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医者を辞めようと思ったこと2013年05月26日 21時40分59秒

分化したがん細胞
医者になって26年ですが、その間、一度だけ医者を辞めようと思ったことがあります。
医学部を卒業して2年間の研修医生活を終え、僕は大学院へ進学しました。
ここで今まで何度も書いている通りです。
「分子ウイルス学」教室で、小児がんの遺伝子を研究したのですね。

上の写真はシャーレの中で永遠に生き続ける神経芽腫というがん細胞です。
この細胞にビタミンAをふりかけると、細胞が分化(成熟)し、分裂が止まるんですね。ま、それはどうでもいいでしょう。

で、指導者の先生に恵まれたこともあり、けっこう業績を挙げることができました。
スウェーデンのグループと競争になって、先陣争いをするかのように研究をまとめ英語論文を発表しました。

NatureとかScienceといった世界一の雑誌には論文は載りませんでしたが、最先端科学の背中は見えたような気がします。
大学院での研究生活は本当に面白くて、ぼくはまるで憑かれたように朝から晩まで研究をしていました。

この頃、分子ウイルス学教室に若くて綺麗で性格の良いお嬢さんが秘書として雇われて来ました。
あまりにも綺麗な人なので、彼女を分子ウイルス学教室で研究している大学院生の誰かと縁結びしてしまおうと、僕の指導教官が言い出したんですね。
その時、未婚で最年長の大学院生は僕でしたから、順序を踏めば、その「縁談」は僕に来て然るべきだったのですが(笑)、僕の余りの研究への没頭ぶりに、「縁談」は僕を飛ばして僕の後輩へ持ち込まれました。
はい、二人はめでたくゴールインしました。

ま、そんな話はどうでもいいのですが、教室を主宰していた清水教授が「小児外科医を辞めて、ここに残らないか? ポストを用意するから」と言ってくれました。
猛烈に迷いました。
研究を続けたいという思いがある一方で、人生のすべてを研究に捧げる程の才能が自分にあるだろうかと心に問いました。

その時に読んだ本が、ナタリー・エインジャーの「がん遺伝子に挑む」という作品。
この本の中でウエブスター・キャベニーという高名な科学者が「科学者はトレーニングの一環として病院へ行くべきだ」と警告するんです。
つまりサイエンスとは科学者のものではなくて、患者(子ども)のためにあると言っているのですね。
僕はこの文章を読んで、科学者へ転向することをとどまりました。
小児外科の先輩の先生の中には、ぼくが医者を辞めてしまうと予測した人もけっこういたと思います。

で、今となってみるとどうだったか?
やっぱりサイエンティストは難しい人生だと思います。
やればやったで、何かのポジションを得て、普通に家庭を支えるだけの収入は得ていたと思います。
だけど、山中教授のiPS細胞のような大発見はとてもできなかったでしょう。
どちらが良い人生か、それは何とも言えません。

外科医という仕事を続けたおかげで、たくさんの子どもの命を救えたのは本当に良かったと思いますが、その反面、外科という封建的・非民主的な世界が自分に相応しかったのか疑問に感じることも多々あります。

ま、人生というのは結局のところ、自分にできることをしっかりとやっていく以外に道はないのだから、大それたことは考えず地道に医者を続けていこうと今は思っています。