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新版-「生きるに値しない命」とは誰のことか-ナチス安楽死思想の原典からの考察 /森下 直貴 (著), 佐野 誠 (編集)2021年02月07日 16時08分41秒

新版-「生きるに値しない命」とは誰のことか-ナチス安楽死思想の原典からの考察
助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で死なせることを安楽死と言います。
安楽死は世界の中のいくつかの国、アメリカと豪州のいくつかの州で認められています。
こうした考え方は、1970年代の「プライバシー権」の確立から発展してきたと思われます。
「プライバシー権」とは、自分のことを自分で決める権利、そして他人に干渉されない権利のことです。
しかしながら、実は安楽死の概念の萌芽は19世紀末のドイツにありました。
この時代の安楽死には優生思想の影が色濃く反映されており、1920年には『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』という本が出版されます。ちょうどヒトラーのナチスが登場した年です。

安楽死の議論をすると必ず優生思想の話になり、「本人の同意が得られない」ケースや、「本人の同意に反する」ケースで安楽死
が導かれる危険が指摘されます。
本人が同意していないわけですから、これは「死ぬ」ことに周囲が同意している=生きるに値しないと判断していることになります。
こうした考えは杞憂であるという反論も根強くありますが、安楽死の原点に優生思想があったという歴史的事実を私たちは忘れてはいけません。
相模原障害者施設殺傷事件の犯人も安楽死という言葉を使っていました。
人間の能力に価値を付けて、それに応じた人の選別を行えばそれは差別になります。
高齢者はできないことが徐々に増えていき、緩やかに障害者になっていく存在ということもできるかもしれません。
これは誰しもが通る道です。しかし、単純に能力の劣る存在と決め付けていいのでしょうか?

確かに、小児医療をやっていると、「いま、目の前の赤ちゃんの命を救えば90年の人生を用意してあげられる」と考える瞬間があります。
若い人には未来がある。今日が苦しくても明日はもっといいかもしれないと希望を持って生きることが可能です。
高齢者は明日に希望を見出し難いでしょう。自分の過去を場合によっては重石のように感じることもあるかもしれません。
だからと言って、その人が生きた80年とか90年の道のりが価値ないものと判断することはできません。
いえ、むしろその時間は人生の財産です。
赤ちゃんの命が重いのと同様に、長い年月を生きた人の最期の日々もまた重く価値あるもので、医療者はそれを尊重しなければなりません。
その最期の瞬間が薬殺のような形で安楽死の名の下に幕を閉じたら、あまりにも切なく虚しいのではないでしょうか。
安楽死とは「良き死」という意味ですが、良く死ぬとは、よく生きることです。死ぬことではなく、生きることにしっかりと重点を置いてもいいのではないかと考えます。
体の自由が効かなくなっても、認知能力が衰えても、最期まで良く生きることのできる社会、それが超高齢化を迎えた日本のこれから目指す道ではないでしょうか。

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