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自殺2014年08月05日 23時25分03秒

理研の笹井先生が自殺しました。
ぼくと同じ52才。
が、ぼくみたいな凡人とは違ってNature やCell に10本以上の論文があります。
政治力にも長けていて、科学研究費の獲得に秀でていたそうです。
36才で京都大学の教授。
出る杭(=ぼくのことですね)は打たれますが、突出した杭は打たれないのですね。
そういった栄光をすべて捨て去り、自死。何が不足だったのでしょうか?

今年度の講談社エッセイ賞は「自殺」。
面白い作品でしたが、エッセイ賞というのはこういった作品に与えられるのでしょうか?
ぼくはエッセイを書いた経験が無いので完全な素人ですが、賞の価値みたいなものがよく理解できませんでした。
重ねて強調しますが、この本はとても面白いです。
ぼくが言いたいのは「文学性」です。
この作品と大江健三郎さんが書くエッセイはずいぶん違う世界のような気がします。

青春とはなんだ?
それは自殺願望ではないでしょうか?
青春期に自殺を考えない若者ってほとんどいないのでは?
ぼくもしょっちゅう考えていた。
具体的な方法が思いつかず、死ぬことはなかったので今この文章を書いている訳ですが、もし自分が消えるボタンがあれば、迷わず押していたと思う。

当時は統合失調症(その頃は精神分裂病)という病態に強い興味を惹かれ、高校生でありながら専門書を読んだりした。
読んでいるうちに、何だか「そちら」の世界に引き込まれるような感覚に陥り、もうここが限界だと思って引き返したものです。

現在でも時々生きていることがイヤになり死を想うことがありますが、多くの責任を背負っている今、それは無理です。
ただ今だったらどういう自死が苦しくないかよくわかる。
ぼくが研修医だった頃に自殺した麻酔科医がいて、その方法を聞いた時に「ああ、なるほど」と悟ったからです。

自殺を選ぶのは、当然のことながら思春期だけではありません。
川端康成はなぜ72才でガス自殺をしたのでしょう?
ノーベル文学賞も得て、栄光の人生だったのでは?
三島由紀夫はカッコ良く死んだ。
でも自分は都知事選で「秦野さん」という右翼政治家を担いで、でもって自分も御輿に担がれて、、、あまりのカッコ悪さに人生がイヤになったのかもしれません。
本当のところは分かりませんが。

医者という仕事は、命を助けるのが目的であるとは言え、死者に接する仕事でもあります。
ぼくは経験ありませんが、救急救命医をやっている後輩の話を聞くと、救急隊の人達と一緒に自死の現場に行くことがあるそうです。
ぶら下がっている体を降ろすこともあるそうですが、ぼくにはちょっとできないな。
気持ちが悪いとか、そういう意味ではありませんよ。
何かそういう世界に引き込まれる気がするからです。ハードルが低くなってしまうような。

昔から、自殺は倫理的に是か非かという議論があります。
自分だろうと他人だろうと、人を殺すことなので殺人であるという意見もあります。
だけど自殺する人の多くは心を病んだような状態にありますから、言ってみれば心神耗弱なので、罪には当たらない気もします。
心は健康でも社会的に、あるいは経済的にと言ってもいいかもしれませんが、限界まで追い詰められてしまって死を選ばざるを得ない人もいます。
こういった例では、憲法25条の生きる権利が奪われているのでしょうね。

少年少女がいじめにあって自殺する報道もよく耳にしますが、こうしたケースでは「復讐」目的のこともけっこうあるのではないでしょうか?
つまり死を以て抗議する。
自殺すれば、いじめをやっていた人間は厳しく断罪されますから。
子どもたちよ、そういう理由で死なないでくださいね。
助けてくれる大人はどこかに必ずいます。

笹井さんだって、川端さんだって、誰かが助けてくれたのではないでしょうか?
死を選択するのは大変難しいことなので、関係のない人間が口を挟むのは余計かもしれませんが。

恋愛の究極の美しさは「心中」であると、ぼくが高校生の時に国語の先生が言っていましたね。
若い文学青年で、若い奥さんと赤ちゃんが一人いて。
ぼくはその先生と大変親しくて自宅まで遊びに行ったものです。
ところが、彼は30代で、胃がんで亡くなってしまった。
残された家族はどうしているのでしょう。
もちろん、「心中」でなくて良かったです。

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