アクセスカウンター
アクセスカウンター

「生きることの意味―ある少年のおいたち」 (ちくま文庫) 高 史明2010年10月30日 18時01分19秒

生きることの意味
素晴らしい本を読みました。
この本は、ロングセラーですから、皆さんはすでにもう読んだかも知れません。
今さら何を? と言われそうですが、良い本はやはり良い。

生きることの意味が明解に語られている訳ではありませんが、この世の中にある「不条理な苦痛」がどういうものか、家族とはなにか、教育とはなにか、そういうことが、ものすごく具体的に描かれています。

暴力は他人を傷つけます。
しかし暴力を振るう者の人間性も、暴力はその中に閉じこめてしまう。それはもう、暴力の奴隷になったも同然でしょう。
言葉の暴力だって同じことです。
言葉の暴力による「いじめ」は皆さんの周りにはありませんでしょうか?
人を馬鹿にしたり、あざけったり、からかったり、陰口を言ったり。
他人をあざけっている人間は、実は自分自身をあざけっているのです。

あざける人間とあざけられる人間の関係はどうすれば解決できるのでしょうか?
あざける人間がただ沈黙するだけでなく、あざけることが本当に恥ずかしいことであると自覚することが、実は本当の解決なのです。

だから、いじめが止まってそれで終わりということではありません。
いじめた人間が真に恥ずかしいと思わない限りは、人間関係は以前のままなのです。

そして、あざけられる方(いじめられる方)も、そういった暴力的な言葉は、言った本人だけを傷つけているのであって、決してその言葉で言われた方の人間性は傷つかないのだという、確固たる自信・矜恃・ものの考え方を持つ必要があります。

それを教えてあげるのが、親の努めであり、教師の努めです。

ちょっとカッコいいことを書きましたが、これは私の意見と言うより作者の考え方をまとめたものです。
まったくその通りと深く共感します。