アクセスカウンター
アクセスカウンター

生命(いのち)かがやく日のために2013年05月21日 23時13分52秒

生命(いのち)かがやく日のために
共同通信社の斎藤茂男さんが書いた「生命(いのち)かがやく日のために」は、僕にとって宝物のような本です。
読んだのは1990年。今から23年前ですね。

ダウン症に先天性十二指腸閉鎖を合併した赤ちゃんの手術を、親が拒否する。
ダウン症を受け入れることができないのが理由です。
十二指腸閉鎖は、小児外科医であれば誰にでも治せる病気ですから、親はこの病気を利用してダウン症の赤ちゃんを殺そうとしているようなものです。

斎藤記者はリアルタイムでこの赤ちゃんの一日一日を報道し続けました。

赤ちゃんを応援する声が読者から多数寄せられるうちに、異なった意見も届くようになります。
それはこんな具合です。
「記者は自分で障害児を引き取って育てる覚悟もないくせに、第三者が口出しするな」と。

ぼくは昨日、ブログを書きながら本書の存在を改めて思い出しました。

ああいうブログを書くと「じゃあ、お前はダウン症の子どもを授かっても喜んで育てるのか?」と、そんな声が聞こえてきそうです。

もちろん、喜びはしません。だけど、ちょっと考えて欲しいのです。
どんな親でも、我が子が健常で、できれば見目麗しく、できれば頭も良いことを望みます。
だけど現実は必ずしもそうではありません。
いえ、それどころか、自分の子どもは重い病気になるかもしれません。
白血病になるかもしれない。小児がんに罹るかもしれない。
あるいは生まれながらに知能に障害があるかもしれない。
それは本当に不条理なことだと思います。

だけど、不条理なことと言うのは、何も病気だけには限りません。
経済的に極貧の家庭に生まれる子どももいます。
子どもを虐待する親もいます。
本人には何の落ち度もないのに、出自を問題にされて不当に差別される人も日本にはいます。

この不条理を乗り越えることは簡単ではありません。
そもそも何故こういった不条理があるのか、子どもも親も悩むでしょう。
悩んでも答えは出ないかも知れない。
だけど、その不条理が嫌だという理由で、親が子どもを見捨てたりしていいのでしょうか?

理由無き不条理を解消する方法は、その不条理を多くの人たち(仲間)が共有して、希釈して、消していくことだと思います。
そういうムーブメントが「歴史の進歩」ではないでしょうか?

大阪市の市長がどれだけ歴史の歯車に逆らったとしても、歴史の歯車は必ず回り、ああいった右翼反動はいつの日にか歴史の記録から消えていくのだと思います。

「ダウン症だとわかれば妊娠中絶できた」と考える親も、今の日本にはまだまだいるでしょう。
だけど、私たちの子どもが親の世代になっている時には、社会の意志は変革されているのではないでしょうか?
そうやって少しずつ歴史は進んでいくのだと僕は信じています。

追記)昨年、一年間にわたり障害児の取材をしてきましたが、生まれてくる赤ちゃんはむしろダウン症が良いと考えた母親がいました。
ダウン症としての生き方に強く共感を覚えたのだそうです。
私たちの心の中に、新しい芽吹きを感じました。