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それでも大学病院を擁護する2009年02月23日 19時09分48秒

クリニックで診療を行なっていると、より高次な診断・治療のために患者さんを大きな病院へ紹介することが、ままあります。
僕の場合、それはほとんどが千葉大学病院です。
小児科も小児外科も、一流の先生たちがそろっていますから、送る側の僕からすると何の不安もありません。

しかし、紹介の段取りを患者さんと話しあっていると、大学病院を嫌がる親御さんが時としています。
それは、大学病院へ行くと、患者が「モルモットのように扱われる」という懸念からです。
そしてそれは、特に「研修医の実験台」という言い方が添えられたりします。

千葉大病院に19年間所属して、今でも大学で診療をやっている僕からすると、大変に気に障る言い方です。
以前に一度、そう言われて患者さんに「それは僕に対する侮辱だ」と言い返したこともあります。

しかし、ま、そういう感情論を抑えて少し冷静に考えてみましょう。
大学病院に未熟な研修医がいることは事実です。
僕だって21年前はそうでした。
しかし。
現在、地域医療が崩壊しているのは、新臨床研修医制度のせいということはみなさんご存知でしょう。
つまり、研修医が研修先を自由に選べるようになったため、大学から研修医が激減りした訳です。
その研修医たちは、大学から市中の大病院へ移っていき、大学は研修医の確保に必死になっています。
そう、つまり、未熟な研修医は今や、大学病院だけでなく、日本中の大型病院へ行けば、どこにでもいる訳です。

それなのに、大学病院だけが、「研修医の実験台になる」と非難されるのはどういう訳でしょう。
それはあんまりというものです。

しかし、敢えて、しかしと言ってみましょう。
大学にそういうレッテルが貼られているのは一理あるかもしれません。
20年前の研修医は確かに質が悪かった。
あ、つまり僕のことですね。
採血にしても手術の糸結びにしても、現在のように模型を使って練習するなんてことはありませんでした。
患者さんと向き合うことで、技術を磨いていったことは否定できません。
そのことは、僕自身、子どもたちやご両親にとても感謝しているし、それによって得た技術は「本物」だと思っています。
僕はよく「僕の針刺しは東日本一」と言って笑いをとっていますが、あれはほとんど本気です。
拙著『命のカレンダー』にも書きましたが、僕くらい子どもに針を刺した医者はちょっと他にはいません。

そうやって、患者さんの苦痛の上に成り立った医療、そしてその修練。
20年経った現在から、20年前の罪悪を非難することは簡単なことでしょう。
でもそれは、医療の世界だけがそうだった訳ではありません。
医者の世界はあくまでも社会全体の映し鏡にしか過ぎません。
20年前の日本という国の人権感覚がその程度だったというだけです。

20年前の我が国では、教師は平気で生徒を殴ったし、親も平気で子どもに手を出していました。
虐待に対して児童相談所が介入するなんてもことなかったし、セクハラという言葉も、パワハラなんていう言葉もありませんでした。
こども同士のいじめが新聞に報道されることもなかったし、男女同権なんて誰も思っていなかった。

そういう我が国の、「当たり前の感覚」が医療の場にそのまま持ち込まれただけの話です。
それなのに、そういった20年前の罪悪を今でもなお進行中のように「大学ではモルモットにされる」というのは、濡れ衣としか言い様がありません。
医者の倫理観の高さは20年前も現在も少しも変わっていません。

僕は20年前に、重症の赤ちゃんを管理するために1ヵ月間ほぼ連日徹夜で病院に泊まり込んだことがあります。
もちろん、残業代なんか出ません。
それどころか、こんな未熟な医者が月に15万円くらいの給料をもらうことの矛盾と苦悩を同僚と語り合っていました。
すべては患者のために働き、自分が一人前になって恩返しをするために修練したのです。

ですから、僕は大学病院を擁護します。
千葉大病院は千葉県の中ではナンバーワンの病院だし、医者も一流の先生がそろっています。
僕はこれからも自信をもって患者さんを紹介します。