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なぜ重度障害児に教育をするか?2014年10月12日 23時25分35秒

僕は教育という学問に関してまったくの素人ですが、教育というものが持つ意義や重要性に以前から大変関心を持っています。

僕が「運命の子 トリソミー」を執筆する前は、障害児問題にまったく詳しくなくて、人というのは労働と教育によってのみ自己実現すると思い込んでいました。
しかし若い頃に読んだ「青い芝の会」の主張を再読してみると、重度の障害者は労働からも疎外されており、そして何も労働しなくてもちゃんと自己実現できると再認識させられました。

だから税金を払えない人は払う必要もなければ、それを後ろめたく思う必要もない。
(お金を持っている人が払えばいいので、お医者さんの税金なんてもっと高くていいと思っています。)

そして教育。
寝たきりで24時間全介護のお子さんに教育をおこなう意味はなんでしょうか?
昭和54年に養護学校義務化が法律で決定されました。
それまで重症児は就学免除だったんですね。
しかしこの法律によって障害者と健全者は分断されてしまった。
ですから「青い芝の会」などは強硬に反対運動を繰り広げた訳です。
金井康治君の「普通学校就学闘争」というのもありました。

僕はこれらの運動はまったく正当だったと今でも思っています。
しかし、養護学校義務化によって、在宅介護を受けているような超・重症児に教育の光が当たったことは高く評価されるべきだと考えます。

重症児にとって教育とは何でしょうか?
教え導き、学力を向上させ、健全者にはあって障害児には無いものを埋めることでしょうか?
違いますよね?

一番重要なことは障害児の人柄を認めることです。
人間は何のために生きているのかと問えば、それは人と人のつながりを結ぶためと言うことが可能です。
(つながりの切れた人は自死を選んだりします)
このことは、健全児であれ、障害児であれ同じことです。

人が人とつながりを持つためには、いわゆるコミュニケーションが必要になります。
しかしここで誤解してはいけないのは、コミュニケーションとは「対話」ではないということです。
では顔の表情とか、何かの仕草が必要かと言えば、それも不要なのではないでしょうか?

教師が、障害児の心を受け容れると言ってもいいし、迎えにいくと言ってもいい。
その子の有り様をそのままに受け取って、寄り添っていく。
一緒に過ごす時間を大事にして膨らませ、充実させる。
そしてその気持ちを子どもに返す。
子どもから何も返ってこなくてもいい。だけど、もし返ってくれば、さらにいいコミュニケーションになる。
そうやって、その子の人間性を丸ごと認める、それが障害児教育でしょう。
そして健全児の言葉による学習の場合であれ、こうした心の通い合わせは、基本の中の基本を形作っている、あるいは底支えをしていると思います。

どうも、「教育」という言葉の「教える」という文言が私たちの目を曇らせている気がします。
障害児の心を受けとめ、感応し、それを返すことで、ちゃんと障害児を育んでいるし、その子たちに社会の輪に入ってもらっていると思います。

社会の中で最も弱い人間が、経済的に、そして教育上大事にされる社会というのは、人間の尊厳が大事にされる世界であり、私たち健全者が未来に向かって安心して暮らしていける世界です。
だから重度心身障害児の教育は、極めて重要だというのが僕の意見です。