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あっという間の一夜2006年09月29日 23時55分52秒

今日は大学病院小児外科の飲み会でした。
いろいろな人と話したかったのですが、一人一人と濃密な話しをするうちにあっという間に時間が過ぎてしまいました。教授とも話しをせずじまいでした。
ドクターKは噂とは違ってちゃんと登場しました。ここでいったん、K先生とはさよならです。でも、また一緒に話す機会はあるでしょう。
大学病院のメンバーはどんどん変わります。淋しいですが、これが活力のもとなんですね。同じメンバーで何年もやってるなんてぼうふらが生えた池と同じです。みんなは二次会にでかけましたが、僕はもちろん、帰宅です。明日も大事な診療ですからね。

さらばドクターK2006年09月28日 20時39分30秒

明日は、千葉大病院小児外科のK先生の送別会です。
思えば26年の付き合いです。彼が新入生として千葉大の学生になった18才の頃から知っています。坊主頭に眼鏡をかけて真面目、一生懸命の学生でした。
彼は空手部、僕はラグビー部なので体育会系同士での付き合いがありましたし、彼の下宿するアパートにも何度か行ったことがあります。また、彼は富士見町の「五味鳥」でアルバイトをしていたので、そこでも客としての付き合いがありました。
僕の後輩として小児外科教室に入ってきて、その後も付き合いは続きます。一番の仲良しだったと同時に1-2年に1度は必ず怒鳴り合いの大げんかをしたものです。でも、毎回、次の日には、「あ、ボールペン貸して」とか言って何事も無かったように仲直りをしてしまうんです。優しい男なんです、基本が。
今では日本でも屈指の小児外科医です。来月からは東京女子医大八千代医療センターで小児外科のボスになります。(身分は何だか知りませんが)
本当に個性の強いK先生。一説によれば明日の送別会に参加しないとか。わっはっは。彼らしいですね。でも幹事はちょっと泣くかも。
僕は今、クリニックで彼から送別の際に贈られた万年筆を愛用しています。

千葉県子ども病院のOB, OGの先生達2006年09月20日 22時42分53秒

今日は夕方からちょっとした集まりがありました。
千葉県子ども病院で共に働き、その後、開業した先生達の集まりです。開業したのは皆さんここ1〜3年の間です。
一緒の楽しい時間を過ごさせていただいて、とにかく、感じた事は、みんな真面目です。これならお子さん達は、みんなハッピーでしょう。それぞれの地域の中で良質の小児医療を行なっているのでしょう。
僕も負けないように、当たり前のことを当たり前にやる「普通の医療」をこれからも続けて行きたいです。

行って来ました。菜の花会。2006年07月03日 21時46分44秒

昨日は年に一度の菜の花会でした。千葉県のがんの子どもの(親たちの)会です。僕は設立のときから、関わっています。講演も2回、しました。
この日、勉強会に招かれたのは、元国立成育医療センター・血液腫瘍科の恒松先生でした。この業界では大変有名な大御所です。この3月に定年退官したんですね。
先生の講演は小児がん患者の二次がんの問題です。一般の患者さん相手にはちょっと話しが難しかったでしょうか?
しかし、です。この菜の花会も設立10年。ママたちも小児がんの卒業生たちもたくましくなりました。講演の最後には、学会並みのハイレベルな質問が次から次に飛び交っていました。
で、結論は何かというと、誰かがこの子たちを長期に診て行かなければいけないということです。あ、では、小児外科の方は良いじゃありませんか。僕があと20年、診ましょう。さて、小児内科の白血病のお子さんたちはどうしましょう?
僕は白血病という病気のバイオロジーは良く知りませんが、化学療法や放射線療法、造血幹細胞移植のことならよく分かります。
もちろん、小児科に立派な先生たちが何人もいますが、さらに、こんな僕でよければ、僕を利用して下さい。毎月の第三水曜日には大学で1人で外来をやっています。受付をしなくても結構ですから、まず、ぶらっと訪ねて来てください。時間はたっぷりあります。差し出がましいでしょうか?
この日の勉強会で最後にみんなが驚いたことは、恒松先生の年齢でした。ええ〜、わ、若く見える〜、という反応でした。
菜の花会も参加メンバーの顔ぶれも、この10年のあいだにずいぶんと変わりました。そのこと自体は良いのですが、僕が敢えて課題を一つあげるとすると、、、子どもを失ってしまった親はどこへ行けば良いのでしょうか?この問題は、僕自身の宿題でもありますが、菜の花会としても何か力になることが出来れば良いですね。でも、答えを言ってしまうと、子どもを失った親からすると、『将来の二次がん』の心配なんて全然、関係ないことなんですよね。。。
こんなに近くて遠い関係。本当に難しいですよね。でも、簡単に諦めないで、頑張って行きたいです。やることがいっぱいだ〜。

僕の周りは超人ばかり2006年06月30日 21時39分53秒

僕の25年来の友人Y先生は稲毛で『行列のできる耳鼻科クリニック』をやっています。
その彼が、職員旅行で2泊3日の旅に出かけて、趣味の釣りも楽しんで来たとか。良いですねえ。うらやましい。
ところが帰って来たら、メールが150通。まじっすか?
僕が大学に在職して日本中の小児外科医といろいろな仕事をしていた時でも、こんなにメールが来たことはありません。そいでもって、僕が彼に耳鼻科に関する質問をメールですると、必ず翌朝5時に長文の詳しい返事が来るんです。
超人です。
僕がこども病院時代、喘息患者でお世話になったT先生は、やはり千葉市中央区で『行列のできる小児科』をやっています。
気候が良く喘息患者の少ないこの時期なのに、一日の患者さんが100人近いとか。終わるのは夜の9時。まじっすか?
うちのクリニックの2倍の患者さんの数ではないですか?とても真似できません。
超人です。
さて、僕は何の超人でしょうか?毎日のブログ更新でしょうか?
あ、こんなことは超人のうちに入らないそうです。家内にぴしゃりと言われました!

京都府立医大2006年06月19日 21時46分04秒

京都府立医大・小児科の家原先生から、このブログに対するコメントをいただいてしまいました。有り難いことです。
京都府立医大の小児科は、先代の教授が世界に冠たる澤田先生です。そうです。神経芽腫のマススクリーニング・システムを作られた先生です。学会の大御所なのですが、きさくな先生で僕もずいぶんと声をかけていただきました。現教授は杉本先生です。僕のホームページの「小児がんに挑む・それは金寿司さんで始まった」に書きましたが、僕の研究のデッドロックを救っていただいたのが、杉本先生です。今でも西に足を向けて寝られません。
松村先生。。。僕が小児がん学会にデビューしたころ、本当に学会で光を放っていました。こんな先生のようになりたいと憧れましたが、働き過ぎたため、人より早く天国まで駆け足で人生を走り抜けてしまいました。
細井先生とは1998年の横浜のSIOP(国際小児がん学会)のころから親しくさせていただいています。なぜか、細井先生にはプライベートな悩みを何でも打ち明けてしまいます。僕が大学を退職することを他大学の先生で初めて話した相手も細井先生でした。きっと患者さんの悩みを聞き出して、心を開かせる能力があるんですね。家原先生は才色兼備の国際的な神経芽腫の臨床家・研究家です。日本の神経芽腫のデータを精密にまとめあげて皆さんにデータを還元しています。この苦労は実際にやった人でないと絶対に分かりません。彼女のような仕事に対して日本中の先生たちはもっともっとリスペクトを払うべきです。
僕は日本中に人脈がありますが、小児固形がんの専門家たる小児科医が少なすぎることにいつも不満をもっています。ところが、こうやって京都府立医大には優秀な先生が集中してるんですね。
先日のロサンゼルスの国際会議(ANR)では、千葉大グループ、京都府立医大グループ、九州大学グループでお酒を飲んだようですね。うらやましい!
僕も少しでも早くクリニックの運営を安定させて、学会へ行くぞ〜〜!

横山先生の思い出2006年06月08日 22時27分48秒

横山清七先生。。。
飾らない、きさくな先生でした。日本小児がん学会を開催なさった時、、、会長さんって会期中に何度も挨拶のスピーチをするんですけど、横山先生のご挨拶は毎回、本当に「一言」でした。あれは、「ウケ」を狙ったのか、長い話しが面倒だったのか、形式張ったものに対する批判だったのか、僕にはよく分かりませんでしたが、とても印象に残っています。
神奈川小児がん研究会に、講師として招いていただいたのも横山先生でした。こんな僕の話しで良ければと思い、スライドを一生懸命準備して神奈川に出かけました。小児がんのがん遺伝子の総説をお話ししました。いやあ、よく分からないなあとか言って、笑っておられました。
小児がん学会を開催なさった時には、体調を少し悪くなされていたようです。しかし、この学会の「目玉」は、難病の子どものためのキャンプでした。そらぷちキッズ・キャンプの宣伝がこのころから始まりました。僕はすぐに会員になりました。横山先生は、全国を歩いてキャンプの広報につとめていました。千葉の菜の花会にもお見えになりました。会が終わって、JR千葉駅まで僕の車でお送りしたのが最後に会った横山先生のお姿です。
このホームページが出来た時にもURLをメールでお知らせしましたが、なぜか返事が来ませんでした。いつもなら、「こんにちは!」の挨拶で始まるメールが来るのに。。。ビールが大好きだった先生、、、先生を偲んで杯を捧げたいと思います。

ホームグランドでちょっと一杯2006年05月25日 23時15分28秒

診療時間が終わりに近づいたころ、大学病院から電話がありました。菱木先生がこれからみんなで飲みに行くので、僕にもお誘いがかかったのです。久しぶりにみんなと一杯やりたかったし、何よりもロサンゼルスで活躍した武之内先生が来るというので、二つ返事で参加しました。
K嬢の運転でN嬢も一緒に千葉市のパルコ方面へ出発です。夜のネオンを見るなんて本当に久しぶりです。菱木先生に武之内先生、そして僕のジャズの師匠の照井先生、仲の良い仲間たちばかりです。そして、現在、小児外科に研修に来ている若い外科医や学生たちも来ていました。彼らの顔は憶えています。授業や実習で教えたはずです。
武之内先生の発表はやはり、本当に素晴らしかったようです。発表後、いろいろな人に祝福されたようですね。英語自体も良かったし、研究内容もとても高く評価されたようです。何か、自分の娘が誉められたようで、本当に誇らしい気持ちになりました。後輩の彼女に感謝しないといけないですね。
なんだか、ホームグランドで、自分の居場所で一杯やったような気がしました。このままずっと、その場に居ても良いような気になりました。仲間と一緒の時間は心地良く心穏やかになるひとときです。深酒しないで帰宅しましたが、K嬢もN嬢も楽しい時間を過ごしたようでした。
結局、人の幸せって、過去の楽しい思い出の蓄積と未来に楽しい思いを馳せること、これを糧に生きて行くことなんだなあと思います。夢を食べて生きていく生き物なんですね。今夜は良い夢を見て眠ることにします。明日からまたみつわ台周辺の子どもたちのために頑張ります!

福岡の子どもは幸せ2006年05月24日 21時14分49秒

今夜はもう一つ書きます。ロサンゼルスで下痢をしたのは田尻先生ではないとか。。失礼しました。僕は日本中に学会友達がいますが、一緒にお酒を飲む仲というと、さすがにそう多くはありません。その中の一人が九州大学小児外科の田尻先生です。僕の多くの学会友達は、最初の出会いや話し始めたきっかけなどをたいていクリアに憶えているのですが、なぜか田尻先生に関しては全く記憶がありません。ある日、気がついたら僕の隣りで旧知の仲のようにお酒を飲んでいたという感じです。福岡には本当によく行きました。先代の教授の水田先生が何度も学会を開催なされたためです。食事が美味しくていつも楽しい学会旅行でした。
田尻先生がいる福岡の子どもたちは幸せですよ〜。

トーマス!2006年05月14日 21時44分26秒

トーマスにメールを書きました。彼とは1999年にスイスのベルンで小児肝がんの国際会議に出席した際、友達になりました。この会議は、僕の医(学)者としてのキャリアのうえで、のちのち分岐点になった大事な会議なのですが、実はその時点で僕は海外へなんと行った事がなかったのです。そこで、ヘルプを頼んだのが菱木先生です。彼はバイリンガルですので、めっちゃ、頼りになるのです。
会議が中盤となったある夜に飲み会が開催されました。大型のテーブルに座った10人くらいのメンバーは、、、よくよく見るとポーランド人やイタリア人にドイツ人。英語を母国語としている人は誰もいないのに、みんなで英語でおしゃべりをしていました。そして僕の隣りの、あまり愛想の良くないスウェーデン人がトーマスだったのです。まあ、彼は僕の英語がたいしたことがないことはすぐに分かりますから、LとRの発音の使い分けにまつわる「大人向け」の笑い話しをして、一同爆笑。菱木先生も大笑いしていましたが、僕はからかわれたのかどうかよく分かりませんでした。トーマスはシニカルに笑っていました。で、日本に帰って来たら、すぐに彼からメールが来て、小児肝がんの共同研究をやろうと。その時のメールの書き出しが、「Dear Tadashi」になっていたのには笑ってしまいました。いきなり、「タダシ!」呼ばわりかい!その後、何度もメールで研究の打ち合わせをして、小児肝がんから抽出した遺伝子をアルコールに沈殿させた状態でスウェーデンに送りました。荷札には「おもちゃ」と書きました。その後、おもちゃは立派な科学論文になりました。さらに、彼からの依頼で一流の国際ジャーナルの査読もなんどか引き受けました。トーマス、カロリンスカで元気にやっているでしょうか?