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「アダム・スミス」(中公新書)を読む2013年05月31日 20時36分56秒

「アダム・スミス」(中公新書)を読む
「神の見えざる手」で有名なアダム・スミス。
スミスが生涯に書いた本は、「道徳感情論」と「国富論」の二作のみです。
後者はちょうとアメリカ独立戦争が行われている時に発表されました。
イギリス人のスミスは、植民地アメリカは独立した方が、イギリスのためにもアメリカのためにもいいと主張しています。

さて、堂目卓生先生が書いた本書は、スミスの二作を解説した作品です。
僕は「神の見えざる手」に興味があって読み始めたのですが、「道徳感情論」の方が断然面白いと思いました。
「道徳感情論」は「国富論」の基盤にもなっているので、前者について説明しましょう。

人間は他人の感情や行為に関心を持ち、それに同感する能力を持ちます。
また、自分の感情や行為が、他人から同感されることを知っています。
同感を通じて、人は心の中に「公平な観察者」を作ります。この観察者の目から見て、賞賛されることをしようとし、非難されることをやめようと思う訳です。
だけど、人の心の中には、観察者の声を無視する弱さがある。
そこで、観察者の判断に従うというルールを作る。
このルールには「正義」(悪いことをしない)と「慈恵」(人に情けをかける)の二つがあります。
ルールができれば、それに従う「義務」が発生します。
また「正義」が破られることはまずいので「法」が作られます。
ここに至って「法」と「義務」で「社会秩序」が生まれるのです。

しかし人の心の中には、「賢さ」と「弱さ」があります。
世間の評価だけに左右される人は弱い人です。本当に賢い人は、胸の中の公平な観察者の意見に従います。

かと言って「弱さ」が全否定される訳ではありません。
弱い人間は野心を持ち、世間からの評価を得ようと、富を求めます。
その結果、社会が繁栄し、富は貧しい者にも行き渡ります。
では強者必勝かというと、競争のフェアプレイ精神が必要になります。
それは「賢さ」とか「社会の秩序」に裏打ちされているのです。

人の幸せとは何でしょうか?
スミスはこう言います。「心が平静であること。つまり、最低水準の収入を得て、負債が無く、良心にやましいところがない」。
だけど、弱い人は「富」を求める。
ところが実際には、最低水準の収入を越えても人間の幸福度はプラトーに達して、それ以上は比例して上がっていかないのです。
だから欲には終わりがないのでしょう。

スミスの論を僕の従前の興味に結びつけましょう。
西ヨーロッパ人が世界を制覇した理由はいろいろとありますが、僕は一貫して彼らの人間性を問題にしてきました。
この本を読んで何か分かった気がします。
つまり西ヨーロッパ人は「弱い人」で、アフリカ人や新大陸の人たちは「賢い人」だったのではないでしょうか?
イギリスが結局アメリカを手放すことになったのも、彼らの本質が弱い人間だったからだと思います。

この本を読んで驚いたのは、イギリス人のメンタリティーが日本人に大変近いことです。
日本は「恥の文化」(世間体を気にする)、ヨーロッパ人は「罪の文化」(内なる神の声を聞く)と勝手に思い込んでいましたが、弱い人間・賢い人間は洋の東西を問わずどこにでもいるということですね。

スミスの言う「心が平静である」という幸福は、医者という職業をやっているとなかな得ることができません。
そのことについては、また、論述します。