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その鎮静、ほんとうに必要ですか―がん終末期の緩和ケアを考える(大岩 孝司, 鈴木 喜代子)2021年04月15日 23時08分53秒

その鎮静、ほんとうに必要ですか―がん終末期の緩和ケアを考える
薄い本ですが、読むのに苦労しました。
けっこう難しいことが書いてあります。
がんの末期で疼痛緩和治療が行われます。それでも十分な除痛が得られない時は、鎮静をおこないます。薬を使って患者を眠らせるのですね。
痛みと意識(覚醒)は密接な関係がありますから、眠ってしまえば痛みも感じなくなるわけです。
(ただし、大岩先生はこれにも疑問を投げかけている)

ぼく自身も何度も鎮静をがんの子どもに行いましたし、ぼくの母親の終末期でも鎮静をお願いした経緯があります。
しかし、本書で大岩先生は鎮静を行うことを強く批判します。
まず、そもそも疼痛緩和ケアを行なっていながら、耐え難い痛みは存在しないと先生は言います。
もし患者が痛みを感じているならば、それは医療者と患者との間のコミュニケーション不足に原因があるというのです。
患者は不安になれば、痛みに対する閾値が下がりますから、痛みを強く感じるようになります。
だからしっかりとコミュニケーションをとって、患者の不安を取り除くことが重要になるのです。

そして鎮静という行為は、患者から意思疎通を奪い、極端に言えば、心の死をもたらします。
つまり大岩先生は、鎮静とは安楽死とほとんど変わらないと主張するのです。
先生は、緩和ケア医が死に慣れてしまっていて、鎮静を安易に行なうために、本来の全人的な緩和ケアを十分にしていないことを批判しています。
そう言われると、ぼくももう少しできることがあったような気もしますし、小児医療と成人の医療では違いがあるような気もします。ぼくと子どもとの間では、十分な会話はできませんので。
(がんの子どもはだいたい6歳未満です)

安楽死が認められないと同様に鎮静も認められないというのが先生の意見です。
しかしこれを逆の視点から見ると、鎮静は医療の中で広く行われている現実があるのですから、日本でも実は安楽死が日常化しているとも言えます。
大変勉強になった1冊でした。