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8月3日(日)2014年08月01日 12時42分54秒

千葉県教育会館
「重症心身障害児者の地域生活を考える」市民公開フォーラムが開催されます。

8月3日(日)13時30分から。
千葉県教育会館。  http://chibaken-kaikan.or.jp
入場無料です。

ちょっと不謹慎な表現かもしれませんが、人に何かを伝えるには本でも口頭発表でも、「面白い」ことが最も重要です。
プレゼンに関しては、大学時代に相当鍛えられたので、つまらない話をするつもりはありません。
ぜひ、大勢の健全者の来場をお待ちしています。

フォーラムの後には懇親会があるのですが、ぼくは泣く泣く欠席。
ぼくが行くと気を使ってしまう関係者が多いだろうという気持ちと、体調管理を常に万全にしたいので、疲れを残さないためです。

障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ 荒井 裕樹2014年08月02日 23時16分35秒

障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ
圧倒される思いで一気に読みました。

内容はタイトル通り、障害と文学。
日本の障害者運動は、「綴る」ことから発展していったのです。

青い芝の会のオピニオン・リーダーであった横田さんは詩人でもありました。
横田さんがマハラバ村に参加する前に詩作に励んでいたその舞台が「しののめ」でした。

詩を書くことで横田さんは自分の思想を育み、そして大仏和尚と出会うことで一気に突き抜けたのでしょう。

本書ではマハラバ村に参加する前の横田さんの詩について精密に批評しています。なるほど、こう読むのか。

マハラバから下山した後、横田さんは「障害児殺し」に強く拘って鋭い批判の矢を放ちました。
その理由は、実際に自分が殺される可能性があったからでしょう。
横田さんの父親が事故で首の骨を折り、働けなくなってから、父子は同室で息の詰まるような毎日を過ごしました。
歩くことすらできない横田さんは、他人に簡単に殺されてしまう存在です。
父親との緊張に満ちた時間が横田さんの思想の基盤になっているのでしょう。
横田さんはこの緊張から逃れるためにコロニーに参加した訳です。

横田さんや横塚さんらの自立障害者たちの闘いとは、「大型収容施設からの脱却」と「家族からの脱却」を意味するのですね。
そして自立とは秘密やプライバシーを持つことであり、もっと直截に言えば「性」のタブーを破ることです。

「こんな夜更けにバナナかよ」を読んだ時、シカノさんにプライバシーが無いことに驚き感嘆しましたが、こうして横田さんの生き方を見直すと、CP者と筋ジスとでは、まったく異なる自立の在り方が浮かび上がってきます。

しかし、筆者の荒井裕樹さん。
ぼくよりも20歳くらい若いではないですか。
嫉妬や羨望を通り越して、尊敬してしまいます。
大変な良書です。

自殺2014年08月05日 23時25分03秒

理研の笹井先生が自殺しました。
ぼくと同じ52才。
が、ぼくみたいな凡人とは違ってNature やCell に10本以上の論文があります。
政治力にも長けていて、科学研究費の獲得に秀でていたそうです。
36才で京都大学の教授。
出る杭(=ぼくのことですね)は打たれますが、突出した杭は打たれないのですね。
そういった栄光をすべて捨て去り、自死。何が不足だったのでしょうか?

今年度の講談社エッセイ賞は「自殺」。
面白い作品でしたが、エッセイ賞というのはこういった作品に与えられるのでしょうか?
ぼくはエッセイを書いた経験が無いので完全な素人ですが、賞の価値みたいなものがよく理解できませんでした。
重ねて強調しますが、この本はとても面白いです。
ぼくが言いたいのは「文学性」です。
この作品と大江健三郎さんが書くエッセイはずいぶん違う世界のような気がします。

青春とはなんだ?
それは自殺願望ではないでしょうか?
青春期に自殺を考えない若者ってほとんどいないのでは?
ぼくもしょっちゅう考えていた。
具体的な方法が思いつかず、死ぬことはなかったので今この文章を書いている訳ですが、もし自分が消えるボタンがあれば、迷わず押していたと思う。

当時は統合失調症(その頃は精神分裂病)という病態に強い興味を惹かれ、高校生でありながら専門書を読んだりした。
読んでいるうちに、何だか「そちら」の世界に引き込まれるような感覚に陥り、もうここが限界だと思って引き返したものです。

現在でも時々生きていることがイヤになり死を想うことがありますが、多くの責任を背負っている今、それは無理です。
ただ今だったらどういう自死が苦しくないかよくわかる。
ぼくが研修医だった頃に自殺した麻酔科医がいて、その方法を聞いた時に「ああ、なるほど」と悟ったからです。

自殺を選ぶのは、当然のことながら思春期だけではありません。
川端康成はなぜ72才でガス自殺をしたのでしょう?
ノーベル文学賞も得て、栄光の人生だったのでは?
三島由紀夫はカッコ良く死んだ。
でも自分は都知事選で「秦野さん」という右翼政治家を担いで、でもって自分も御輿に担がれて、、、あまりのカッコ悪さに人生がイヤになったのかもしれません。
本当のところは分かりませんが。

医者という仕事は、命を助けるのが目的であるとは言え、死者に接する仕事でもあります。
ぼくは経験ありませんが、救急救命医をやっている後輩の話を聞くと、救急隊の人達と一緒に自死の現場に行くことがあるそうです。
ぶら下がっている体を降ろすこともあるそうですが、ぼくにはちょっとできないな。
気持ちが悪いとか、そういう意味ではありませんよ。
何かそういう世界に引き込まれる気がするからです。ハードルが低くなってしまうような。

昔から、自殺は倫理的に是か非かという議論があります。
自分だろうと他人だろうと、人を殺すことなので殺人であるという意見もあります。
だけど自殺する人の多くは心を病んだような状態にありますから、言ってみれば心神耗弱なので、罪には当たらない気もします。
心は健康でも社会的に、あるいは経済的にと言ってもいいかもしれませんが、限界まで追い詰められてしまって死を選ばざるを得ない人もいます。
こういった例では、憲法25条の生きる権利が奪われているのでしょうね。

少年少女がいじめにあって自殺する報道もよく耳にしますが、こうしたケースでは「復讐」目的のこともけっこうあるのではないでしょうか?
つまり死を以て抗議する。
自殺すれば、いじめをやっていた人間は厳しく断罪されますから。
子どもたちよ、そういう理由で死なないでくださいね。
助けてくれる大人はどこかに必ずいます。

笹井さんだって、川端さんだって、誰かが助けてくれたのではないでしょうか?
死を選択するのは大変難しいことなので、関係のない人間が口を挟むのは余計かもしれませんが。

恋愛の究極の美しさは「心中」であると、ぼくが高校生の時に国語の先生が言っていましたね。
若い文学青年で、若い奥さんと赤ちゃんが一人いて。
ぼくはその先生と大変親しくて自宅まで遊びに行ったものです。
ところが、彼は30代で、胃がんで亡くなってしまった。
残された家族はどうしているのでしょう。
もちろん、「心中」でなくて良かったです。

8月9日(土)は短縮診療です2014年08月07日 11時57分08秒

8月9日(土)、ぼくは勉強会のために東京に出かけますので、11時30分に受付けを終了します。
ご理解の程、よろしくお願いします。

たった一人の人間が世界を動かす2014年08月09日 19時54分35秒

タイトルは、ぼくの恩師の言葉です。
大きな世界、小さな世界、、、その判断は人によって様々でしょう。
しかしたとえば、スティーブ・ジョブスが世界を変えたと言えば、皆さん納得するのではないでしょうか?

今日の障害者運動・権利・問題の原点は「青い芝の会・神奈川県連合会」にあることは誰にも否定できないでしょう。
そしてこの組織を生み出したのは、大仏空(おさらぎ あきら)師です。
彼は茨城県・上志筑・閑居山・願成寺にマハラバ村を創りました。
マハラバとは「大いなる叫び」という意味の梵語。
CP者を解放するためのコロニーです。
1964年のことでした。

現在の感覚からすれば、そういったコロニー作りは突拍子もないことではないと、皆さんは感じるかもしれません。
しかし1964年の日本では、CP者は「座敷牢」に(誇張ではなく)閉じ込められていたのです。
大仏さんはCP者の名簿を頼りに、CP者のいる家を一軒ずつ回り、CP者をマハラバ村に誘ったのでした。
中には「そんな子どもはいない!」と怒声をあげる父親もいたと言います。
しかしそんな父親の後から母親がおずおずと出てきて「脳性マヒの子がいる」と打ち明けたりしたそうです。

マハラバ村の歴史をここで書くと終わりがありませんので、それはやめておきましょう。

今日は東京に行って、大仏空師の娘さん(ぼくと似た世代)の講演をじっくりと聴いてきました。
その内容はというと・・・・それもここで書くときりがありません。
ただぼくが思ったことは、大仏師とスティーブ・ジョブスは同じカテゴリーなんだなということです。
たった一人が世界を動かす。素晴らしいですね。

夏休みの1冊特集2014年08月10日 18時31分14秒

今朝の読売新聞
今朝の読売新聞の書評欄は、「夏休みの1冊特集」です。
拙著「運命の子 トリソミー」を取り上げて頂きました。執筆は渡辺一史さん。
そう、「こんな夜更けにバナナかよ」の、あの渡辺さんです。

渡辺さんは250字のスペースの中に拙著のエッセンスをすべて表現してくれました。
さすがプロです。筆者であるぼくにも書けない文章です。

ネット書店の一部で購入しづらい状況になっているようですが、本は小学館の倉庫には山と眠っているでしょう。
すぐに流通するはずです。
これを機会にぜひ読んでみてください。
高校生や大学生にも読んで欲しいな。

にゃお2014年08月12日 20時44分56秒

にゃお
新しい家族です。
貴々(きき)です。3カ月の男の子です。
よろしくね。

本をどのように収納するか?2014年08月15日 23時18分06秒

ある程度、読書をする人ならば誰もが悩む問題でしょう。
ぼくも年間に100冊は軽く読むので、大いに悩んでいます。

ぼくの書斎には、床から天上まで伸びる幅80センチくらいの本棚が4つあります。
おそらくここに2000冊くらいあると思います。
そして、2階のフレックス・ルーム(階段を上がりきった12畳くらいのロビーみたいな空間。大きな机が置いてある)にも、5列本棚があります。

大型本や医学書は基本的にこっちという方針。最近は小説(フィクション)もこっち。
一部のノンフィクションもこっち。
ですが、こちらに本を置くと、調べ物の際に面倒なので、なるべく書斎に置きたくなります。
結果、書斎の床には本が山積みに。

山積みの本というのは、まったくイライラさせられます。
目的の本を探す時は「神経衰弱」みたいになってしまう。

では、要らない本を処分して、本棚を整理すればいいのですが、、、これが難しい。
古本屋さんは利用しない訳ではありませんが、あの重さに耐えてわずかな金額しか頂けないのは実に切ない。
自宅まで取りに来てくれる古本屋さんもあると聞きますが、家内は来客が嫌いです。
だからなかなか本が減らない。

本棚の整理も大変難しい問題を孕んでいます。
整理すると「迷子」になってしまうのですね。
特に「分類」してはいけない。

案外しっかり憶えているのが、本を収納した位置。
「左の本棚の上の方」とか。
それから出版社。
「すずさわ書店」とか。

だから整理したくないのですが、整理しなければ「山積み」状態は益々悪化していきます。
明日はちょっと頑張って、「山積み」解消を目指しましょうかね。

一念発起2014年08月16日 19時56分19秒

今日の書棚
で、思い切ってかなり本を整理しました。
古本屋さんに本を売るのは本当に辛いのですが、自分の読書が「積ん読」のためにとまってしまうのですから、致し方ありません。

ぼくが手放した本は、またどこかで誰かが手にしてくれるでしょう。
実際ぼくが書いた本も古本として流通している訳ですから。

この状態の書棚が果たしていつまで保つでしょうか?
一杯になったらその時に考えましょうかね。

「偽りよ死ね」寺ノ門栄2014年08月18日 21時21分23秒

マハラバ村から「青い芝の会」への動きを綴った作品です。
絶版。入手は困難です。

ノンフィクションの花形は「事件・事故」と言います。
たしかにNFにあってはよく売れるし、高名な賞を受賞したりする。
だけど、「事件・事故」を詳しく知って人生観が変わるという人はそれほどいないと思うのです。

もちろん、特殊な状況から、一点孔を開けて全面展開することもあるでしょう。
パラダイムシフトが起きることも知っています。

しかしぼくの意見としては、人を動かすのはやはり人だと思うのですね。
著名人の評伝に限らない。
無名の市井の人でも良い。
ある一人の人間の生き方が、波紋となって大きく広がる、そういうことってけっこうあるのではないでしょうか?

「生きることの意味」(高史明)
なんて、入手困難でしょ? だけど読めば永遠に心に残りますよね。
本書にしてもそれは同様。
小山正義さんの奥さんの手記は本当に良かった。

ぼくの脳がシャープなのは、あと10年くらいかもしれない。
それまでの間、良い本を読みたいな。
世間で評判の「売れている」本とは少しずつずれていくかもしれませんね。
でもそれで良いじゃないかと考えるようになりました。