仲野教授の 笑う門には病なし!(仲野徹) ― 2021年08月28日 15時00分46秒
天下の大阪大学病理学教室の仲野教授によるエッセイです。
喜怒哀楽を表現する上で一番難しいのは、「楽」、つまり笑いをとって楽しませることですが、先生のエッセイ集はタイトル通りの出来栄えになっていました。
ある本の中に、コラムとエッセイの違いが書いてありました。それによると、コラムとは、何かに首を突っ込んで論じるもの、例えば「天声人語」のようなものですね。
そしてエッセイは何かに遭遇したり巻き込まれたときに、感じたり思ったことを書いていくこと、というわけです。
この本を読んでいて分かるのは、仲野先生の行動力です。あちこちに出かけるから、いろいろなものに遭遇するのです。
で、感受性豊かに想いが溢れていくのですね。
CoCo壱番館でカレーを食べて、普通はこういうエッセイは書けません。(ましてやあのタイトルは思いつかない)
大阪の人と東京の人では基本的に文化が相当違うと思いますが、その文化の違いは文章にも遺憾無く発揮されていて、ノリツッコミ的な流れが何とも心地いい。
角岡伸彦さんの文章もこんな雰囲気です。
だけど、楽しく笑っているだけでなく、大講堂で学生が後ろにかたまっているのを見て、講師に失礼やろ!と説教する場面とかは、ぼくはすごく好きです。
学生に対する教育姿勢が真剣なんですね。こういう先生にぼくも習いたかった。
ぼくもエッセイを書いてみたいけど、ぼくの文章は暗いものばかりで、ちょっと売り物にならないでしょう(笑)。
それに出不精だから、何にも遭遇しない。
でも発想を転換して、エッセイを書くために出かけるのはいいかも。ぼくも今年で還暦だから、ボケないためにいいんじゃないかな。
この本は一気に読まないで、少しずつ楽しむのがいいと思います。
おススメします。
喜怒哀楽を表現する上で一番難しいのは、「楽」、つまり笑いをとって楽しませることですが、先生のエッセイ集はタイトル通りの出来栄えになっていました。
ある本の中に、コラムとエッセイの違いが書いてありました。それによると、コラムとは、何かに首を突っ込んで論じるもの、例えば「天声人語」のようなものですね。
そしてエッセイは何かに遭遇したり巻き込まれたときに、感じたり思ったことを書いていくこと、というわけです。
この本を読んでいて分かるのは、仲野先生の行動力です。あちこちに出かけるから、いろいろなものに遭遇するのです。
で、感受性豊かに想いが溢れていくのですね。
CoCo壱番館でカレーを食べて、普通はこういうエッセイは書けません。(ましてやあのタイトルは思いつかない)
大阪の人と東京の人では基本的に文化が相当違うと思いますが、その文化の違いは文章にも遺憾無く発揮されていて、ノリツッコミ的な流れが何とも心地いい。
角岡伸彦さんの文章もこんな雰囲気です。
だけど、楽しく笑っているだけでなく、大講堂で学生が後ろにかたまっているのを見て、講師に失礼やろ!と説教する場面とかは、ぼくはすごく好きです。
学生に対する教育姿勢が真剣なんですね。こういう先生にぼくも習いたかった。
ぼくもエッセイを書いてみたいけど、ぼくの文章は暗いものばかりで、ちょっと売り物にならないでしょう(笑)。
それに出不精だから、何にも遭遇しない。
でも発想を転換して、エッセイを書くために出かけるのはいいかも。ぼくも今年で還暦だから、ボケないためにいいんじゃないかな。
この本は一気に読まないで、少しずつ楽しむのがいいと思います。
おススメします。
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