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医者は医者に過ぎない2015年10月22日 20時46分28秒

世の中には、やせた人もいれば太った人もいるように、医者の中にも、やせた人もいれば太った人もいる。
また、世の中には、性格のいい人もいれば悪い人もいるように、医者の中にも、性格のいい人もいれば悪い人もいる。
そして、世の中には、倫理観のしっかりした人もいれば、しっかりしていない人もいるように、医者も同様である。

あなたの周囲に、自分のことを「神様」と思っている人は、まずいないだろう。
ところが、医者の中には、自分のことを「神様」と思い込んでしまうしまう人がたくさんいる。

だから難しい手術に挑戦して、患者が死亡したりしても全然反省しない。
今夜、NHKのクローズアップ現代で放映していた医療事故の問題は、病院の管理システム以前の問題である。
問題の外科医が自分のことを「神様」と思っているから、こうした死亡事故が連続しても平然としていられるのだ。

重度の障害を持った子が生まれる。どこまで医療を施すか、医者は迷う。
しかし実は迷った瞬間に医者は神様になりかかっている。
医者は医者に過ぎない。神様になってはいけない。
この子は助けた方が良いとか、この子は生きていても辛いだけだからあの世に送ってあげよう、などと考えるのは、医者の領分を越えてしまっている。

特別支援学校の先生は、生徒にどれほど重い障害があっても「教育」をおこなう。「寝たきり」で、「意志の疎通ができない」状態であっても、教育をおこなう。
この教育に意味はないからやめようなんて思わない。
いや、思っている人もいるかもしれないが、実際にやめる人はいない。

ところが、医者は医療行為をやめてしまう。
そうした医者の姿勢と、医療事故を起こして平気でいられる神経は完全に根を同一にする。

かつて東京女子医大の仁志田医師は、新生児の医療方針決定の基本を作った。
このクラス分けには、「消極的安楽死」というものまでが入っていた。
なぜこんなクラス分けを作ったか、仁志田医師には言い分があるだろう。そして今日、謝罪の意を表明していることも、私は知っている。それは認める。
しかし、歴史の汚点は永久に消えない。
医者が患者の生殺与奪の権を握っていたから、医者が「人」以上の存在になってこうした基準を作ってしまったのだろう。

日本小児外科学会の名誉会員(つまり大御所の医者)の中には、「障害児が生まれると、夫婦は離婚し、きょうだいはイジメに遭い、家族はバラバラになって不幸になる」と学会で述べた医師がいる。
また別の名誉会員は、「重度障害児の治療には、どれだけ医療費がかかるか知っていますか? これこれですよ、と言うと、たいていの親は、じゃあ、治療は無しでいいです、となる」と学会で発言した。
あなた達は、神様ですか?
ただの医者でしょ?
医者ならば、医者らしく、治療に専念してください。

だが、希望はある。
若い世代の医者には、障害者への偏見が少ない。
医療事故は起こしていけないと思っている。
説明と同意が必要だと信じているし、自分を「神様」だと思っている人は、まず、いない。

一線を退いた医者は、もう学会に来てくれるな。
何も語るなかれ。
新しい医療は、若い世代が切り開く。
彼ら彼女らは、自分がただの医者であると、ちゃんと自覚している。

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