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300万6千円を返済する2013年02月04日 21時17分44秒

昨日、日本育英会から葉書が届きました。
読んでみると、ぼくが20年間かかって返済した奨学金が完了になったという報せでした。
総額300万6千円。
毎年15万円ずつ返していたのです。

ぼくは医学部を卒業した後、2年間の研修医生活を過ごし、その後で大学院に進学しました。
もちろん自分の希望です。
入学金を支払い、授業料を支払う。ま、当たり前ですね。
生活ができなくなりますからバイトに行く。
当時の月収は68000円でした。
アパートの家賃が42000円でしたから、生活は苦しい訳です。

しかし大学院時代のぼくはサイエンスに青春のすべてを注ぎ込んでいましたから、貧しいのがイヤだと思ったことは一度もありません。

そうは言っても、次第に(研修医時代に貯めた)貯金を食いつぶす。
やがて授業料が払えなくなる訳です。
その時に、ぼくが研究をしていた分子ウイルス学の清水教授が、奨学金を借りなさいと、ぼくを事務まで連れて行って一緒に手続きしてくれたのです。
その奨学金が総額で300万円。
お陰様で、次々と研究業績を上げることができました。
大学院時代はぼくにとって黄金の日々です。

清水教授は、ぼくの人生の中でもっとも尊敬し、もっとも恩を感じている人です。

さて、大学院とは不思議なところで、ここまで苦労して授業料を納めているのに、4年間の大学院のうち、2年間は小児外科で、普通の医局員として(つまり医者として)働くことになっていました。
給料を貰うのではなく、大学院生という身分なのに、労働の義務があるのですね。

ぼくは2年間で世界に通用する研究結果を出したため、さらにもう1年研究したいと小児外科の上司に申し出ました。
しかしこれは却下。
ぼくはそのまま小児外科を辞めて、研究者になろうかと思いました。
その時に、ぼくのすぐ年上の先輩たちが、ここで研究を終えるのは余りにももったいないと、ぼくの研究期間の延長を上司に直談判してくれました。
この若手の叛乱が認められてぼくは3年目も清水教授の下で研究を続け、さらに研究業績を積み重ねました。

だからぼくの人生の恩人と言えば、清水教授と、兄貴・姉貴にあたるぼくのすぐ年上の先輩医師です。
この恩は一生忘れることができません。
そして日本育英会さんにも心から感謝したいと思います。

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