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救急・集中治療領域における緩和ケア・氏家良人 (監修), 木澤義之 (編集)2021年02月10日 22時46分57秒

救急・集中治療領域における緩和ケア
緩和ケアと一番縁遠いと思われがちな救急・ICUにおけるその意義を論じた医学書です。
大変面白く読めました。
個人的に最も興味があったのは、治療の差し控えです。
救急の現場の最大の特徴は「時間がない」ことです。患者本人の意思の確認をできなかったり、家族からそういった話を詳細に聞き取ることができません。
時間がなく、予後の見通し(可逆性)が判断できない時、医師は非常に悩むわけです。
そのときの一つの回答が、time-limited trial です。
まず挿管してみて、反応をみる。治療が奏功しなければ、治療を中止(withdraw)するのです。
治療の中止(を含めたすべての治療方針の決定)には、何よりも患者本人の意思と、患者の最善の利益が大事です。
国(厚労省)もこのことを強く打ち出しており、治療の中止や差し控え(withhold)は、適正な手順を踏めば、刑事訴追されることはほぼ100%ありません。
こういった終末期医療のことをいわゆる尊厳死と言いますので、日本では事実上、尊厳死は非合法ではなくなっています。
詳しくは書きませんが、ぼく自身も治療の中止や差し控えを行ったことが何度もあります。忘れることができない経験です。

さて、この本の中で違和感を感じたのは、「無益性」という言葉です。臨床倫理のキーの中に医学的適応の判断があります。
この判断を正しく行うために、無益性を考える必要があるとされています。
無益性とは次の4つです。
1 生理的無益さ・・・1時間心肺蘇生を行なっているが回復しない
2 死が切迫している無益さ・・・がんの末期で死が迫っているのに手術をする
3 最終的に無益にある・・・本人が望んでいなかった「植物状態」のようになってしまう
4 QOL の無益・・・身体機能が回復せず「生きていてもしょうがない」と感じる状態になる
1と2はぼくも納得しますが、3と4はどうなんでしょうか?
これは患者の年齢によってかなり違うと思います。
子どもの難病は多くの場合、先天性かそれに近いものですから、発病前の状態に戻れないという無益さがない、あるいは薄いと言えます。
一方で成人の場合、社会の一員として生活があり家庭があり人生がありますから、治療の結果、病前の状態を取り戻せないのは決定的につらいわけです。
さらに高齢者の場合、「もうすでに十分生きた」という達成感・満足感がありますから、なおのことそういった思いは強いでしょう。

ここを突き詰めると難しい話になっていきます。
子どもの最善の利益の代弁者は親ですが、親によっては子どもの病気や障害を受容しないからです。
こうしたケースでは誰が子どもの人権を守ってあげればいいのでしょうか?
ぼくとしては、こういうことを今後も考えていきたいと思います。