「受精卵診断と出生前診断―その導入をめぐる争いの現代史」利光 惠子 ― 2014年09月28日 21時09分20秒
ちょっと頭の中を整理したくなったので、以前に読んだ本書を再読しました。
「運命の子 トリソミー」の中でもちょっと触れましたが、受精卵診断とは、体外受精でできた受精卵が4〜8個に分割(分裂)したときに、そのうちの1個を取り除いて遺伝子診断するというものです。
病気がない受精卵だと判明すれば受精卵を子宮内へ入れるという流れになりますので、中絶という問題をクリアできる訳です。
こう書くと簡単ですが、遺伝子診断とは何か? という問題があります。
たとえば筋ジストロフィーという重い遺伝性の病気。
PCRという技術を使えば、遺伝子に異常があるかどうかすぐに判明します。
果たしてこの診断技術は「優生思想」でしょうか?
「日本筋ジストロフィー協会」はこの技術を、積極的ではないにしろ、容認の姿勢をみせています。
一方で、「神経筋疾患ネットワーク」というグループはこれに反対しています。
そして受精卵診断で明らかになるのは、重篤な遺伝性疾患だけではありません。
染色体同士が部分的に入れ替わっている状態を「均衡型転座」と言います。
入れ替わっているだけですから、結果としてタンパク質は100%の量が作られますから、親には異常はでません。
ところが、減数分裂で染色体が半分になるとき、1/2の確率で「欠けた染色体」が受精卵に持ち込まれます。
これを「不均衡転座」と言い、流産の原因になります。
3回以上流産をくり返す状態を「習慣流産」と言いますが、染色体転座が原因になっている可能性があります。
流産というのは女性にとって大変な苦痛を伴いますので、受精卵診断をおこなえば、流産を回避できる可能性がある訳です。
(ただし、この技術で実際に子どもを持つ確率があがるとは証明されていない。なぜならば、体外受精というのはそれ自体、妊娠率が低いから)
障害児の胚を捨てるのではないから、優生的にも問題が少ないと考えることができるのですね。
「不均衡転座」の有無は、FISHという技術を使います。
ところが話がややこしいのは、どうせなら、すべての染色体に異常がないかどうか網羅的に調べようという発想が湧くことです。
この場合、アレイCGHという技術を使います。
こうなると、一転して受精卵診断は受精卵スクリーニング(ふるい分け)になり、優生的な色彩が濃くなるのです。
では大雑把に、受精卵診断に賛成か反対かと問われれば・・・。
ぼくは総論としては反対ですが、各論としては賛成せざるを得ないかなと思います。
ただし、受精卵スクリーニングはやるべきではないと考えます。
受精卵診断は、重篤な遺伝性疾患がコアになっていて、そこに二人羽織のように「不均衡転座による習慣流産」が覆い被さった構造になっています。
表面からは「流産に苦しむ母親にとって福音」という部分がよく見えますが、一皮むけばそこに優生思想が内包されていない訳ではありません。
もちろん赤ちゃんを望む気持ちは、母性にこそ圧倒的に強いと思われますが、受精卵診断というメカニズムに母体が組み込まれ、周囲の圧力で母親が子どもを産む「役割」を担当させられているようにも見えます。
昔、自民党の閣僚が言いましたよね? 女性は子どもを産む機械と。
あの台詞を思い出してしまうんです。
筋ジストロフィーに話を戻せば、病気の当事者家族が受精卵診断を受けようと決意したら、それはもう責められないと思います。
ある意味、自己を否定して乗り越えていこうとしているのですから。
「青い芝の会」の横田弘さんも著作の中で、CP者が出生前診断を受けることは、己の否定であると言っていました。
病気の辛さを骨の髄まで分かっているのだから、そこには優生思想は無いでしょう。
さらに付け足すと、筋ジストロフィーという遺伝性の疾患は、ある意味で「中途障害」に重なる部分があるんですよね。
よく「障害は個性だ」という言葉を聞きますが、ぼくはこの言葉は嫌いで、「障害はその人の属性」という表現が良いと思います。
CP者はまさに、CPという状態が生まれついての属性ですが、筋ジストロフィーの場合は、途中まで健全者なんですね。
たしかに世の中には20〜30代で癌で死ぬ人もいますが、筋ジストロフィーの患者さんの辛さはそれとはちょっと違うと思うし、CP者とも少し違うと思うんです。
もちろん、どちがら良いとか悪いとか、上とか下とか言っているのではありません。
筋ジストロフィーの胚を破棄することが、許し難い優生思想なのか、ちょっと返答に窮する部分もあります。
ま、ぼくも今後考えを重ねて、結論が変化するかもしれませんが、現状ではそんな風に考えています。
「運命の子 トリソミー」の中でもちょっと触れましたが、受精卵診断とは、体外受精でできた受精卵が4〜8個に分割(分裂)したときに、そのうちの1個を取り除いて遺伝子診断するというものです。
病気がない受精卵だと判明すれば受精卵を子宮内へ入れるという流れになりますので、中絶という問題をクリアできる訳です。
こう書くと簡単ですが、遺伝子診断とは何か? という問題があります。
たとえば筋ジストロフィーという重い遺伝性の病気。
PCRという技術を使えば、遺伝子に異常があるかどうかすぐに判明します。
果たしてこの診断技術は「優生思想」でしょうか?
「日本筋ジストロフィー協会」はこの技術を、積極的ではないにしろ、容認の姿勢をみせています。
一方で、「神経筋疾患ネットワーク」というグループはこれに反対しています。
そして受精卵診断で明らかになるのは、重篤な遺伝性疾患だけではありません。
染色体同士が部分的に入れ替わっている状態を「均衡型転座」と言います。
入れ替わっているだけですから、結果としてタンパク質は100%の量が作られますから、親には異常はでません。
ところが、減数分裂で染色体が半分になるとき、1/2の確率で「欠けた染色体」が受精卵に持ち込まれます。
これを「不均衡転座」と言い、流産の原因になります。
3回以上流産をくり返す状態を「習慣流産」と言いますが、染色体転座が原因になっている可能性があります。
流産というのは女性にとって大変な苦痛を伴いますので、受精卵診断をおこなえば、流産を回避できる可能性がある訳です。
(ただし、この技術で実際に子どもを持つ確率があがるとは証明されていない。なぜならば、体外受精というのはそれ自体、妊娠率が低いから)
障害児の胚を捨てるのではないから、優生的にも問題が少ないと考えることができるのですね。
「不均衡転座」の有無は、FISHという技術を使います。
ところが話がややこしいのは、どうせなら、すべての染色体に異常がないかどうか網羅的に調べようという発想が湧くことです。
この場合、アレイCGHという技術を使います。
こうなると、一転して受精卵診断は受精卵スクリーニング(ふるい分け)になり、優生的な色彩が濃くなるのです。
では大雑把に、受精卵診断に賛成か反対かと問われれば・・・。
ぼくは総論としては反対ですが、各論としては賛成せざるを得ないかなと思います。
ただし、受精卵スクリーニングはやるべきではないと考えます。
受精卵診断は、重篤な遺伝性疾患がコアになっていて、そこに二人羽織のように「不均衡転座による習慣流産」が覆い被さった構造になっています。
表面からは「流産に苦しむ母親にとって福音」という部分がよく見えますが、一皮むけばそこに優生思想が内包されていない訳ではありません。
もちろん赤ちゃんを望む気持ちは、母性にこそ圧倒的に強いと思われますが、受精卵診断というメカニズムに母体が組み込まれ、周囲の圧力で母親が子どもを産む「役割」を担当させられているようにも見えます。
昔、自民党の閣僚が言いましたよね? 女性は子どもを産む機械と。
あの台詞を思い出してしまうんです。
筋ジストロフィーに話を戻せば、病気の当事者家族が受精卵診断を受けようと決意したら、それはもう責められないと思います。
ある意味、自己を否定して乗り越えていこうとしているのですから。
「青い芝の会」の横田弘さんも著作の中で、CP者が出生前診断を受けることは、己の否定であると言っていました。
病気の辛さを骨の髄まで分かっているのだから、そこには優生思想は無いでしょう。
さらに付け足すと、筋ジストロフィーという遺伝性の疾患は、ある意味で「中途障害」に重なる部分があるんですよね。
よく「障害は個性だ」という言葉を聞きますが、ぼくはこの言葉は嫌いで、「障害はその人の属性」という表現が良いと思います。
CP者はまさに、CPという状態が生まれついての属性ですが、筋ジストロフィーの場合は、途中まで健全者なんですね。
たしかに世の中には20〜30代で癌で死ぬ人もいますが、筋ジストロフィーの患者さんの辛さはそれとはちょっと違うと思うし、CP者とも少し違うと思うんです。
もちろん、どちがら良いとか悪いとか、上とか下とか言っているのではありません。
筋ジストロフィーの胚を破棄することが、許し難い優生思想なのか、ちょっと返答に窮する部分もあります。
ま、ぼくも今後考えを重ねて、結論が変化するかもしれませんが、現状ではそんな風に考えています。
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