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「命のカレンダー」を語る その72009年08月02日 19時43分08秒

久しぶりに自著を語りましょう。
第7章は、自分のことに関しての記述です。

40歳で解離性脳動脈瘤になり、僕の人生は色々な意味で大きく変わりました。
自分の「生物学的な死」も意識したし、「社会的な死」も意識しました。
このあたりの細かいことは、深いレベルでは本で触れていません。
本の主旨とは関係ないから。

しかし、大学病院を退職するに至った経緯は、書き込むべきであると、僕の編集担当者・Sさんにすすめられてこの第7章を書きました。
つまりこの章は、最初の原稿ではまるごと存在していなかった訳です。

この章を書いて良かったどうか、よく分かりませんが、本に深みが出たかもしれないなとは思っています。

さて、この章に関する裏話・こぼれ話は山ほどありますが、ここでは「お見舞い」という点で書きましょう。

多くのお見舞いや気遣いを、先輩や後輩の先生たちから頂きましたが、一度も病室に来てくれなかったのが、後輩の幸地先生。
彼は今、東京女子医大八千代医療センターの小児外科の部長ですね。
彼は僕にとって、実の兄弟のように仲のいい男です。
その付き合いは、彼が千葉大医学部に入学した時から始っていますから、もう27年くらいになるでしょう。

お互いに何でも言い合えるし、仕事を巡っては怒鳴り合いの喧嘩をしたことは何度もあります。
でも、次の日には、「あ、ボールペン貸して」とか言ってすぐに仲直りしてしまうんですね。

それだけ仲がいい幸地がなぜ一度も見舞いに来てくれなかったか?
分かってしまうんです、その気持ち。
辛くて僕の顔を見れなかったんでしょうね。
顔を合わせればお互いに泣いたかもしれません。
そういう気持ちが、見舞いにきてくれなくてもちゃんと伝わって来るんです。

さて、一方、見舞いに来てくれた人間で僕が心から感謝しているのが、T先生ご夫婦。
僕が病に倒れた時に、家内は切迫流産で手術を受けて自宅でベッド上安静でした。
つまり見舞いに来れない。
そこで、その事情を知ったT先生ご夫妻が、家内をそっと、本当にそっと車に乗せて、病院に連れてきてくれました。

そして退屈しているであろう僕のために、何冊もの本を持ってきてくれました。
そのうちの1冊。
「free 高砂淳二写真集」(小学館)。

海を捉えた写真集です。
心を癒す見事な本でした。

この本は今でももちろん、僕のすぐ目の前にあります。
僕が毎日座っているPCの斜め左前の本棚に置いてあるのです。

この時のT先生ご夫婦の優しさは、僕は死ぬまで忘れないだろうな。
こういう人たちがいてくれて、自分は生かされているのだとつくづく思います。

退院した時に、ちゃんとしたお礼とかを言わなかったな。
照れちゃうんですね。未熟です。