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「命のカレンダー」を語る その42009年07月07日 22時14分11秒

自著を語る、の続きです。

第4章では夏美ちゃんが登場します。
夏美ちゃんの闘病は、本当に壮絶でした。

僕はこれまでに200人以上の小児がんのお子さんの闘病に関わってきましたが、夏美ちゃんの病気くらい悪性度が高い腫瘍は他になかったかもしれません。
抗がん剤がまったく効かず、まるで坂道を転げるような勢いで腫瘍が大きくなっていきました。

本には書きませんでしたが、夏美ちゃんにはきょうだいが何人かいて、みんなで「ジャンケン」をすると必ず夏美ちゃんが勝ったそうです。
一度もジャンケンに負けたことのない夏美が、なんでよりによってこんな病気にと、何度もお父様が言っていました。

夏美ちゃんは入院した時から生命の危機があるくらいの重症でしたから、闘病生活は最後まで個室でした。
これは夏美ちゃんやご家族にとっては本当に辛かったと思います。
大部屋には、同じ病気の子どもたちがいますから、もし大部屋で闘病できれば夏美ちゃんご家族はもっと精神的に楽だったと思います。

ご両親の夏美ちゃんに対する愛情の深さは、本当にものすごいものだと思いました。
最後の最後の瞬間まで、絶対に諦めないんですね。
奇跡を信じて待っているんです。
僕は、「ああ、最後まで信じてあげられるのは親だけなんだな」と深く感銘しました。

僕は主治医として治療にあたって、猛烈な精神的なプレッシャーを感じました。
もう、ありとあらゆる治療をやり尽くしても、ご両親から次の治療、もっと良い治療を求められる。
僕は毎日、胃を押さえながら大学病院に出勤していました。
本を執筆していた時も、あの時の感覚を思い出して、胃を押さえながら書きました。

僕は本を書くにあたって、どうしても夏美ちゃんを実名で書きたいと思いました。
そこでカルテを引っ張り出して住所を調べ、思い切って手紙を書きました。
10年ぶりの手紙です。
するとメールで返信があり、その後のご家族の心境が綴られていました。
その内容をここで書く訳にはいきませんが、親子の愛情は永遠に不滅であることを知らされました。

第4章のタイトルは「普通とは違う道」です。
僕は夏美ちゃんの闘病の時に、自分の人生は「普通とは違う道」なんだと自覚しました。
そしていつかこのことを、世の中の人たちに伝えなければならないと思いました。

夏美ちゃんの闘病は、いろいろな意味において僕の医者の、いや、人生のターニング・ポイントになりました。