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「日本人は農耕民族・欧米人は狩猟民族」ではない2013年04月12日 21時06分26秒

日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族だから文化が全然違う、、、という説をよく聞きますが、これは完全に間違いです。

人類はもともと狩猟採取民族だった。
移動しながら暮らす訳ですね。赤ちゃんは足手まといですから間引きされる。
従って人口も増えない。で、案外衛生的に暮らしていた。
常に、新しくてキレイな所で生活しますから。

メソポタミアに農耕が生まれます。
人は定住する。動物は家畜化される。動物は食料にもなるし、農耕に役立つ。
食物が過剰になり、管理される。ここで社会とか国家が誕生するんですね。
人が人を支配する時には宗教が必要になります。
人口が増えて、食料にネズミなどの小動物がたかり、生活の周囲に糞便がある環境になる。

人類の誕生以前に動物が地球上にいましたから、動物には寄生虫やら細菌やらウイルスが共生している。
そういう微生物が、人類の繁栄と共に人間に感染先を求めて移り住んでくるのですね。

だから、人類と病原菌との闘争は避けがたい宿命なんですね。
必然の闘いと言ってもいい。
そして数ある微生物の中でも最大の脅威はペストだったのではないでしょうか?

最初の大流行は西暦541年。
2度目は1347年。当時ヨーロッパには5〜7千万人の人口があったが、これが半減した。世界の人口の1/3はヨーロッパにありましたから、ペストによって地球上の人類は1/6を失ったことになります。
3回目の流行は19世紀から20世紀をまたぎます。中国から全世界に広がったのですね。
ペニシリンが開発されたのが、第二次世界大戦中ですから、人類はペストと闘うすべを持たなかった。
ではなぜペストは終息したか?
一つは公衆衛生でしょう。ネズミを駆除したから。
もう一つは人口が減ってしまったからです。

きわどいところで人類は踏みとどまったのですね。
もしかしたら恐竜も病原微生物によって絶滅したのかも。

人類という生き物の決定的なターニングポイントは、色々な意味を含めて農耕の開始にあります。
こうして歴史を見てくると、「日本人は農耕民族・欧米人は狩猟民族」というのはまったく的外れの俗説ということがお分かりになると思います。

「生物と無生物の間」を買う2013年04月13日 22時36分17秒

生物と無生物の間
最近ずっと、まじめに読書をしていたので、ここらでちょっと「はっちゃけた」読書をしてみようと気分が変わりました。

具体的には「自分が興味のあるテーマ」に絞って、教養本・解説書などを10冊以上一気に買いました。
新刊も買ったし、中古本も買いました。
興味あるテーマとは、「感染症」「人類史」が中心です。
「ラテンアメリカ」にも興味があります。

さっそく数冊を読んでしまいましたが、今日、自宅に届いた本は、川喜多愛郎先生の「生物と無生物の間」(岩波書店)です。
初版は1956年。
先生は、日本を代表するウイルス学者です。

青春の松永青年が情熱のすべてを懸けたのが、千葉大・分子ウイルス学教室でのがん遺伝子の研究。
3年間ここで、小児がんの研究をしましたし、ヒトパピローマ・ウイルスの構造解析をやったこともあります。
恩師は清水・前教授ですが、その清水先生が恩師として尊敬しておられたのが、川喜多先生です。
ぼくもお会いしたことがあります。

川喜多先生はウイルス学者として高名なだけでなく、「近代医学の史的基盤」という本でも有名(日本学士院賞受賞)。医学・医療の歴史を語れる数少ない医学者でした。

「生物と無生物の間」とはウイルスのことです。
川喜多先生がお書きになった歴史的な作品の一つです。
弟子の弟子として急に読んでみたくなったのです。もちろん、内容的には古いでしょうけれども、歴史を知ることは重要です。

最近、福岡伸一さんという人気科学者が同名の本を出版していますが、ちょっといかがなものでしょうか?
先人に対する畏敬の念があれば、こういうことはしないはずです。
まさか川喜多先生を知らないとは思えない。
編集者もどういうお考えだったのでしょうか?
こういう独創的なタイトルをそのまま真似して使う感覚が、ぼくには理解できません。

原稿書きで腕が上がらず2013年04月14日 23時28分25秒

ギョーザとビール
今日は一日中、原稿を書いていました。

自分で書いた原稿の善し悪しを判断するのは本当に難しいですよね。
ましてや改変する作業は本当に難しい。
表現を直すとか、語順を直すとか、そういうことは可能なんですが、骨格の悪い原稿は直しようがありません。
骨格いじったら、違う原稿になってしまいますから。

それは事実上の書き直しですから、どこかで自分を納得させるしかありません。
人の価値観を揺さぶるような文章というのは、そうは書けるものではありません。

さて、明日からまた診療です。
しっかり腕を上げて聴診しましょう。

写真は Sony RX100。

帝国医学・植民地医学って何だ?2013年04月15日 22時42分27秒

カレー
人類史と感染症に関する本を読んでいたら、「帝国医学・植民地医学」という言葉にぶつかりました。
大航海時代以降、ヨーロッパ列強は世界中に植民地を広げました。
アジアへ。アフリカへ。

植民地拡大に立ちはだかったのは、現地の人間ではありませんでした。風土病です。
たとえばアフリカのマラリアとか。
20世紀初頭の医学は、細菌学の発達でもありました。
実は細菌学の発展はiPS細胞にまでつながっていると僕は考えているのですが、ここでは深く書きません。

アフリカに進出した白人は、医学を通じて現地の人間の健康を守ります。
この結果、医学が大きく進歩しました。
病原菌の同定、分離、ワクチンの開発が進んだからです。
こういった医学は「帝国医学・植民地医学」と呼ばれ、多くの人々の命を守った反面、白人の植民地支配への免罪符となったと批判されることもあるそうです。

なるほど確かに、「人道主義」に見える医学はそういう面もあったでしょう。
しかし僕にはちょっとした疑問もあります。
免罪符になったと言いますが、この時代の世界ってすべてが帝国主義だったのではないでしょうか?
帝国主義を批判する民主勢力なんて本当にあったのでしょうか?

第二次世界大戦というのは、帝国主義同士の利益の奪い合いです。
日本・ドイツ・イタリアは戦いに敗れ、帝国主義思想が解体されました。
では勝った国はどうなんでしょうか?
彼らは帝国主義を温存したのではないでしょうか?
特にアメリカは、大戦後に世界中で何をやったでしょうか?

医学が帝国主義に利用されたり、戦争を通じて医療が発展した面は否定できないでしょう。
第二次大戦では、アメリカはペニシリンの開発に、マンハッタン計画並の予算をつぎ込んだため、感染症で死ぬ兵士は、戦闘で死ぬ兵士よりも少なかったそうです。
しかし、まあ、医者というのは職人に過ぎませんから、国家権力に利用されてしまうのは致し方ないと考えます。
むしろ医者が政治的な判断をすることの方が恐ろしいのではないでしょうか?

ま、ちょっと雑な話になりましたが、少なくとも医者は「帝国医学・植民地医学」という言葉を教養として知っておいたいいと思います。

写真は、リコーGRD4です。美味そうでしょ?

許せない! ボストンのテロ2013年04月16日 23時11分12秒

みなさん、ご存じのように朝から痛ましいニュースが入ってきました。
ボストンで爆発テロがあり、3人もの死者が出たのです。
何の罪もない市民が3人も殺されるなど、断じて許されてはなりません。
犯人は誰でしょうか?
絶対に検挙し、厳重な処罰が必要です。

さて、アメリカの裏側ではつい最近、イラク戦争というものがありました。
イラクが「大量破壊兵器」を持っているという「噂」に腹を立てた国が、イラクに侵略し、国家(権力・政権)を破壊したのです。
日本もこの戦争をモーレツに支持しました。
この戦争によってイラクは大混乱になり、治安は乱れ、テロが頻発しています。
何の罪もない一般人の死者は、国連の調査では10万人を越えています。

犯人は誰でしょうか?
いったいどこの国がイラクに侵略したのでしょうか?
絶対に犯人を検挙して厳罰に処さねばなりません。

イラクの隣の国、イランは核武装しています。
イラクの惨状を見れば、核武装しない政治リーダーなどまるでアホです。
当然の結果でしょう。

「近代医学の史的基盤」を手に入れる2013年04月17日 23時41分37秒

近代医学の史的基盤
川喜多愛郎先生の「近代医学の史的基盤」が新品の状態で、古本屋さんで売られていることを知りました。
上下二巻で2万円もしますが、お金には換えられない価値があります。
通読することは不可能かもしれませんが、自分の恩師の恩師の著作として、家宝にしたいと思っています。

今日は午後からずっと原稿を書いていて、気付いてみればもう24時になろうとしています。
明日からまたがんばりましょう。

子どもを轢き殺しそうになる2013年04月18日 22時36分22秒

僕の自宅のすぐそばには大きな公園があります。
公園の脇は、住宅街の中ですが2車線の広い道路があります。
夜間などはけっこうなスピードでその道路を車が走り抜けて行ったりします。

関係があるのか無いのか、想像で言ってはいけませんが、公園の近くには保育所(園)が2カ所あります。
そして夕方に僕が帰宅すると、その道路の公園沿いは違法駐車の列が並びます。

怖いので必ず徐行します。
しかしいくら徐行したところで、車に突撃するかのように子どもが飛び出してくれば避けようがありません。

今日は2〜3歳の男の子が車の陰から走り出して来ました。
僕は急ブレーキを踏んで、急停車!
助手席に置いてあった鞄は床に投げ出されてしました。iPadは無事だった。
あやうく子どもを轢くところでした。
後ろから車が来ていれば間違いなく追突されていたでしょう。
子どもは僕と目を合わせると、保育所(園)のある方向へ走って行ってしまいました。

ぼくはしばらく車を停めて周辺をうかがいましたが、親の姿はなし。
これは一体どういうことだ?
責任遺棄か?
冗談じゃないぞ。子どもを轢いたら、僕の人生はおしまいじゃないか。

こんな車通りで子どもを放置する親も無責任だし、法律を堂々と破って違法駐車をする人たちも許し難い。

いつか必ずこの道路で大きな事故がおきますよ。

いきなり登場! リコーGR2013年04月19日 22時37分38秒

リコーGR
いや、これは不意打ちを食らった。
5月末に発売予定のリコーGR。

センサーはAPS-C。
レンズは35mm換算で28mm、f:2.8。

何がすごいって重さが245gしかないこと。ポケットに入る。

リコーGR Digital 4の次の機種だから、「5」という名前のはずだったのに、ネーミングはそのものずばりで「GR」。
リコーの決意が込められているように感じます。

ええと価格は、9万円・・・・。
安い!

生命の選別は許されるか 迷ったら歴史に学べ2013年04月20日 23時07分14秒

この1年間、多くの重度障害児のご家族にお会いして、話を聞かせて頂きました。
ぼくは外科医ですので、こういった障害児の主治医になった経験はありませんでした。(手術したことはある)
ですから本当に勉強になったし、深く考えさせられました。
ぼくが学んだことは、紙の本か、電子媒体か分かりませんが、1年くらいの間には皆さんにお伝えしたいと思います。

障害児の医療には、常に生命倫理の問題がついて回ります。

一つは、産まれる前に障害が分かった場合、その生命を選別することは許されるのかという問題。
もう一つは、障害が重すぎて生き続けることが辛い場合、どこまで医療を継続するかです。

後者に関しては「安楽死」とか「尊厳死」という言葉がありますが、そこまでいかなくても、治療を手控えて「苦痛の時間を短くする」ということは、常にどこかの医療現場でおこなわれています。
問題は前者でしょう。

いよいよ新型出生前診断が始まります。
母体の採血で、21トリソミー(ダウン症)などの染色体異常が分かるという検査です。
ある人は、これを医学の進歩と言うし、ある人はこれを間違った優生思想と言います。
女性には妊娠中絶する権利があるという意見もあります。
その逆に、堕胎は殺人だという意見もあります。

答えはどこにあるのでしょうか?

ぼくは「迷ったら歴史に学べ」と思っています。
古代・中世・近代・現代の医学を辿ると、医学・医療とは何かがはっきりします。

医学の始まりは「人体というブラックボックス」を明らかにすることにありました。
解剖学ですね。
解剖学は生理学に発展し、そこに近代の麻酔学が合流することで外科学が生まれます。
そういう意味では外科学などは「医学」とは言えないかもしれない。
単なる「医術」ですね。

中世・近代の医学は疫病との戦いでした。
そこから公衆衛生学が生まれ、「細胞学」「細菌学」「ウイルス学」「分子生物学」が生まれ、この延長線上にiPS細胞があります。

大雑把に言えば、「解剖学」という基盤の上に、「外科学」と「内科学=細菌学」が乗っている訳です。
こうした医学は人々に何をもたらしたのでしょうか?
患者とは「耐える人」です。
医療は、患者の苦しみを取るために発展してきたと言っていいと思います。

近代までの医学は、疫病を治し、外傷の治療をし、そういった患者の苦痛を取り除いてきたのです。
そしてこれが本来あるべき医療の姿です。

産業革命と植民地主義は、帝国主義・覇権主義となり、第二次大戦にいたりました。
飽和した資本主義は、人々の生活を激変させ、この世には生活習慣病が溢れています(その一方で、世界の半数は餓死の危険がある)。

生活習慣病とは贅沢病です。
それでもまあ、患者が苦しむ以上は、医者は治療をしなければいけません。
だけど、「優秀な赤ちゃんを授かりたい・劣った赤ちゃんは産みたくない」というのは、明らかなエゴです。
こんなエゴになぜ医学が付き合わないといけないのでしょうか?

新型出生前診断などは、決して医学の進歩ではありません。
人間のエゴを利用して、医学が末期の資本主義に堕しているだけです。
では人工妊娠中絶は一切許されないのか?
それはさすがに、理想が現状に対して妥協しなければいけない部分だと思います。
しかし、とぼくは言いたい。
様々な事情があると思いますが、生まれる前の生命を絶ったならば、そのことに対する反省責任はあるはずです。
後悔する心・重荷を背負う気持ちは一生持ち続けるべきだと思います。
そういう心を持たないと、人は結局のところ幸福を得られないと思います。

「優秀な赤ちゃん以外は要らない」と思うならば、生命を授かる資格はありません。
もし、そういう親が「優秀な子ども」を持てば、差別主義者としての人生を親子で生きるだけだしょう。

ぼくはある意味、医学の進歩はもう十分だと考えています。
人間の苦痛を取り除く医療は、相当なレベルまで成熟していると思います。
ここから先は、不老不死みたいな人間のエゴに付き合う医学に堕していくのではないでしょうか?

やっぱり欲しい、リコーGR2013年04月21日 22時33分57秒

GR Digital IV
価格.com を見ると、発売まで1カ月以上もあるのに、リコーGR の「予約」と「注目」がうなぎ上りのようです。
やはりぼくも欲しい。

だけど、もしこれを買ったら、OM-D E-M5 の役割は一体どうなってしまうの?
広角領域だったらリコーGRの方がいい写真が撮れる可能性が高いですよね。
28mm のレンズってけっこうオールマイティーなので、たとえば夏の旅行はこの1台で済んでしまうかもしれません。

そうするとOM-D E-M5 の出番は?
望遠レンズを付けて、長女の演奏する姿を撮る時かな。
年に2回だ。
使用回数、激減かも。

そして現在持っているリコーGR Digital IV をどうするか?
下取りに出すか? それとも使い続けるか?
このカメラには 1cm のマクロがあるんです。
いっぽう GR は 10cmなんですね。
「静物」を撮影する身近なマクロとして GR Digital IV を残してもいいかも。

いやあ、実に迷います。
写真は GR Digital IV 。 f:1.9 で。