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安倍三代(青木理)2017年07月18日 21時35分51秒

安倍三代(青木理)
青木さんの本ですから安心して読めます。
いつものように文章は上手だし、取材もしっかりしています。
(最後の方で、成育医療センターの絵野沢先生が出てきてびっくり。昔、一緒の研究班で仕事をしたことがあります)

しかしながら、本書のテーマがどこにあったのか、最終章で少しぶれたようにも思えます。
政治家の世襲がテーマならば、安倍三代でなくてもよかったわけです。
なぜ安倍さんを描いたのか?
最高権力者だから? そうすると世襲により政治家が劣化するということは、何か後付けのように感じられてしまいます。
青木さんが安倍首相を鋭く批判するのは大変よくわかるし、ぼくもまったく同感なのですが、そこはルポルタージュと評論を切り分けた方が作品の完成度は上がったように思えます。

青年時代の安倍晋三の非・政治的な態度を描きたいために、初代と二代目を描いたのでしょうか? そこはわかりませんでした。
ま、とんちんかんな意見であれば申し訳ありません。

妄信 相模原障害者殺傷事件(朝日新聞取材班)2017年07月19日 12時08分50秒

妄信 相模原障害者殺傷事件
もしや容疑者と接見でもして何か新しい知見があったのでは? と思って購入しましたが、そういう部分はありませんでした。
相模原事件を考える上での資料的役割を果たす1冊になっています。
実は読み応えがあったのは、後半です。
事件そのものよりも、被害者を実名で報道すべきかどうか、被害にあって苦しんでいる遺族をどこまで取材するか、メディア自身の葛藤や悩みが赤裸々に報告されていました。
報道とはなんだろうかということまで考えさせられました。
こういうメディアの自己批判や自己洞察は、さすが朝日新聞だと思いました。

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ(梯 久美子)2017年07月19日 20時56分09秒

狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ
ノンフィクションの超大作です。
かなり前に読んだ本ですが書評を書いていないことに気付きました。
梯 久美子さんの取材力(資料を分析する力)は本当にすごいものがあります。
さすがにプロの作家です。
「死の棘」をめぐる夫婦の愛の深さと怖さを描いた作品ですが、こういった重量級の作品にはめったに出会えません。
読む方にも気合いが要りますが、読んだあとの納得感(あるいは達成感)は半端ありません。

明日は講談社NF賞の発表ですが、この賞はこういう大作を好む傾向がありますので、ずばり、受賞するのではないでしょうか?

第39回講談社NF賞2017年07月20日 20時47分09秒

第39回講談社ノンフィクション賞が本日決まりました。

梯(かけはし)久美子さんの「狂うひと――『死の棘(とげ)』の妻・島尾ミホ」(新潮社)
中村計さんの「勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の三連覇」(集英社)

です。なお、第33回講談社エッセイ賞は

小泉今日子さんの「黄色いマンション 黒い猫」(スイッチ・パブリッシング)
穂村弘さんの「鳥肌が」(PHP研究所)
という結果に。キョンキョン、すごいですね。

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書) 前野ウルド浩太郎2017年07月21日 20時01分35秒

バッタを倒しにアフリカへ
人の感情の中で、一番難しいのは笑わせることです。
作家が本を書いて読者を笑わせるためには、自分が笑ってはいけない。
笑いをこらえると、読者は笑ってしまうわけです。
そういうユーモアのセンスが一級品でした。

さて、本書はバッタを倒すためにアフリカへ行く話ですが、実はそのことよりも、ポスドクである筆者がどうやって職を得るかの方が面白い。
だからこの本は、バッタを含めて自身の青春記のような味わいになっているのです。
現在ベストセラー中のようですが、それはもっともだと思います。

路地の子 (上原 善広)2017年07月22日 23時11分01秒

路地の子
面白かったです。
すぐに読んでしまいました。
ただ、それは小説として面白かったということです。
この本をノンフィクションとして読むのは無理があるし、僕はノンフィクションとは思いません。
でも、こういう書き方の方が多くの人に読まれると思います。

不死身のひと 脳梗塞、がん、心臓病から15回生還した男 (講談社+α新書) 村串 栄一2017年07月23日 16時09分05秒

不死身のひと
脳梗塞を患ったことをメインに書いておられますが、それよりもインパクトが強いのは、舌〜咽頭〜食道〜胃にくり返し癌が発生して治療していることです。
原因は明らかにお酒とタバコ。
ダメですよ、やめないと。

それにしても、くり返す癌に対して筆者は「うんざり」した気持ちを綴っていますが、本当はもっともっと苦しみ悩んだのではないでしょうか?
最初の癌のあとで、自分の余命は2年と表明している箇所がありましたが、生と死に関してどういうふうに思いを突き詰めていったのか、それがもう少し知りたいと思いました。

ぼくは40歳の時に解離性脳動脈瘤に倒れました。あの時は確かに死を意識したものの、どこかで死なないとも思っていました。
生きることの意味を究極まで追求したとか、死ぬことの絶望感を心底感じた訳ではありません。
しかし歳をとっていくと色々と考える。
それはなぜでしょうか? 
理由はいろいろとあると思います。一つは、自分の子どもが成長して、自立(就職・結婚)が見えてきたからでしょう。
だけど、実際に自立できるかどうかは分からない。
小学生を育てるよりも、自立を目前に控えて子どもを育てる方が、親の肩にのしかかる負担は大きいと思います。

闘病記がなぜ面白かというと、病という非常にプライベートなことを描いていても、死生観とか幸福観といった普遍的なことが論じられることが多いからです。

不死身のひと、いつまでもお元気に。
しかし不死身の人は存在しません。秦の始皇帝も聖路加国際病院の日野原先生もお亡くなりになりました。
人生をどうやって終わりにするか、これはすべての人の課題です。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書) 河合 雅司2017年07月24日 21時36分59秒

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること
超高齢化・超少子化・超人口減少化が進行しつつあることを知らない人はいないでしょう。
しかし今の政治にその対策はあるのでしょうか?
このまま人口が減少すると、西暦3000年には日本人は2000人になってしまうそうです。
そんな先のことを論じなくても、今から10年後、2027年には献血をする若者がいなくなるため、輸血用血液が足りなくなるそうです。
たった10年後ですよ。がんの治療はどうやって行えばいいのでしょうか?

ぼくがあと20年くらい生きるとして、2039年に何が起きるかを見てみました。その頃は、全国で火葬場が不足するそうです。

これから25年の間に、労働人口が約2000万人不足します。
これを移民や AI に頼るというのはまったく非現実的でしょう。
ま、2000万人の移民を受け入れてもいいのですが、それはもう日本ではなくなります。
AI を熱心に語る人をよく見かけますが、これから先、人口が激減する未来にどう AI を活用するのか、そこがセットでないと意味がないと思います。

ではどうするか? 筆者は10の処方箋を用意しています。それが現実的かどうか僕にはよくわかりません。
しかし、安倍政権ができて5年。何とかミクスと言って株価を操作して、国民は何か得した気分になっています。
そして消費増税を2回も凍結することで総選挙を勝ちました。
こんなことをしていれば、本当にいずれ日本列島に日本人はいなくなります。

こんな状況の中で、代替案を出せない野党って一体何でしょうか?
僕が死ぬ時は火葬場が足りないくらいで済みますが、僕の子どもたちが老人になる頃、日本は悲惨な状況になっている可能性が高いと言えます。
政治家に期待してもダメかもしれない。
ではどうするか?
東京都議選を見ても、何とかファーストとか言って、政治のド素人が大量に当選するのですから、人民は愚かです。
日本は沈没するしか道がないのかもしれませんね。

相模原障害者殺傷事件はなぜ起きたか?2017年07月25日 21時55分45秒

明日26日で、相模原事件からまる1年が経ちます。
この事件はなぜ起きたのでしょうか?
犯人の男は多くを語っていないため、私たちはまだまだ真相に迫ることができません。
しかしいくつかのことは推測できます。

もし、何かの因子が欠けていたらこの事件は起こらなかったと仮定してみましょう。その因子とは何でしょうか?

1 犯人が障害者施設で働いていなかったらこの事件は起きていないのではないでしょうか?
犯人は障害者に対してまったく無知ではなかった。そこに問題があった。
以前の僕の考え方は、「無知が偏見になり、偏見が人を殺す」というものでした。
しかしこれは正しくないようです。
こんな事件が起きるならば、犯人にはずっと無知でいて欲しかったと思います。中途半端に障害者の生活を知り、知ることで差別感情が生まれたと言えます。
そこに足りなかったのはなんでしょう。倫理でしょうか? 理解でしょうか?
障害者をケアすることによって、自分自身の人間としての根が深くなると言う自己肯定感が無かったのではないでしょうか?

2 強い者が勝ち、弱い者が滅びるという政治風潮が無ければこの犯行は無かったのではないでしょうか?
今日のNHKの報道によれば、犯人はトランプ大統領の選挙戦での演説やイスラム国に影響を受けたと言っているようです。
トランプとイスラム国の思想をいっしょくたにするのは乱暴過ぎますが、両者に共通するのは弱者への非寛容、あるいは、自分ファーストの思想ではないでしょうか?
また日本の政治家たちが、高齢化社会の社会保障の問題になると高齢者の人権を切り捨てるような発言をすることも、この事件の動機とどこかで地続きになっていると見ていいでしょう。

3 犯人が教職に就けていたらこの事件は無かったかもしれません。
犯人は自分を肯定できなかった。社会の中で「居場所」を確保できなかった。友人も多くなかったのではないか?
つまり社会と共生していなかった。共生とは自立の第一歩ですから、この犯人は成人として自分の足で立っていなかった。

人間が限界まで孤独に追い詰められると、二つの道を進みます。
一つは、自分の内側にどこまでも引きこもり、社会との接点を断ち切ろうとします。この究極の姿が自死です。
そしてもう一つは、まるで反対の方向に進みます。社会とか国家に強く関わって、あるいは押しかけて英雄になろうとする。
この犯人が衆議院議長に宛てた手紙を読めば、この男は救世主になろうとしていたことがわかります。

人は一人では生きられないし、また、生きてはいけない。
それは障害者も健常者もまったく同じです。
人が他の動物と最も違う点は何でしょうか?
それは、人間は自分の力で生きていくためには何年、何十年もかかるということです。
動物が生まれてすぐに立ち上がり、エサを摂るのとはまるで違っています。
そこに人間の最大の特徴がある。つまり人間は一人では生きられない生き物であり、生まれた時から社会的な存在だということです。そして生きていくということは、人と人とのつながりを次々に増やしていくことと同義ではないでしょうか?

ところがこの犯人には「居場所」が無かった。つながりに欠け、社会に混じり合っていなかった。孤独を深めた。障害者ともつがりを結ぶことができなかった。
そして、いっそのこと英雄になることを夢見て、大量殺戮によって国家に恩を売ろうとしたのではないでしょうか?
日本の歴史上、この男は最も凶悪な押し売りだったのだと思います。

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち(上間陽子)2017年07月26日 21時56分24秒

裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち
大変重苦しいルポルタージュでした。
本書が沖縄の一部分を描いているのか、全体的な構造の象徴を描いているのかはよく分かりませんでした。
筆者は文学作品を書くことよりも、研究に重きを置いたようで、少女達の言葉は、切れば血が出るような生のものでした。
そうしたロー・データを提示するのがいいのか、ノンフィクション文学にまで昇華させた方がいいのか、そのへんはかなり難しいですね。
ちょっとこういう作品は書けそうで書けないと思います。