アクセスカウンター
アクセスカウンター

久しぶりに書きます2021年03月05日 21時58分40秒

全国100万人の・・・いえ、100人くらいの僕のブログ・ファンのみなさん、こんばんは。
久しぶりにブログを書きます。
ここ1年くらいは、書評以外のテーマでブログを書かなくなっていました。
昔は毎日書くことを自分に義務付けていましたので、mac の前で何を書こうかと、うんうん唸っていたものです。
で、あるときにそういうルーチンは辞めてしまおうと決めて、最近はもっぱら書評だけを書いていた訳です。
で、この2週間くらい書評を書いていません。
その理由は、専門書ばかりを読んでいたからです。
専門書の書評を書いてもしかたないですよね。
そんなわけで、間が空いてしまったのです。別に病気していたとか、体調が悪いとか、そういうことではありませんので、ご心配なく。
ただ・・・目が本当に悪くなっています。
老眼がどんどん進行しているのと別に、右目の近視がとても進んでいるのです。
ぼくは元々、ブラインドタッチができませんので、mac の入力が本当に遅くなって困っています。
これを解決するために、キーボードを替えようかと思っているのですが、Win のようにいろいろなものが無いんですよね。
どれがいいか、ちょっと研究中です。
ちなみに、東プレもHHKBも使った経験があります。

また面白い本を読んだら報告しますね。

週刊読書人に登場しました2021年03月06日 13時18分36秒

どんじり医
  ↑ クリックで拡大します

週刊読書人の図書館流通センター・書評コーナーに『どんじり医』の書評が載りました!
よかったら読んでみてください。

「在宅ホスピス」という仕組み(山崎 章郎)2021年03月06日 17時33分15秒

「在宅ホスピス」という仕組み
「在宅ホスピス」と言われると、何か特殊なシステムのように思ってしまうかもしれませんが、これは自宅で緩和ケアを受けて人生を全うすることを指しています。
2025年には団塊の世代が後期高齢者になり、日本は多死社会になります。1年間に150万人の人が亡くなるとすると、「死に場所」としての病床が足りなくなります。
すると必然的に自宅で看取ることが多くなるわけです。
しかしそのためには、訪問介護のほかに、訪問医療チームが必要になります。
訪問看護ステーションは千葉市でもけっこう存在しますが、人生の最終段階をケアしてくれる訪問医はあまりいません。
ぼくがFacebookでつながっている「しんじょう医院」の新城先生は、そうした緩和ケアの訪問医です。NHKにも長期取材をよく受けており、テレビでその診療の様子を見たりすることができます。
開業医の中には、とても楽をしてとても高い収入を得ている人がいますが(たとえば、患者をみないで薬だけ出す)、新城先生はその逆の生き方をしているのでしょう。
そういう先生に自分の人生の最後を見てもらいたいと強く感じます。
この本の筆者の山崎先生もそういう先生です。ぼくの母校の大先輩ですが、ぼくは若い頃に読んだ先生の『病院で死ぬということ』の価値が理解できませんでした。
若いぼくはただひたすらに赤ちゃんや癌の子どもの命を助けることに全力疾走で、死ぬ=敗北と考えていたからでしょう。
そのうちぼくも経験を重ね、死=終わり、ではないと考えるようになりました。
またぼく自身も何度か大きな病気をし、死を意識しました。また今年は還暦です。
自分で人間としての総合力が落ちていることがよく分かります。
人生の黄昏にあって、よりよい死を考えるのは必然かもしれません。
この本には大事なことがたくさん書いてあって、深く心を揺さぶられながら読みました。
良書です。

認知症の新しい常識(緑 慎也)2021年03月07日 20時46分41秒

認知症の新しい常識
ぼくは両親を4年前に相次いで失くしました。二人とも晩年は認知症でした。
認知症はイヤな病気ですね。子どもの顔が分からなくなりますから、コミュニケーションが取れなくなります。
ぼくは、両親の死に対して大変大きな悔いを残しています。
さて、そういうことを言っているうちに、ぼくも今年で還暦を迎えます。
視力の衰えとか、脚力の衰えを日々感じていますが、それ以上に不安に感じるのは記憶力の減退です。
診療に影響を及ぼすということはないのですが、本棚を眺めていると「あれ? こんな本、読んだっけ?」とすっかり内容を忘れていることが多々あるのです。
そこで自分の書いたブログを探してみると、ちゃんと書評が書いてあって、びっくりするやら、情けない思いをするのです。

認知症の大半を占めるのはアルツハイマー病。
この病気に対して、今まさに薬が認可されるかどうかという段階に来ています。
それがアデュカヌマブという薬。この3月にも承認されるか否かが決まります。世界がその結果を注目しています。
承認されれば(効果ありと判定されれば)、画期的な新薬となりますし、却下されればアルツハイマー病の治療への道は大きく遠のくでしょう。

本書は、アデュカヌマブのことだけでなく、生活習慣から認知症になりにくい方法などを紹介してくれています。
若い人にはあまり身に迫った話ではないかもしれませんが、みなさんも読んでみてはいかがでしょうか?

読売新聞の広告に登場(医学部受験)2021年03月10日 22時11分23秒

読売新聞の広告に登場
読売新聞の広告に登場しました。
医学部受験のための予備校の広告特集ですね。その中の1コーナーとして、インタビューに応じました。
今朝の新聞紙面に掲載されましたが、同じインタビューのロングバージョンはWEB上で公開されています。

ここですね。 ↓

https://yab.yomiuri.co.jp/topics/6018/

医学部受験に興味のある方はご覧になってください。

新型出生前診断の新しい流れ2021年03月16日 23時19分09秒

今日の読売新聞オンラインによると
・・・・・・・・・・・・・・・・
厚生労働省は、胎児がダウン症かどうかなどを調べる出生前検査について、全ての妊婦を対象に、情報提供をする方針を固めた。カウンセリング体制の不備などの課題があったため、国は医師が妊婦に積極的に知らせる必要はないとの見解を示していたが、約20年ぶりに方針転換する。
・・・・・・・・・・・・・・・・
とのことです。
実際には保健師さんが対面でパンフレットを使って説明するそうですが、そうしたカウンセラーに近い役割を果たせるでしょうか?
新型出生前診断で分かるのは、主にダウン症です。
ダウン症は、数ある障害の中のほんの一部に過ぎません。また障害もとりわけ重いものでもありません。
なぜ、ダウン症が検査のターゲットになっているかというと、「ダウン症ならば検査可能」だからに過ぎません。
ダウン症の子が生まれてきた方がいいのか、悪いのか、そういう熟慮の末に開発された検査法ではありません。

障害というのは、妊娠中から分かるものばかりではありません。重い知的障害を伴う自閉症の子は、1歳半くらいにならないと診断がつきません。
強度の行動障害を伴ったりすると、親の負担は大変なものがあります。ダウン症のケアとは、次元が異なります。

さて、出生前診断を受けることは、母親の「知る権利」のうちに入るでしょう。
では、21トリソミー(=ダウン症)の胎児を中絶することは許されるのでしょうか?
まず、そもそも、中絶というのはいかなる理由があっても「道徳的に立派な行為」ではありません。
ましてや、障害を理由に胎児を中絶することは日本の法律で禁じられています。
それでも法を拡大解釈して中絶をして、親は幸せになれるのでしょうか? 若いうちは平気かもしれませんが、10年、20年と時間が経ってから苦しみと悔いが増強してくるのではないでしょうか?
そして、こうした検査→中絶みたいなことが一般的になると、今を生きている障害者の権利を圧迫することも知っておく必要があります。
22週未満の胎児は確かに自力で生きることはほぼ不可能です。しかし、人として生きる権利の萌芽は持っています。
よく産科の先生は、「悩まないで検査を受ける妊婦もいないし、悩まないで中絶を選ぶ妊婦もいない」と言います。
だから、検査→中絶は許される(あるいは、やむをえない)という意見なのだと思いますが、「悩んだから」という理由で中絶が許容され、胎児の生命が絶たれるのはちょっと生命に対して畏敬の念が薄すぎるように思えます。
ダウン症の子を育てるのが、不幸だとか、負担だとか言い切るのは、あまりにも軽薄です。
ダウン症の子ども達は、この社会にたくさんいます。ぜひ、ダウン症の子を持つ家族に出会ってください。そしてその家族が不幸かどうか、自分の目で確かめてください。

誰も教えてくれなかったスピリチュアルケア(岡本 拓也)2021年03月17日 22時06分27秒

誰も教えてくれなかったスピリチュアルケア
Amazonの書評を読むと、分かりやすいという評価が多かったのですが、ぼくにはちょっと難しい本でした。
がんなどの難病に冒されると、人は4つの苦しみを経験します。
身体的な苦痛・・・文字通り体の痛みですね。
心理的な苦痛・・・不安とか恐怖とかですね。
社会的な苦痛・・・仕事ができないとか、お金の心配とかですね。
そして最後がスピリチュアルな痛みです。
では、このスピリチュアルペインとは一体何でしょうか?
それはなかなか簡単には述べられません。
一例をあげましょう。
「どうせ死ぬなら、なぜ自分は生まれてきたんだろう?」
こうした根源的な問い、自分の存在の根本に関わる疑問によって苦しむことが、スピリチュアルペインです。

ぼくもたくさんの子どもの死を看取ってきましたが、幼稚園児くらいの子どもには、「死」というものは理解できなかったと思います。
ただ、中学生くらいの子が亡くなるときは、対応に神経を使い、苦慮しました。
ある保護者が言っていました。
(終末期にあたって)「子どもは自分の人生を整理できないから可哀想だ」と。深い言葉です。

小さい子どもは「死」を理解できないと書きましたが、「死」を意識しながら亡くなっていった子は見た経験があります。
その子の表情や態度から、死の覚悟を決めていると感じたのです。

ぼくが医師になったのは1987年ですが、WHOががんの疼痛緩和ガイドラインを発表したのは1986年でした。
千葉大病院の当時の麻酔科の教授は疼痛緩和が専門であったため、ぼくは1年目の研修医の頃から、麻酔科医が小児病棟に足を運んで疼痛緩和ケアをしているのを目の当たりにしていました。

のちにぼくが小児がんの治療のリーダーになってからも、終末期のケアは自分なりに一生懸命やったつもりです。
子どもにとって、楽しい時間が少しでも長く続くように・・・痛みが限りなく少なくなるように・・・そういう努力をしました。
また、子どもを失うご両親に対しては、スピリチュアルケアを自分なりにやってきました。

2025年に団塊の世代が後期高齢者になり、多死社会を迎えます。どうやって人生の最終ステージを生きるのか(閉じるのか)、これからますます大事になっていくし、医師の責任も重いと感じます。

医療現場は地獄の戦場だった(井上 理津子, 大内 啓)2021年03月20日 22時22分14秒

医療現場は地獄の戦場だった
本としての完成度には少し疑問がつきますが、知らないことがいくつかあって参考になりました。

アメリカは州によって法律や社会のシステムが異なりますので、この本に書かれたことがアメリカのすべてではありません。
口述筆者の医師は、マサチューセッツ州のブリガム・アンド・ウィメンズ病院勤務です。
コロナが流行し始めたとき、マサチューセッツ州の主要病院は、コロナ以外の患者を診ることを一切停止したそうです。
日本と違って病床が足りた理由はこれでしょう。
しかし、病気はコロナだけではありませんから、癌や心筋梗塞、脳卒中の患者の救命率は相当低下したのではないでしょうか?

また、アメリカには、日本でいう保健所に相当するものがないそうです。
患者はとにかくERに運び込まれて、重症肺炎であれば入院だし、軽症であればコロナ陽性でも自宅へ帰されるそうです。
日本みたいに全例、入院またはホテル療養ということはありません。
自宅で2週間おとなしくしててねと言われるだけで、呼吸困難になったら病院に連絡を取るそうです。
これではコロナが大流行するのは当然です。
日本では保健所が、濃厚接触者を追跡していってPCRを行いますから、日米の違いは顕著です。
それから、アメリカ人はマスクをつける習慣がないことも書かれていました。
ま、これは有名な話ですね。

麻生さんは、日本でコロナが少ない理由を「民度が違う」と発言しましたが、保健所の人たちの頑張りをまず挙げる必要があるのではないでしょうか?

アメリカでは、ERの医師の仕事は病気の重症度を判定して、必要なら挿管することです。あとは、ICU の医師に引き継がれます。
ICU の医師は救急救命医ですから、人工呼吸器やエクモの取り扱いに慣れていると思いますが、感染症の知識はどうなんでしょうか?
感染症専門医もICUの治療に参加するのかな? そこは一切書かれていませんでした。
悪く言えば、ERの先生は挿管するだけです。
分業が徹底しているアメリカの医療らしい話ですね。

本の後半には、口述著者の医学部受験などの個人史が書かれていますが、さすがにその部分には興味を持てなかったです。
また、日米の医療制度の違いも、ほとんど常識的なことが述べられているだけの感じでした。

専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話(忽那 賢志)2021年03月20日 22時52分13秒

専門医が教える 新型コロナ・感染症の本当の話
まず、この先生は文章がうまいなと思いました。
先生は、「yahoo! 個人」に記事を連載していたとのことですから、この文章はゴーストライターではなく、自分で書いたのでしょう。
非常にわかりやすく、内容にも偏りがなく、データがまだ不足しているテーマについては、はっきりとそのように述べています。
一番面白かったのは、最後の方のコロナ報道やそれに対するメディアリテラシーの話です。
また、感染症の大流行に対して国がどう対応すべきかの議論も興味深く読みました。
日本には感染症の専門医が1500人くらいしかいません。それは当然で、ふだんは感染症が大きな脅威になっていないからです。
日本人の死因のメジャーは、癌・心疾患・脳血管疾患です。老衰や肺炎もありますが、高齢者の肺炎は感染症というよりも人生の閉じ方の一つの形です。
したがって成人医療で感染症を専門にしている医師は非常に少なく、千葉大の感染症管理治療部の先生も以前は小児科医が担当していました。
メディアリテラシーは大事な問題で、「コロナはただの風邪」とか「インフルエンザの方が怖い」とか「したがって経済を止める緊急事態宣言は不要」という意見を言う人もいます。
それは、まあ自由に発言して構わないのですが、専門家ではない漫画家さんが毎日新聞のロングインタビューで自説を語るのはどうかと思います。漫画家さんが・・・ではなくて、新聞が、です。
新型コロナはあと数年で普通のウイルス性疾患になり、パンデミックも収まると思われます。
その時、国は、次のパンデミックに備えて準備を整えるでしょうか?それとも別のことにお金を使うでしょうか?
そこに興味がありますね。

m3.com からインタビューを受けました2021年03月28日 19時25分23秒

m3.com からインタビューを受けました
m3.com というのは医療情報WEBサイトです。医療関係者が読んでいます。
そこからインタビューを受け、全3回で掲載されます。今日は第1回目。拙著『どんじり医』を巡ってです。
https://www.m3.com/news/iryoishin/893911?fbclid=IwAR3Vqvh6JUTeUutCFqmjIbyUcdmF0Ie8TEkRZVKSvCzGqn2UPhRiw2brSkc
これを見るためのは会員登録する必要がありますので、以下に内容を書き下しますね。よかったら読んでください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
千葉市で小児科・小児外科の松永クリニックを経営する傍ら、12冊の本を書いてきた松永正訓氏が初めてのエッセイ『どんじり医』(CCCメディアハウス)を上梓した。理転して数学や物理に悪戦苦闘した医学部受験、ラグビーや麻雀に明け暮れた大学時代、研修医としての過酷な勤務――、さまざまな経験をつづった松永氏に若手時代の思い出や開業後の医師人生、今の若手医師へのメッセージなどを聞いた(2021年3月10日にインタビュー、全3回連載)。
――これまで、染色体異常の乳幼児の2年間の様子をつづり、小学館ノンフィクション大賞を受賞した『運命の子』(小学館)など多くの著書がありますが、この時期にエッセイを書いた理由を教えてください。
 医師から作家になった方は、自分の青春記みたいなものを書いている方が多く、北杜夫さん、なだいなださん、渡辺淳一さん、久坂部羊さん達が書いているのを読んで、自分の体験に重ね合わせて楽しんでいました。青春時代というのは、いろんなことがあって、バカなことも随分やった楽しい思い出がたくさんあるので、いつかはその時期のことを書きたいという気持ちがありました。
 そうしたら昨年、編集者の方からエッセイの依頼が来たので、「ぜひ青春記を書きたい」と二つ返事で、書くことになりました。
――なぜ青春期のタイトルを『どんじり医』としたのですか。
 僕の青春の特徴は何かというと、本のタイトルの通り「どんじり」だったんですよ。
 千葉大学の医学部は定員120人なんですけど、きっと僕は120番目だっただろうなと自分で思っています。というのも、僕はもともと文系で、数学や物理が苦手なんです。
――文学少年だったと。
 はい、一番好きな作家は大江健三郎です。高校時代に近代文学鑑賞クラブに入っていたので、田宮虎彦の『足摺岬』、梅崎春生の『桜島』、梶井基次郎の『檸檬』、田中英光の『オリンポスの果実』など、近現代の作品は結構読みました。三島由紀夫も『金閣寺』をはじめとしていくつか読みました。でも一番引き込まれたのはやっぱり大江健三郎です。あのウネウネと曲がりくねったような文章が好きです。
――先生自身は小説は書かないのですか。
 フィクションは無理です。そんな才能があるとは自分ではとても思えないので。
――医師の方は理系で数学に強い方が多い印象があります。
 数学なんて、難しい問題を見るともう頭フリーズしちゃうんです。真っ白になって何もひらめかない。なので、浪人中の1年間かけて予備校のテキストに出てくる数学の問題を、暗記することにしました。今でも数学は暗記だと思っています。いくら考えても分からないので。数学の問題のあらゆるパターンを暗記して、パターン認識するわけです。試験問題が出たとき、これはこのパターンだ、これはこういうパターンだって認識して、記憶力を呼び覚まして解くという方法で、医学部受験を乗り越えました。だから数学が苦手で悩んでいる人には、僕のアドバイスを役に立ててほしいです。
 受験を頑張るためには大事なことが2点あって、授業を真面目に聴くことと、計画を立てる能力です。試験の日まで365日計画を立てて、自分の知識や感性のピークを受験の日に持っていく計画が必要だと思います。
 浪人した年の4月から予備校に通い始めたのですが、5~12月頃の模擬試験は全部E判定だったんです。
――千葉大ですか。
 はい、合格圏に入ったことが1回もないんです。だけど全く気にせず、2月の受験の日にピークを持っていけば受かるはずだと信じて勉強しました。
――受験本番の時も手応えがなかったと書いていますね。
 僕はそもそも、平均点が高い問題に対して取りこぼしをしないというのは割とできるんですけど、難問・奇問が出ると全く解けないんです。だからセンター試験ならいい点を取れるけど、2次試験になるときついなと、センターで稼いでおかないとまずいなと思っていました。だけど、現役の年も、1浪の年も、思ったほどセンターが解けずに本当に焦りました。2次試験に向けてもう本当に必死になって勉強しました。
――それでも無事、千葉大へ。
 一般教養を2年間学び、専門課程に上がる前にテストがあるのですが、そこでも数学や物理がもう本当に難しくて、必死の思いで勉強して、受験勉強よりも大変でした。同級生はみんな開成や麻布出身の頭いい子ばかりで、本当にどんじりだったんだけど、なんとか頑張って医学部専門課程に上がりました。
 専門課程に上がったら、もう毎日、酒とラグビーとマージャンの日々です(笑)。
 学ぶというよりは、やっぱり友達がたくさんできたっていうのが、僕の青春時代の一番の財産です。
 僕がもしすごい秀才だったら、エッセイを書いてもつまらないと思うのですが、アホな人間が書いたエッセイは面白いだろうなと思いました。どんだけ「どんじり」だったかを書いて、世の中の受験生の皆さんに、「俺を見ろ。世の中、下には下がいるんだ」という想いを込めました。
――2020年10月に出版後、知り合いの先生から何か反響はありましたか。
 友人・知人からはたくさんメールもらったり、SNS上で反応があったりしました。今まで12冊の本を書いているんですけど、これほどいろんな人から面白いと言ってもらった本は初めてです。友人・知人は医師が多いので通じ合うところがあるのか、自分の医学生・研修医時代を思い出したと言ってくれる方がとても多いです。「松永先生って実は文系だったの」などと聞かれることもあります。
――ちょっと甘酸っぱいエピソードもあって。
 そうですね。いろんなことありました。
――もっと書きたかったエピソードもありますか。
 最初、出版社からは6万字で書いてくれと言われました。僕は文章を書くのが速くて、10万字くらいはすぐ書いてしまうので、もう少し書きたかったのですが、一応6万字で原稿を出しました。そうしたら、編集者の方が面白いと言ってくれて、計7万字に書き足したという経緯です。
 僕としては、もっと書きたいエピソードがたくさんあって、そうすると10万字くらいになるのかなと思っています。知り合いからは、家内との出会いがあっさりしていると指摘されました(笑)。
 ほかには、学生のときラグビーをやっていたので、面白いことがたくさんありました。お酒に関する面白いエピソードもたくさんあるし、あの時代の大学生って暇さえあれば麻雀ばかりやっていたので、そこでも楽しいことがたくさんありました。皆さんそうだと思いますが、60歳くらいになって人生を振り返ると、やっぱり大学生の頃が一番キラキラと輝いていたというか、一番楽しくて、いろんな思い出がたくさんある時期じゃないですか。
 10万字書けと言われれば10万字書くし、12万字と言われれば12万字でも書けたかなと思います。実際、確か1カ月くらいで書きましたから。
――すごいですね。
 頭の中で文章を作ってしまうんです、全部。頭の中でもう書くべき文章を思い浮かべて、あとは頭の中で作った文章を一生懸命パチパチタイプしていくという感じです。タイピングは遅いのですが。
――論文などの書き方とは、また全然違いますか。
 今から考えると、英語論文を書くときもやっぱり頭の中で文章を組み立てていたと思います。才能があるとは思いませんけど、書くのは好きです。
――前文でも少し書かれていましたが、コロナ禍で医師の仕事に注目が集まっています。医師を目指す若者が増えているという調査結果や、大学入試共通テストで医学部の志願者数が増えたというデータがあります。
 それはとてもうれしいです。医師ってとてもいい仕事だと思います。医師の仕事って何かと簡単に言ってしまえば、人を助ける仕事でしょう。一般の方は誰か困っている人を道端で見ても、なかなか助けてあげることができないし、そもそもそんな機会に滅多に合わないじゃないですか。道を歩いていて、車いすの方が側溝にはまって動きが取れなくなってしまってとか、そんな場面に出合うことなんて1年に1回あるかないかです。
 だけど「お医者さん」は1日に70人の患者さんが来ると70回の人助けができるんです。こんないい仕事ないと思いますよ。やりがいがあるいい仕事だと思いますから、若い人には文理問わず、ぜひ医師を目指してほしいと思います。