、書いた内容が意味不明の文章もありました。例えば、
「APPをクローニングし、シークエンスを特定しライブラリーを確認して、21番染色体に関係する遺伝子があることをつきとめた」という文章は意味がわかりません。

ポジショナルクローニングでは連鎖解析が極めて重要ですが、連鎖解析という単語が出てくるだけで、実際にどのように解析がなされたのかがこの本ではまったく書かれていません。
家族性アルツハイマー病がなぜ重要かというと、家系図を作り、DNA多型マーカーで連鎖の相関を追っていくと、原因遺伝子の位置が分かるわけです。そこから目的の遺伝を(たとえば、DNAウォーキングで)同定していくのです。その過程がエキサイティングなのですが、それはまったく書かれていませんでした。

専門家の先生がこの本の原稿を事前に読んでくれたそうですが、きちんとしたチェックが入っていないように感じられます。そこは残念でした。
大傑作の一作と評価されてもいい本なのですが、もったいない点が目立ちました。
それからエピローグ に着床前診断の話がでてきますが、あれはない方がよかったです。それを言っちゃおしまい・・・という感じです。

土葬の村(高橋 繁行)2021年04月03日 21時58分01秒

土葬の村
これは大変驚く内容です。
現在の日本は火葬率が99.9%。つまり0.1%は火葬ではないのですね。
日本には土葬の習慣が平成の時代まで残っていて、そこから30年で急速に消えていったそうです。
著者は各地の古老を訪ねて土葬・野辺送りのプロトコールを聞き取っていきます。
民俗学的探究でもあり、ルポルタージュでもあります。
土葬には様々なルーチンがあり、その型を守りつつ土葬は行われてきました。
なぜ土葬を望むかというと、「焼かれたらかなわん」というのが理由だそうです。
土葬の他にも野焼き火葬とか風葬(自然に朽ち果てる)とかの慣習があり、日本は狭いようで広いなと感じました。
ちなみに日本の火葬率は世界一で、欧米ではまだまだ土葬が多いようです。
なお、法律上、火葬も土葬もOKだそうです。
奇書という言い方は失礼かもしれませんが、こういう風習が日本の一部でつい最近まで普通にあったということに驚くと同時に、記録性の大事さを実感しました。
興味のある方は読んでみてください。
夜に読むとちょっと怖いかも。現在、ベストセラーです。

m3.com その22021年04月04日 11時38分14秒

m3.comの2回目のインタビュー記事が掲載されています。大学病院での過重労働や、ぼくが大学病院を辞めた理由、開業医の難しなどについて語っています。以下のURLから読めますが、会員登録していない人のために、その下に書き下します。
https://www.m3.com/news/iryoishin/893912
――研修医時代の話は、昔のことと断った上で、結構過酷な勤務体験をつづられています。今の時代では考えにくいことも経験したと思いますが、先生自身は、そうした体験が医師としての成長につながったと考えていますか。
 それはものすごく成長につながりました。やっぱり患者を診るということを、もう骨の髄までたたき込まれたというか、徹底的に患者さんの具合が良くなるまで本当エンドレスに診続けることで、自分の医師としての技能は上がりました。今同じ事をやらせたら、ブラックになっちゃいますが。
 ある大学の教授の先生からは、今の若い人がそういう部分を読んでどう感じるのだろうかと感想を言われました。僕もそう思います。ちょっと理解できない部分もあると思いますね。
――一方で、若い医師を育てるというのは同じで、今の働き方改革などの風潮をどのように感じていますか。
 これは、どちらがいいと論じても仕方がないので、昔の方が良かったとか今の方がいいとか比較すること自体、意味がないことだと思っています。今は研修医の先生は9時から17時までの勤務と決まっているのであれば、その範囲の中で一人前の医師を育てるしかありません。だから今、各大学の教授たちは、そういう限られた時間の中で若者たちをどうやって一人前にするか、一生懸命に考えているのではないでしょうか。
 365日働けって言ったら、それはもうブラック企業でありパワハラですから、それはできないわけです。僕は教育者ではないので、こうすべきだという答えは持ち合わせていないのですが、もうその決まった形の中でいい医師を育てるしかないでしょう。
――ワークライフバランスが重んじられる今の時代に医療を学んでいる医学生や研修医の方へ伝えたいことはありますか。
 医師の基本は何かというと、患者を診ることなんです。とにかく患者を診る。自分の目を使って見て、耳を使って患者さんが言っていることに耳を傾けて、口を使っていっぱい語り掛けてコミュニケーションを取るということです。
 9時から17時であっても、看護師さんから何号室の患者さんが今こういう状態ですと言われたら、必ず足を運んで診に行く。ベッドサイドに行って必ず患者さんを診て、痛いって言っていたら必ずその場所を触れることです。看護の「看」っていう字は手に目と書きますよね。手で看るってよく言いますけど、医療も同じで手で看ること。頭が痛かったら頭を触ってあげるし、腹が痛かったら腹を触ってあげる。とにかくコミュニケーションと患者さんに触れてみるということ。絶対に患者さんを診ることを疎かにしてはいけません。
 それは1年目であっても、教授みたいな偉い先生になっても同じで、教授になったからといって「俺は偉いんだ」と教授室から出てこない医師はもう駄目です。患者さんから要請があったら、必ずベッドサイドに足を運んで患者を診る。それが基本です。それは絶対に譲れないことです。
――2006年にクリニックを開業した経緯を教えてください。
 18年前に大きな病気をしてしまったんです。解離性脳動脈瘤で、血圧が上がるとくも膜下出血を起こすリスクがあるので、千葉大学の脳外科の教授から「もう夜中とか土日の仕事は全部やめてなさい」と言われて、これは大学でやっていくのは無理だなと。ちょっとかっこ悪いんですけど、そういう理由で開業医になりました。
――大学勤務医と開業医では環境が大きく変わりますね。
 大学の医局というのは、基本的には少人数の集団が一つの価値観に基づいて行動するので、結構危険な側面もあります。患者を治すという1点のみの価値観においては有効な組織だと思いますが、一人一人の個性や多様性、伸びしろ、そういうものを発展させていく上では妨げになることがあります。
 僕は開業医になって、本も書くようになって、いろんな人と出会って、人間としての幅が広がったと思います。
 大学で勤務している若い先生たちにはぜひ、医局の外には膨大な世界が広がっていて、いろんな人がいて、いろんな考えがあるんだということを知っておいてほしいです。
――医師としての働き方も随分変わったのでは。
 大学にいたときは、僕は小児がんが専門だったので、千葉県の小児がん患者は全部診ていたし、それこそ全国からセカンドオピニオンで患者さんが僕のところ来ていました。幼い患者さんの親は、もう本当にみんな必死で、何とか子どもの命を助けたいと思っていて、必死になって僕のところに来ていました。
 ところが、開業してみると、必死な人はあんまりおらず、「乾燥肌なので保湿剤ください」みたいな感じで来る人も、いくらでもいます。重い患者さんは基本的に大きな病院に入院させますし。そのギャップの大きさは、開業して15年目ですけど、いまだに慣れないかな。
――開業にあたって、小児外科だけではなくて小児科を標ぼうされたんですね。
 そうです。純粋な小児外科の疾患はとても少ないので、小児外科だけ看板に出したら、多分誰も来ないです(笑)。
――今はそれこそ皮膚疾患みたいなものから、風邪など感冒系も。
 何でも診ますよ。
――ギャップの大きさになかなか慣れないというのは、大学病院時代に懐かしさを感じるということですか。
 大学にいたときは、ある意味小児がんっていう一つの疾患を、研究もしていたし臨床もやっていたし、僕なりに小児がんという病気を、もう極限まで追究していたわけです。海外の論文も全て読むし、診療が終われば研究棟に行って実験をし、常に病棟には小児がんの子が何人もいるという状況で。小児がんに対する知識や経験、手術の技術は、本当に日本の中で誰にも負けないくらいのものを持っていたと思います。だけど、開業してみると、そういう専門性って全然求められませんので。2006年に開業して今に至るまでって、小児がんの子は2人しか診たことないんです。そういう専門性を発揮できないのは、大きなギャップです。
――逆に開業して学んだことはありませんか。
 それはいっぱいあります。小児科の開業医は15歳以下であれば、ありとあらゆる子どもの病気の悩みに応えなくてはいけないという使命があって、それはそれでたくさん勉強しなくてはいけません。大学にいたときの狭い範囲を深くというのとは、逆に広く浅くになります。
 特に新たに学んだのが発達障害です。本も2冊書きましたけど、こんなに多いとは思いませんでした。2006年頃はそんなにいなかったのですが、今は本当に多いんです。
 僕自身も勉強することによって、発達の遅れがないかなと精密に診るようになっているので、見つけられるようになっている部分もあるかもしれないけど、親御さんから「うちの子、発達が心配なんです」って言われることも多いので、増えているのかなと感じています。
――発達障害という言葉とか認識が広がっているというのもあるのでしょうか。
 それもあるでしょうね。発達障害とか自閉症スペクトラムとかADHDとか、今の親御さんは結構知っています。
――開業医ならではのやりがいは。
 コロナ禍の前は1年間に延べ1万7000人の患者さんが来ていました。その中には単に自宅から近いという理由で来ている患者さんもいますが、僕のことをいいお医者さんと思って、信用・信頼して来てくれる患者さんもいます。信頼して来てくれる患者さんに出会うとやっぱりうれしいし、何とかその期待に応えたいと思います。

なっとくする数学記号 π、e、iから偏微分まで(黒木 哲徳)2021年04月04日 21時14分37秒

なっとくする数学記号 π、e、iから偏微分まで
ぼくの青春記『どんじり医』にも書きましたが、ぼくは数学がメッチャ苦手です。センスがないというのか、応用問題が出てくると、何も頭の中に閃くものがなく、茫然としてしまうのです。
おまけに算数が苦手で、足し算とか引き算ができない。できないと言うか、暗算するとものすごく時間がかかるし、高い確率で間違えるんです。
進学塾には通っていませんでしたので、鶴亀算とか植木算とか、なんのことか分かりません。
娘たちが小学生の頃、よく算数の解けない問題について聞かれましたが、ぼくが「これをxと置いて・・・」などと言うと、「父ちゃん、意味が分からない」と顰蹙を買ったものです。
では、数学が嫌いかというとちょっと違っていて、難しい問題が解けた時の快感というのは何とも言えず良い。
だから、YouTubeで高校などの受験問題の解き方を解説した動画を見るのはけっこう好きなんですよ。

で、この本を買ってみました。
筆者はユーモアのセンスも良くて、テンポよく読み進めることができます。できます・・・と書きましたが、それは前半の3分の1くらまででした。
あとはついていくのがやっと。
ぼくには難しすぎました。
でも読んで良かったなと思います。

この本は現在ブルーバックスの中でベストセラー1位。いやあ、こういう本が売れると言うのは素晴らしいですね。
日本には頭のいいひとがたくさんいるんですね。本当にびっくりです。
いま、岩波新書でも中公新書でも英語の解説本がヒットしているようです。教養を求める人は多いのですね。
数学もそういう本があったらいいな。整数問題だけを1冊の本にして頭の体操のような、クイズ本のようなものがあったら、読んでみたいな。
数学好きな人にはオススメの1冊です。

「そのとき」までをどう生きるのか(山崎 章郎)2021年04月07日 19時17分02秒

「そのとき」までをどう生きるのか
大変いい本でした。
2018年が初版ですから、どうも増刷された気配がありません。こういういい本が多くの人に読まれないというのは、本当に悲しいです。
本来ならばベストセラーになって欲しいような本です。
この本には大切なことが書かれています。最大の読みどころは、スピリチュアルペインとは何かを説明した部分ではないでしょうか?
先生は、スピリチュアルペインを他者との関係で説明しています。
「真の拠り所となる他者の不在の結果生じる、その状況における他者との関係性のあり様が肯定できないことから生じる苦痛」と定義しています。まったくその通りと思います。
いま、こうありたいと思う自分の姿と、現実を突きつけられた自分に乖離があった場合、人は苦しむのではないでしょうか?
その乖離に深く関わるのが、拠り所となる他者の有無です。
ぼくは以前の著者で、「人は何のために生きるのか? それは人と人との関係を結ぶため」と書いたことがあります。
人と繋がっていない人間は自死に追いやられたりします。
逆に人と繋がっていれば、自死もせず、安楽死したいとも思いません。
こうした苦痛に医療者はどう対応すればいいのでしょうか?
それは真に拠り所となる他者になり患者に接することです。そのためには、当事者の思いに共感しながら、ひたすら耳を傾ける人間になることです。
緩和ケアとは、身体的苦痛をモルヒネで除去するだけでなく、心理的苦痛・社会的苦痛、そしてスピリチュアルペインも取り除かなくてはいけません。
つまり全人的なケアをするということです。
これは緩和ケア医だけの仕事ではなく、医者であれば誰もができなくてはいけません。

ぼくは、思えばいいタイミングで大学病院を辞めたと思います。当時のぼくは、がんの子どもを入院から退院まですべて診ていました。
病気の説明に始まり、抗癌剤治療を行い、放射線治療の計画を立て、もちろん手術も自分の手でやりました。病理組織も全例、自分の目で見ました。骨髄移植も自分の手でやりました。
すべての治療をやり尽くしても病気が再発した時には、緩和ケアをしました。緩和ケアとは、患者(子ども)だけでなく、家族をもケアしていくことが小児医療では極めて重要です。
病院で亡くなった子も、自宅で亡くなった子もいます。どういう最終段階を生きるのか、親御さんと何度も時間に制限をつけずに語り合いました。
こういうことができたのは、当時の小児外科では固形腫瘍のすべての治療を担当していたからです。
現在は、医療の分業化が進み、小児外科医の役割は手術だけになっています。

元気に退院していった子たちはあまり(歳のせいもあり)克明に覚えていないのですが、亡くなった子たちのことは鮮明に覚えています。
最後の日々や、霊安室でのご両親との会話など昨日のことのように蘇ってきます。
自分で言うのも変ですが、緩和ケアに関して自分としては十分にできたように思えます。一番重要なことは医師としてのコミュニケーション力だったと思います。
聴く力と語る力の両方ですね。

ぼく自身にやがて死期が訪れ、人生の幕を閉じるとき、ぼくにとって一番重要なことは何かな?
自宅で・・とか、病院でとか・・・そういうことではないような気がします。
やはり人との関係性が大事。終末期医療を「仕事」としてやるのではなく、「人生を生き切る手伝い」をしてくれる医師・看護師に出会いたいです。
いい本でした。オススメします。

がんの最後は痛くない(大岩 孝司)2021年04月08日 22時56分52秒

がんの最後は痛くない
大岩先生の本を読みました。
先生は、日本の医療の現況としてがんの終末期にあまりにもモルヒネが上手に使われていないことを批判しています。
これは確かにその通りで、日本は世界の中でもモルヒネの使用量が少ない国として知られています。
そしてそれとは矛盾するように、先生の診療所ではモルヒネを使わなくてもがんの末期は痛くないことを力説しています。
これはどういうことでしょうか?
もちろん先生は緩和医療の達人としてモルヒネを使い方を熟知しています。でも、もっと大事なことがあると説明します。
それは、患者に痛みに対する自律をうながすこと。つまり自分で痛みをコントロールするように権限を委譲するのです。
すると患者は、自分の体を自分で律することができますから、不要なモルヒネが減るのです。そして自分の体をコントロールできると実感できれば不安も減ることになります。
これはぼく自身もPCAポンプという方法で、患者の家族にモルヒネの使用量を委ねることで安心感を与えましたので、よく理解できます。
そして先生が言うもう一つの大事な点は、患者とよくコミュニケーションをとって患者の不安を除去するということです。

ぼくが研修医の頃、がんの子どもが末期になると、医師たちの回診はその子の部屋の前で足が止まったものです。一人の医師がドアを少しだけ開けて「どうですか? 変わりはありませんか?」などと聞いて、特に変化がなければ誰も個室内に入りませんでした。
やがてぼくがベテランになり、がん治療のリーダーになると、末期の子どもの部屋に足繁く通うようにしました。
ご両親とたくさん話をし、子どもにも声かけをしました。
子どもはたいてい未就学児でしたから、豊富な会話にはなりませんでしたが、小学生くらいの子になると、ぼくが病室に通ううちに手紙などをもらったものです。
ぼくは自分を大した医者とは思っていませんが、それでも患者からしたら、末期がんの状態にあって1日に何度も医者が病室に来てくれるのは、不安を除くことになったのでは・・・と思っています。

実は、ぼくは大岩先生にお世話になっています。ぼくが治療した七海(なつみ)ちゃんは、最期の段階を自宅で過ごすことを選びました。
ご両親は「楽しい時間が少しでも長くしたい」と言って、延命のための抗癌剤は拒否して、最も安心できる我が家の一室を、七海ちゃんが大好きだったアリエルのぬいぐるみなどで一杯に飾り、安心と楽しさに満ちた最後の日々を過ごしました。
その時に往診をお願いしたのが、大岩先生だったのです。
七海ちゃんは自宅が本当に楽しかったらしく、また不安なこともなく、そのせいでしょう、痛み止めはほんのちょっとしか使いませんでした。
そして苦しむことなく、天国へ旅立っていきました。

患者から不安を取るというのは、モルヒネを使うことと同じくらい大事なことだと思います。
そういう意味で、この本に書かれている「がんの最後は痛くない」というのは、大岩先生のような医師に出会えれば、まさに真実だとぼくは思うのです。

m3.com その32021年04月10日 13時12分37秒

m3.com のインタビュー3回目が公開されました。
https://www.m3.com/news/iryoishin/893913
会員登録していない人のために、以下に書き下します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
――コロナ禍で、全国的に小児科クリニックの受診が減っています。

 大人、高齢者の場合は、高血圧や糖尿病などいろんな病気がありますから、クリニックに行かざるを得ないんです。でも、子どもの場合はそういう生活習慣病ではないので、基本的には風邪や感染症で受診します。今、みんなが手洗いやマスクをして衛生環境が非常に高まっているので、風邪自体が減っている。もう一つは風邪くらいだったらクリニックに行かなくてもいいのではないか、クリニックに行ってコロナをうつされたら嫌だなということで、小児科の患者さんはとても減っています。耳鼻科さんもかなり患者さんが減っていると聞いています。

 2020年の僕の収入はかなり減りました。減りましたが、仕方がないです。患者さんが減るのは、子どもにとっていいことですから。

――今季、インフルエンザの子はいましたか。

 例年だと1日に40人くらい、インフルエンザの子が来るのですが、今季はまだゼロです(※インタビューは3月10日に実施)。すごいですよね。それだけ手洗いやマスクをちゃんとすると、インフルエンザは消えてしまうということです。

 今はクリニックが空いているので、それを利用して、例えば発達障害の子のご両親とみっちり30分間かけて話ができるので、空いているなりの診療の在り方があるのかなと思います。別にお金儲けを目的に開業医やっているわけではありませんから。

――とはいえ、経営的にはなかなか厳しいのでは。

 患者さんの数が3分の2くらいになりました。スタッフに払う給料と大家さんに払う家賃は同じですから、僕自身の収入は3分の2どころではありません。

 例えば、小児は採血するにも聴診するにも、看護師さんが押さえていてくれないと何もできません。内科のクリニックでは、看護師さんが診察室におらず、朝から夕まで採血室にいるということもありますが、うちのクリニックは診察室に看護師さんが2人いるんです。2人いないと、お子さんを押さえたり、お母さんに説明をしたりできませんから。患者さん1人に対する人件費のかかり方が全く違うので、内科と小児科と同じ1点1円というのは厳しいなと思います。

――今後の小児科クリニックの在り方はどのようになるでしょうか。

 子どものちょっとした風邪でクリニックに行く必要はないという価値観が定着するかもしれないし、案外喉元を過ぎれば熱さを忘れて、元に戻るかもしれないけど、まだちょっと予想がつかないです。

 でも、僕の希望的な思いを込めて言うと、日本の小児医療は多くの自治体でほぼ無料であったり数百円であったりして、非常にアクセスが容易になっています。僕はそれはやり過ぎで、本当に医師の助けが必要な人だけがクリニックに行くべきだと思っているので、コロナ禍で患者が減っているのは、本来あるべき姿かと思っています。

 ではその分、何をやるべきなのかというと健診と予防接種。特に健診は大事です。小児のかかりつけ医の仕事は、その子どもが0歳の時から、15歳になるまでの発達・発育に伴走していく、ご家族と一緒に走っていくことです。

――小児医療の魅力とは。

 小児医療の面白さは、発達・発育を診るということです。大人は発達・発育しませんから、僕なんてもうあとは枯れていくだけなんですけど、0歳の赤ちゃんは無限に伸びしろがありますよね。そういう0歳の赤ちゃん、生まれて0日の赤ちゃんのオペをすると、その子にはその後の八十何年の人生があるのかと思うと、やりがいがあります。

 もともと子ども好きというわけではなかったのですが、小児がんという病気に興味があって、小児外科に入りました。いざやってみると、子どものいろんな可能性やパワーがあって、子どもってすごいなと思いました。


――これまでは小児医療に関する著書が多いですが、今後、取り上げてみたいテーマはありますか。

 今考えているのは終末期医療です。2020年、ALSの患者さんに対する嘱託殺人容疑で医師が逮捕される事件がありました。あの事件は嘱託殺人なのか、安楽死なのか。人生の、人間の命の最終段階をどういう風に締めくくるかは、これからの時代ますます大事になっていくと考えています。

 2025年になると団塊の世代が後期高齢者になり、日本は超高齢社会から多死社会になるわけです。今、大多数の患者さんは病院で亡くなりますが、もう病床が足りなくなる恐れがあります。そうするといやが上にも自宅で亡くなる人が増えるはずで、どうやって人生をクローズするかというのは、小児医療をやっている僕にとっても、避けて通ることできないテーマなのかなと思っています。

 よく考えてみると僕も大学にいたとき、子どもの死をたくさん看取っています。大人はやがてみんな死にますから、医師が何千人の大人の死を看取るのは、考えてみれば当たり前の話です。だけど僕は子どもが亡くなる瞬間を100回以上看取ってきました。がんの子どもの場合は緩和ケアも随分やりました。

――当事者の方を取材して書いてみたいと考えているのですか。

 取材というとオーバーなんですけど、この間、千葉大学の脳卒中センターのセンター長の先生に話を聞きに行くことができました。小児でも大人でも結局同じですが、例えば脳に重篤な損傷があって、もうこれは回復不可能だというときには、最後の最後まで治療するというよりは、本人の生前の意思や家族の意思を最大限に尊重して、治療を望まれない場合には、治療レベルをゆっくり減らしていって、苦しむ時間が長くなるだけの治療はやらないようにしています。それは小児医療も、脳卒中でも変わらないんだと分かりました。

 今は、本当にどうやって最期をいい形にするかということに、現場の医師はかなりのエネルギーを使っていると思います。

 がんの子どもの末期になると、もう延命にあんまり意味がなくなってきて、いかに痛くないようにして、できれば楽しい時間を少しでも長く過ごすということに注力してきました。そういう人生の最終段階をいい形でクローズする。僕は、答えは決して安楽死みたいなことではないと思っているので、そういうことを深く考えて、本を作れればいいかなと思っています。

日本小児科学会・特別講演2021年04月14日 23時40分04秒

日本小児科学会・特別講演
16日(金)の午後と17日(土)は休診です。
京都で開催される日本小児科学会へ行ってきます。
コロナの流行状況もあり、観光は一切なし。学会場へ行くのみです。
ぼくの仕事は特別講演。大変名誉なことです。
ぼくがこれまで本を書いてきた中で学んだことを話します。医の倫理と使命についてです。
日本小児科学会は2万人の会員がいるそうです。小児外科学会の1000人とは桁違いです。
当日の学会は、現地に来る先生と、ライブ配信を視聴する先生と、二通りのようですが、それでも小児外科の学会とは規模の違う数の先生たちが来てくれるようです。
15年前に大学を辞めて、ぼくはこういう学術の世界では過去の人間と思っていました。しかし、京都府立医大の細井創教授がこうした機会を作ってくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。
スライドも何度も練り直して作り上げました。
細井先生の期待を裏切らない講演をしたいと思います。

その鎮静、ほんとうに必要ですか―がん終末期の緩和ケアを考える(大岩 孝司, 鈴木 喜代子)2021年04月15日 23時08分53秒

その鎮静、ほんとうに必要ですか―がん終末期の緩和ケアを考える
薄い本ですが、読むのに苦労しました。
けっこう難しいことが書いてあります。
がんの末期で疼痛緩和治療が行われます。それでも十分な除痛が得られない時は、鎮静をおこないます。薬を使って患者を眠らせるのですね。
痛みと意識(覚醒)は密接な関係がありますから、眠ってしまえば痛みも感じなくなるわけです。
(ただし、大岩先生はこれにも疑問を投げかけている)

ぼく自身も何度も鎮静をがんの子どもに行いましたし、ぼくの母親の終末期でも鎮静をお願いした経緯があります。
しかし、本書で大岩先生は鎮静を行うことを強く批判します。
まず、そもそも疼痛緩和ケアを行なっていながら、耐え難い痛みは存在しないと先生は言います。
もし患者が痛みを感じているならば、それは医療者と患者との間のコミュニケーション不足に原因があるというのです。
患者は不安になれば、痛みに対する閾値が下がりますから、痛みを強く感じるようになります。
だからしっかりとコミュニケーションをとって、患者の不安を取り除くことが重要になるのです。

そして鎮静という行為は、患者から意思疎通を奪い、極端に言えば、心の死をもたらします。
つまり大岩先生は、鎮静とは安楽死とほとんど変わらないと主張するのです。
先生は、緩和ケア医が死に慣れてしまっていて、鎮静を安易に行なうために、本来の全人的な緩和ケアを十分にしていないことを批判しています。
そう言われると、ぼくももう少しできることがあったような気もしますし、小児医療と成人の医療では違いがあるような気もします。ぼくと子どもとの間では、十分な会話はできませんので。
(がんの子どもはだいたい6歳未満です)

安楽死が認められないと同様に鎮静も認められないというのが先生の意見です。
しかしこれを逆の視点から見ると、鎮静は医療の中で広く行われている現実があるのですから、日本でも実は安楽死が日常化しているとも言えます。
大変勉強になった1冊でした。

京都へ 日本小児科学会2021年04月17日 20時53分19秒

京都へ 日本小児科学会
1泊で京都に行ってきました。日本小児科学会です。
コロナ禍で長距離移動は本当に久しぶりです。いえ、東京にだって行っていませんでした。
久しぶりに乗る新幹線のぞみ号。京都までわずか2時間ですが、これが長い。本を2冊持っていきましたが、1冊は数学の本で、最初の3ページで挫折しました。期待して買ったのですが、あまりにも難しすぎました。

京都に着いたのは夕方。現在、「まん延防止」ですから、レストランが20時で閉まってしまいます。タクシーに乗りますが、道は混雑。なかなか到着せず焦りました。
ホテルは、ザ・プリンス京都宝ヶ池。国際会議場の隣ですね。とても豪華な建物で、部屋も広々としていて立派でした。
急いでレストランに行き、ビールと料理を頼みます。
結構待たされて、時間を持て余しましたが、しかたないことです。料理の味は「びっくり」するほど美味しいというわけではありませんでした。つまり、まあまあでした。
部屋で風呂に入り、特にやることもないので、NHKとテレビ朝日のニュース番組を観ます。フィギュアスケートの織田さんが大泣きで鼻水まで流していたのにはびっくりしました。
なかなか寝つけませんでしたが、それでも就寝。当日を迎えました。

雨がかなり降っていましたが、ホテルから会議場まで道路に屋根が付いていて濡れることはありませんでした。
会場に入ると結構人がいるなと感じたのですが、会場を覗くと聴衆はまばらでした。
今回の学会はハイブリッド形式。現地に聴きに来る人と、ライブ配信を地元で視聴する人と両方です。
会頭の細井先生によれば、7000人の参加申し込みがあったそうです。これはかなり大きな数字で、現地だけの場合、ここまでの参加はないそうです。
つまりライブ配信があるのなら、学会に参加してみよう(視聴してみよう)という先生が結構いるということです。

僕の講演は学会中日(なかび)のお昼前。他の会場は全てクローズですから必然的に注目を浴びることになります。
座長をしていただく大阪母子医療センターの和田先生にご挨拶して、いよいよ登壇です。
メインホールですからかなり広い。こんな大きな会場で発表したことはないかもしれません。
聴衆はあまり多くはありませんでしたが、それでも2〜300人はいたと思います。こういう状況で僕は緊張するかというと・・・まったく緊張しません。ま、こういう場が好きなんですね。
時計を見ながら話すスピードを調整し、50分の講演時間を45分で終了しました。

全国ではライブ配信で、どれだけの先生が視聴してくれたのかよくわかりませんが、2〜3000人は見てくれたと思います。
みなさんの心に響くような講演ができたでしょうか?
仮に何かが伝わったとしたら、それは僕が関わった家族の力のおかげです。
ぼくは、重い障害を持つ子どもの家族に深く関わり寄り添って、いろいろなことを勉強させてもらいました。僕はそれを皆さんにお伝えしただけです。

大学病院の時と違って、開業医になると子どもの生命に直接関わることはほとんどなくなりますが、それでも障害を持った子どもたちとは関わり合いを持ちながら、自分にできることをコツコツと積み上げて、命について今後も考えていこうと思っています。
6月には上智大学で講演があります。コロナ禍で延期・中止になった講演が多数ありますが、来年くらいからは少しづつ活動を広げていければいいなと思っています。
写真は京都府立医大の細井先生。
こんな一介の開業医にすぎない僕を招待していただき、本当にありがとうございました。

帰りの新幹線はなぜかすぐに東京駅に着いた印象でした。やっぱり自宅の書斎が一番落ち着くな。
これを書きながらそんなことを感じています。