アクセスカウンター
アクセスカウンター

「命のカレンダー」を語る その52009年07月08日 19時39分20秒

さらに自著を語ります。

第5章では七海(なつみ)ちゃんが登場します。

七海ちゃんの愛らしさは本に書いた通りなので、これ以上は書きません。
ご両親は本当にインテリジェンスが高い夫婦でした。
ママはベルギーの方で、日本語が大変上手です。
でも夫婦の会話は英語でしたね。

神経芽腫に関する英語の専門文献を読んでしまう二人でしたから、最先端の医学知識を持っていました。
千葉大学の医学生はとてもかなわなかったでしょうね。
いや、小児がんを専門にしていない医者だと、この二人の質問には答えられなかったでしょう。

ですからご夫婦は、千葉大で治療を受けることに全然拘っていませんでした。
世界で一番良い施設に行きたいと。
自宅を売り払っても、お金は作ると。

結局、千葉大で治療を受けた訳ですが、千葉大という施設に完全に満足していた訳ではありません。
ただ、僕が「どんな質問にもすべて答える」と言って、実際に答えたので、信頼を得たのでしょう。

しかし最期の最期では、僕の力は必要としていませんでした。
自立した立派な家族でした。
七海ちゃんが死期を悟って、楽しい思い出を目にコピーする場面などは、僕は本を書きながら涙で字がにじみました。

葬儀が終わった後、約束無しで二人が僕の外来に突然表れました。
そして僕は、いろいろな話を聞きました。
そのあたりは本に書いた通りです。
実は、葬儀後に患者さん家族が面会を求めて来たのは、これが初めてでした。
僕は何と返答していいか分からず、ただ黙って話を聞いていました。
ご夫婦の言葉は時間の経過と共にだんだん重みを増して行きました。

それまでの僕は未来に向かってただ突っ走る医者でしたが、過去も少し振り返るようになりました。
七海ちゃんのご家族には本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。
もちろん今でも交流があります。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック