アクセスカウンター
アクセスカウンター

報道が問われる2010年01月21日 21時28分23秒

小沢一郎の土地購入をめぐる不明朗な金銭処理が連日激しく報じられています。
この問題がどう決着がつくか、それは時間がもうすぐ解決するのでそれには触れません。
しかし僕が非常に関心を寄せているのは、「報道」のあり方です。

連日、「関係者によれば」という表現でいかに小沢一郎が怪しげなことをやっているかが報道されています。

関係者って誰でしょうか?
これは検察でしかありえません。

なぜ検察はそういった情報操作をする必要があるのでしょうか?
はっきりした証拠を握っているなら、裁判を通じて裁けばいいだけ。
法に照らして罪を償わせば、それでいいではないですか?
検察はわざと情報をリークしてるの?
それとも、口が軽いの?

そしてそれ以上に心配なのは、報道の態度です。
ジャーナリズムの使命ってなんですか?
その倫理と論理はなんですか?
対立する二者があれば、両方の言い分を聞くのが、「基本」の「き」です。

朝日新聞や毎日新聞には、そういったことに対する自省が少し紙面ににじみ出ています。
検察の一方的リークをそのまま流すことに、報道としてどういう意味があるか今後も考えて欲しいと思います。

ジャーナリズムは、かつては「第四権力」と呼ばれました。
権力を持つものは、必ずを権力を使おうとします。
もし、権力を使って石で打つなら、「罪なきものがまず石を投げよ」と僕は言いたい。

でも、そうすると誰も石を投げられなくなるから、「罪なきもの」のふりをするために石を投げるのだけは、止めてほしい。