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我が祖国は「恥の文化」か?2014年09月17日 20時53分52秒

再来週、宮崎に行って、自立生活をしておられる障害者の会で講演をする予定です。
そのためのスライドをおよそ60枚作成しました。
出生前診断に関する生命倫理を論じるものです。

障害胎児をなぜ堕胎してはいけないのか?
それには2つの理由があります。

まず、「社会の風潮」として優生思想が広まること。
優生思想が広まれば、堕胎の心理的ハードルは(特に男性は無知)、さらに下がりますから、悪循環になります。
優生思想を「是」として認める国も先進国の中に(たとえばフランス)ありますが、優生思想の欠点は、「弱者の排除」にキリが無いことです。

そして、障害を理由に堕胎することは女性にとって大変な苦痛をもたらします。
もちろん、世の中には、そうした行為に何の抵抗を感じない人もいるかもしれません。
あるいは、障害児は絶対に受け入れられないと言い張る母親がいるかもしれません。
しかし、中絶は苦痛です。
ぼくは、人工妊娠中絶をおこなった女性の手記を読もうと思ってかなり本を探したのですが、非常に少ない(無くはない)。
やはり堂々と書けないのでしょう。

ルース・ベネディクトは「欧米人は罪の文化、日本人は恥の文化」と言いました。
この「上から目線」はどうかと思いますが、日本人は罪の意識ではなく恥の感覚によって行動規範が変わるという説は、広く世界に流布しているのではないでしょうか?

だけど本当に日本人は「罪」を意識しない民族でしょうか?

日本には「水子供養」という習わしがあります。
Wikipediaで調べると、これはお寺さんの「資本の論理」によってできたみたいな記載がありますが、それは正しくないようです。
この風習は、江戸末期から明治にかけて民衆の間から自然と湧きあがり、お寺がその気持ちをくみ上げたのです。
中絶した赤ちゃんを供養するという風習は日本にしかありません。
日本人こそ罪を深く感じる民族であり、それくらい日本女性にとって人工妊娠中絶は心にダメージを与えるものなのです。
そしてその理由が「胎児の障害」であれば、母親の罪の意識はますます強くなるでしょう。

ヒルコ(蛭子)がエビス(恵比寿=蛭子)になって復帰したのは、間違いなく日本人の贖罪の念に由来しているはずです。

先日、湯島で「ちょっとハードなカフェサロン」で喋った時に、障害児を受け入れられない「個人の気持ち」は変えられなくても「社会の気持ち」は変わるという重要な指摘がありました。
はい、まったくその通りです。
ぼくの知人の産科医は、これまでに数え切れない程の数の人工妊娠中絶を経験してきました。
悩みに悩み抜いた母親と一緒になって苦しんだと言います。
その一方で、気安い気持ちで堕胎をくり返す女性もいると聞きます。

障害胎児を受容できない親に対して、首に縄を付けて無理矢理産ませることは不可能です。
ですが、社会の風潮が変化し、堕胎という行為が女性を傷つけると広く知られるようになれば、世間の風向きは変わっていくのではないでしょうか?

障害児・障害者に優しい社会というのは、健全者自身が将来に安心を見いだせる社会です。
ぼくの人生の残り時間で、ぼくが人に影響を及ぼす力などは高が知れていますが、発言を続けていくつもりです。