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「命のカレンダー」を語る その12009年07月02日 21時38分49秒

昨年、講談社さんから本を出して頂き、1年が経ちました。
「命のカレンダー 小児固形がんと闘う」です。
本は4刷、1万部まで行きましたが、最近はあまり売れているような気配はありません。
去年はラジオやテレビに出演して大きな反響もあり、慌ただしかった印象です。
今は静かに落ち着いていますから、この機会に自著を語りましょう。

第1章に出てくる「雄治」君。
僕は医学部の6年生の時に、この子に出会ったのですが、それは小児外科の臨床実習の際です。
1週間、受け持ち患者さんの疾患を勉強するんですね。
僕らは5人の学生のグループでした。

僕が受け持ったお子さんは3歳の「腸回転異常症」でした。
雄治君を受け持ったのは、たしか松江さんだったような気がします。
現在、松江さんは千葉大病院の皮膚科の教授になっています。

この時、蓑島君は、1歳の肝芽腫の女の子を受け持ちました。
1つのグループで、2人の小児がんを受け持ったのは珍しかったと思います。
現在、蓑島君は、ワシントン大学の放射線科の教授になっています。

僕は自分の受け持ちの子どももしっかりと診ましたが、雄治君と肝芽腫の女の子に釘付けになりました。
「ああ、この世の中にはこんな病気があるんだ」とつくづく思いました。

僕は小児外科へ実習に行く前から、小児外科医になりたいとぼんやり考えていましたが、がんの子どもたちを見て、その思いは一層強まりました。

また、学生の間の噂では小児外科の高橋教授は大変怖い先生となっていましたが、実習の初日の朝に一目見た瞬間に、怖い振りをしているだけで、とても優しい先生だと分かってしまいました。
本に出てくるA先生ですよね。

今に至るまで、そのイメージは変りません。

実は第1章には、研修医として働く僕の日常がもっと詳しく書かれていました。
それは、子どもに針を刺す場面です。
毎日のように血管に針を立てると、血管がつぶれていって、刺す場所がなくなるんです。

すると、首の血管くらいしか残らなくなり、首から採血を行ないます。
3〜4歳の子どもたちが、ちゃんとそれを分かっていて、自分から処置台のベッドに上がり、ベッドから頭を落とし、「イー、イー、イー」と声をあげるんです。
すると、首の血管が怒張しますので、僕はそこを目がけてズドンと針を刺す訳です。

今思い起こすと本当に切ない。
いたいけな子どもたちの姿が目に浮かびます。
このシーンは本のページ数の関係で割愛となりました。

いつかどこかで書けると良いですね。

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