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目が回る2013年02月01日 20時54分46秒

ヒッチコックの映画は傑作揃いですが、ぼくは中でも「めまい」が好きです。
タイトルからしてカッコ良い。
ストーリーの展開もめまぐるしく、「裏窓」と並んで彼の代表作でしょう。

さて、ぼくは「めまい」持ちです。
最初の「めまい」は28歳の頃でしょうか?

厚生省の研究班会議での発表を控えた朝、突然、目が回りました。
水平に揺れる感じですかね。
当時は大学病院の近くのアパートに住んでいましたので、ふらふらしながらも何とか大学病院に辿り着きました。

研究班会議は当然キャンセル。
ぼくは車椅子に乗せられて、レントゲンやら耳鼻科の平衡感覚器の検査やらを受けて、最後は確か、神経内科の教授に診察をしてもらいました。
検査では異常は見つからず、聴神経腫瘍という最悪の診断にはなりませんでした。
では原因は?

神経内科の先生は、何かストレスは? 今日の厚生省研究班会議がストレスなのでは? と訊きます。
ところがね、そうではありません。
ぼくは学会や研究会で人前で発表するのが大好きなんです。
だって日本で(もしくは世界で)自分しか知らないことをみんなに発表できるのですから、こんなに楽しいことはありません。
だからストレスも無関係。
結局原因不明。

その後も何度か「めまい」を起こしましたが、最初に経験した発作を上回ることはありませんでした。
そしてこの15年間くらいはまったく「めまい」はなし。

ところが今週の火曜日の朝、目覚めると天上がぐるんぐるんと回っています。
一瞬、寝ぼけているのかなと思いましたが、これは「めまい」。
そっと起きたら大丈夫でした。
で、現在に至るまで4日間。
徐々に「めまい」は減っていますが、急な動作で頭を動かすと、頭蓋骨の中で脳がぐるぐる回るような感覚に陥ります。
だから老人のように(実際、老人だが)、ゆっくりと歩き、姿勢を変え、診察をしています。

28歳の時と同様に、ストレスが原因ということはないと思います。
脳腫瘍でもないでしょう。
ま、老化か。
明日あたりには治っているでしょう。

「編集手帳」の文章術 (文春新書) 竹内 政明2013年02月03日 15時53分16秒

「編集手帳」の文章術
読売新聞の一面コラムを書いている竹内さんの作品です。
これまでに、
「名文どろぼう」
「名セリフどろぼう」
を読んできたので、本書が3冊目になります。

「文章術」とタイトルにありますが、文章の実用書というよりは、竹内さんの文章の「手の内」を明かすエッセイに近いと思います。
と言うのは、「読売新聞の一面コラム」だからこそ通用する(あるいは相応しい)文章術が語られているからです。

竹内さんは天才ではないと思います。
努力の極みの向こうにいる熟練の巧の筆ではないでしょうか?
そういうことを感じました。

接続詞は使わないそうです。
たとえば、
A 怒りにまかせて飲む酒がうまくないのは分かっている。しかし、飲まずにいられない夜もある。
B 怒りにまかせて飲む酒がうまくないのは分かっている。飲まずにいられない夜もある。
両者を比べた場合、余韻をもって胸に響くのはBと指摘しています。

そうでしょうか?
もしぼくが B のような文章を書いたら、編集者から「しかし」を入れろと訂正が入るかもしれません。
いや、そもそもぼくは「しかし」を入れますね。

それが「コラム」と「分かりやすい文章」の違いだと思います。

ぼくの文章の教科書は、何度もここで書いている通り、本多勝一さんの「日本語の作文技術」です。
もう一つ、ぼくの文章を作った基盤があります。
大学院に進学した時に、分子ウイルス学教室の教授・清水先生、指導教官・白澤先生(今は教授)に厳しく指導された英語論文の書き方がそれです。

日本人にとってもっと論理的で合理的で表現豊かな言葉は日本語であることは自明のことです。
そのことを前提として言うならば英語というのは(ドイツ語もそうだと思いますが)、論理のつながりの表現が大変厳格なんですね。

ぼくが初めて書いた英語論文は27歳の頃だったと思いますが、清水・白澤両先生から、三者面談みたいな感じで10回くらい「削除・訂正・加筆」の朱を入れて頂きました。
その経験はぼくの財産で、以後は医学論文を書く際は、日本語よりも英語の方が早く書けるようになりました。

ブログを書く時はたいして意識しませんが、web「g2」にインタビュー記事を書く時や、本を書く時は、「分かりやすい」ということを強く意識します。
ただそれをやり過ぎると、自明のことを書きすぎるので難しい。

「馬から落馬する」と書けば誰でもおかしいと分かるでしょう。
では、これはどうでしょうか?
「今もしCさんに取材をすれば」
この文章は「もし」と「すれば」が重なっているのです。
このことを編集者に指摘されて知りました。
だから「今Cさんに取材すれば」でよろしい。
こういう例もくどいでしょう。
「馬から降りて地面に足を着けた」
当たり前です。「馬から降りた」で十分。
だけど、ぼくが当たり前と思っても、編集から「書かないと分かりにくい」と指摘されることもあります。
そこが難しい。

文章を書く際、風味を付けたくなるし、人から名文だと言われたくなる。
そういう誘惑はなるべく断ち切って、サイエンスの英語論文を書くように単純に書こうとするのですが、どうしても文章のニオイが消えない。
中学生が書くようなシンプルな文体と事実の羅列の中から、内容が醸す詩が滲み出てくることが、ぼくの理想ですね。
還暦までには良い文章を書けるようになりたいですね。

300万6千円を返済する2013年02月04日 21時17分44秒

昨日、日本育英会から葉書が届きました。
読んでみると、ぼくが20年間かかって返済した奨学金が完了になったという報せでした。
総額300万6千円。
毎年15万円ずつ返していたのです。

ぼくは医学部を卒業した後、2年間の研修医生活を過ごし、その後で大学院に進学しました。
もちろん自分の希望です。
入学金を支払い、授業料を支払う。ま、当たり前ですね。
生活ができなくなりますからバイトに行く。
当時の月収は68000円でした。
アパートの家賃が42000円でしたから、生活は苦しい訳です。

しかし大学院時代のぼくはサイエンスに青春のすべてを注ぎ込んでいましたから、貧しいのがイヤだと思ったことは一度もありません。

そうは言っても、次第に(研修医時代に貯めた)貯金を食いつぶす。
やがて授業料が払えなくなる訳です。
その時に、ぼくが研究をしていた分子ウイルス学の清水教授が、奨学金を借りなさいと、ぼくを事務まで連れて行って一緒に手続きしてくれたのです。
その奨学金が総額で300万円。
お陰様で、次々と研究業績を上げることができました。
大学院時代はぼくにとって黄金の日々です。

清水教授は、ぼくの人生の中でもっとも尊敬し、もっとも恩を感じている人です。

さて、大学院とは不思議なところで、ここまで苦労して授業料を納めているのに、4年間の大学院のうち、2年間は小児外科で、普通の医局員として(つまり医者として)働くことになっていました。
給料を貰うのではなく、大学院生という身分なのに、労働の義務があるのですね。

ぼくは2年間で世界に通用する研究結果を出したため、さらにもう1年研究したいと小児外科の上司に申し出ました。
しかしこれは却下。
ぼくはそのまま小児外科を辞めて、研究者になろうかと思いました。
その時に、ぼくのすぐ年上の先輩たちが、ここで研究を終えるのは余りにももったいないと、ぼくの研究期間の延長を上司に直談判してくれました。
この若手の叛乱が認められてぼくは3年目も清水教授の下で研究を続け、さらに研究業績を積み重ねました。

だからぼくの人生の恩人と言えば、清水教授と、兄貴・姉貴にあたるぼくのすぐ年上の先輩医師です。
この恩は一生忘れることができません。
そして日本育英会さんにも心から感謝したいと思います。

耐用年数7年2013年02月05日 23時19分38秒

クリニックを開設して7年が終わろうとしています。

建物自体は鉄骨なので、まったく劣化していませんが、PC関係はやはりもろいですね。
電子カルテは今年の夏にすべて入れ替える予定です。
金額的にかなり大きなコストがかかりますが、致し方ないでしょう。

そして普段使っているプリンターはすでに何台か買い換えています。
「モノクロ・レーザーの複合機」も7年間活躍してくれましたが、ついに寿命が近いようです。
これを機会に「カラー・レーザーの複合機」も検討しましたが、トナーがとても高価なんですよね。
カラープリンターは、7年前にレーザーを買いましたが、現在はインクジェットに格下げになっています。
インク代が桁違いなんです。
カラー印刷はコイツに任せて、複合機は「モノクロ・レーザー」のまま変更無しという結論に落ち着きました。
その結論に到達するまで各社のHPを何度も比べて見て、たちまち数時間が経過してしまいました。
首も痛い。
下手な考え何とやら、という奴でしょう。

g2, Vol.12 をどうぞ2013年02月06日 22時29分57秒

ムック「g2」を読みました。
17人の作家さんによる作品集ですから、興味のあるものを中心に。

一流の作家さんがずらりと並んでいますが、一番「芸風」が文章に出ているのは久坂部羊さんではないでしょうか。
久坂部さんの作品は、名前を伏せたとしてもその文章と内容で久坂部さんが書いたと分かる自信がぼくにはあります。
ええ、つまりファンだということです。

「特集」の「生と死をみつめて」はどれもいい作品でした。
ぼくの興味にぴったりとはまっているからでしょう。

スポーツ・ノンフィクションもよく掲載されますが今回は伊良部投手。
文春の「ナンバー」のようにいつもレベルの高い作品が掲載されますよね。

森健さんの原稿は、ビッグデータ社会の陥穽について。
森さんの得意とする分野のうちの一つです。

「g2」はwebとも連動しており、webに会員登録している人は1万人にのぼるそうです。
ムックがどれくらい売れているか知りませんが、こういった良質のノンフィクション雑誌は、半永久的に継続してもらいたいですね。

新聞広告で見かけることはまずありませんし、本屋さんでもひっそりと置かれている印象ですが、なんだか勿体ないですね。
集英社の「kotoba」もそうですが、もっと目立つ存在になって然るべきだと思いますよ。
本好きの人、ノンフィクションが好きだという人は、ぜひ、手に取ってみてください。

お勧めです。
ぼくもweb版で、微力ながら「著者インタビュー」でがんばります。

「裏がえしの自伝」 (中公文庫) 梅棹 忠夫2013年02月07日 23時21分48秒

裏がえしの自伝
これはめちゃくちゃ面白い本でした。
梅棹さんの著作を読むのは何冊目になるのか、ちゃんと数えていませんが、これまでで最も楽しませて頂きました。
「裏返しの自伝」とは、自分がなれなかった6つのジャンルで自分を語っているのです。

大工
極地探検家
芸術家
映画制作者
スポーツマン
プレイボーイ

だけど、なれなかったのに何故語れるかと言えば、「職業」にはしなかったけど「ハイ・アマチュア」だったからです。
これほど多彩な才能を持った人というのはなかなかいないと思います。
この本にはきちんと「オチ」が付いていて、最後のプレイボーイというのは女性にもてる「プレイ」ではなくて、人生に余裕のある「プレイ」と解釈します。
車の「ハンドルの遊び」と同じ意味ですね。
従って「人生には目的などない」と考える梅棹さんは、プレイボーイにだけはなれたのです。

ぼくなぞまるで才能の無い人間ですが、だからと言って梅棹さんと比べて自分が惨めだとは思いません。
才能があろうがなかろうが、人間はまず実在として存在するのですから、よりよく生きる以外幸福になる方法はないのです。
ま、ちょっと憧れますが、ぼくはこの程度の能力で十分に満足です。

お勧めの名著です。
特に若い人は読んでみてください。

なぜ、ももいろクローバーZを聴くか2013年02月08日 22時07分51秒

音楽に関してはもっぱら聴くのが専門で、歌ったり楽器を演奏することはできません。
しかし耳はけっこういいと思います。
中学の頃からレコードを買い始め、父親が所有するかなり立派なオーディオで聴いていました。
日本のフォークも若干聴きましたが、最初から興味があったのはブリティッシュ・ロックです。
柔らかいところではクイーン。
ハードなところでは、ディープ・パープル、レッド・ツェツペリン。
プログレ系では、イエス、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、、、といった感じです。

40歳を越えて突然ジャズに開眼。
1950年から1960年のモダンジャズからアバンギャルドが好きです。
エリック・ドルフィーとかオーネット・コールマンとか。

J-POPには全然詳しくありませんし、ましてやアイドルには何の関心もありません。
ただ10年くらい前に「スピード」の女の子たちは歌がうまいと感心したことがあります。
さて、ももクロです。
これから書くことはファンにとっては常識かもしれません。
あるいは逆に、ぼくの書くことは的外れかもしれません。
ま、ブログなので勝手に書きましょう。

ももクロの結成は2008年。
現在リーダーの百田夏菜子は当時14歳だったはずです。
その頃の動画をYou Tubeで視聴可能ですが、まったくのへたっぴ。
つまり素人ということです。
代々木公園での路上ライブから活動を開始し、車中泊は当たり前で全国を回ります。
マイナーレーベルからレコードを出し、やがてメジャーデビュー。
昨年大晦日での紅白歌合戦では視聴率アップに大きく貢献したことはみなさんご存じの通りです。

代々木公園の隣にはNHKホールがあり、彼女たちは紅白歌合戦の出場を夢見てきました。
だけどそれって、どんな芸能人でも考えることで、あんなへたっぴな歌唱力でよくもそんな大胆なことを発言していたものです。

ですがその夢は現実になり、ライブ会場は次第に大きくなっています。
今年の夏には7万人収容の日産スタジアムでライブを行うそうです。

現在18歳になった百田夏菜子の5年後、10年後はどうなっているのでしょうか?
あの激しい踊り、激しい歌。
ああいった活動が、30歳になってもできるということはあり得ないでしょう。
また、「ももクロ」というのは、「AKB48」のような「システム」ではありませんから、メンバーが入れ替わって新陳代謝を図るということはあり得ない。
つまりももクロは「システム」ではなく、百田夏菜子ら5人に対する呼び名なんですね。
従って、ももクロには近い将来、終焉が訪れることになります。

路上ライブから出発して日産スタジアムまで上り詰めるアーティストなど滅多にいないはず。
だけど、何十年かのスパンで見れば、いなくはない。
それをぼくは今、生で目撃している訳です。
音楽を聴くというのは、知的アクティビティーの一つです。
ぼくの能力は大したことはありませんから、そのアクティビティーが続くのは、還暦までのあと9年くらいと自分では思っています。
その9年に、ももクロの上昇と頂点、そして結末を見ることになるでしょう。
生き物としてのアーティストの盛衰を体感できるのは、ももクロを以てぼくの人生の最後だと思われる訳です。
そういう意味で目を離すことができない。

ぼくの心の真ん中にいたディープ・パープル。
彼らはぼくが15歳の時に解散しました。
それからおよそ35年の歳月が流れ、ぼくは自分の人生の締めくくりに合わせるように、ももクロという5人のアーティストが昇華する姿を見届けようとしています。

「看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために」(文藝春秋)奥野 修司2013年02月09日 21時41分16秒

看取り先生の遺言 がんで安らかな最期を迎えるために
以前に読んだ奥野さんの「満足死」という本が大変面白かったので、この本を読んでみました。
在宅でがんを看取る医師が、末期がんとなり、「遺言」という形の一人語りで本書はできています。

個人的な体験が多く語られているのかと期待して読みましたが、前半の方は、啓蒙書のようになっていました。
当然かもしれません。
だけどそういう部分はぼくにとっては、十二分に知り尽くしていることなので、個人的には面白いとは言えませんでした。
ま、それはしかたありません。

看取りの先生が、大変素晴らしい先生だったことはこの本を読むとよく分かるのですが、ほかの在宅医療をおこなっている医者をバカとかヤブという言葉で批判するのはちょっとどうかと思います。
ブログならともかく、こういった立派な書物で、それも「遺言」と銘打った本でそういう悪罵は本の品格を落とすように思えます。

この本を読んだ在宅医療医は不愉快に感じるだろうし、一般の患者さんも、在宅医療に不安を感じてしまうのではないでしょうか。
つまり名医は、この先生一人だけとなってしまいます。
それは事実かもしれませんが、そういう「遺言」を聞く私たちは、一体どこへ行ってどういう終末を迎えればいいのでしょうか。
おそらくその答えは、奥野さんが今後も著作を通じて私たちに示してくれるのでしょう。

最もよかったのはやはり最終章。
看取りの先生が死への準備に入る場面を奥野さんが日記風に綴っていきます。
ここでの描写は極めて個人的な体験で、まさにぼくが読みたい部分でした。
死というのは人との和解を促すのでしょうか?
ぼくの人生には仲違いをした人間が何人もいますが、ぼくは死を前にしてそういった人たちを許すことができるのでしょうか。
それは分かりません。
死を目前にして「お迎え」が来て欲しいとも思わない。
家内と娘の顔さえ見ることができれば、あとは何も要りません。
そういうことをじっくりと考えさせる最終章でした。

これからも奥野さんの作品を読み続けると思います。
在宅医療での看取りに関心のある方は手にとってみてください。

「面白い本」 (岩波新書) 成毛 眞2013年02月10日 19時08分19秒

面白い本 (岩波新書)
岩波新書にしては柔らかい本だと思います。

著者の成毛眞さんの読書量は大変なものですね。
書評家ではないようですが、ノンフィクションを重点的にものすごい量を読んでいます。
ぼくが年間に読む本が80〜100冊くらいですから、成毛さんはその数倍でしょう。

だけど面白いことにそんな成毛さんでもすべてのジャンルのノンフィクションを読むことはやはりできない。
格闘技は嫌いらしい。
この本を読むと、選ばれた100冊のノンフィクションは「翻訳本」と「科学・医学」に比重が大きいことが分かります。

ぼくはあまり「翻訳本」は読みません。
作家の文体を味わうことができないからです。
上手な翻訳者はたくさんいますけど、(たとえば)英語で書かれた味を再現することは不可能に近いと思います。

逆に言えば、川端康成や大江健三郎の文学をなぜ欧米人が理解できるのか、ぼくには理解できません。

医者の書く論文は基本的に英語ですが、「一般論文」は日本人が書いてもアメリカ人が書いても同じような文章になるんです。
ところが雑誌の巻頭を飾る「レビュー」には、その先生の英語の文体とか味がしっかりと出ます。
そういうものを上手に日本語に翻訳できても、味は出しようがありません。

ところが例外もあるんですね。
ぼくがこれまでに読んだ国内外のノンフィクションでトップランクの面白さだったのは、「マルコムX自伝」です。
この文章はとてもいいと思いました。
フィクションでは、「チャイルド44」の翻訳が大変うまい。
要するに翻訳者が頭の中で「意訳」して、「日本語」を書いているのではないかと、ぼくは想像しています。

サイモン・シンのサイエンスとか、医学サイエンスとか、ぼくはまったく興味がありません。
なぜかというと、まるで面白くないから。
ぼくの頭は「理系」にできていないので、これは仕方ないでしょう。
好みの問題です。

巻末に「鉄板すぎて紹介するのも恥ずかしい本」が9冊載っていましたが、恥ずかしいなどと言わず、書影は要りませんから「鉄板本」の100冊を紹介して欲しかったです。
何を以て成毛さんが「鉄板」と考えているいるか、そのリストを見れば分かりますからね。

ベスト100冊というのは、人によって案外違いますから、その辺にもとても興味があります。
ぼくも死ぬまで、ブログにマイ・ノンフィクション・ベスト100を書くつもりです。

「津波の墓標」(徳間書店) 石井光太2013年02月11日 14時57分29秒

津波の墓標
久しぶりに石井光太さんの作品を読みました。
前作の「遺体」は読むかどうか相当迷いましたが、結局いまだに読んでいません。
大学病院で目にしてきたたくさんの子どもの遺体を思い出してしまうんですね。
だから本に書いてある以上のことを考えてしまう。
遺体に関する話は苦手なんです。大事なことですけれどね。

さて本書は、遺体そのものとは若干離れて、石井さんが東北の被災地で見て、聞いて、感じたことをすべて表現しています。
明るい話はほぼ皆無で、どれだけ現場が悲惨だったかが語られています。
また石井さんは、被災地の明るい面ばかりを報道するマスメディアの姿勢にも相当疑問を持っていたようです。
だから本の内容は大変暗い。

東北三県でATM強盗の被害総額は6億8千万円だそうです。

震災が起こっていち早く現地に入った二つのボランティア団体に、ぼくは13万円ずつ、合わせて26万円寄付しましたが、この本を読むとそれには一体どんな意味があったんだろうと疑問が沸きます。

コップに入った水を見て、「もう半分しかない」と表現することもできれば、「まだ半分もある」と言うことも可能です。
青い海を見て、「寒々しい」と表現することも、「清々しい」と文字にすることも可能です。

被災地には明るい話も暗い話もあったでしょう。
問題は何をテーマにして本を作るかです。
この本のテーマは何でしょうか。
それはタイトルにある通り、東北三県が墓場のようになってしまったということでしょうか?
と、まあ、そんなことを考えてしまいました。