アクセスカウンター
アクセスカウンター

日本人の二面性と新人類2016年02月26日 22時39分04秒

「菊と刀」の中で、日本人とは両極端な指向を持つ矛盾した性格を有する民族と書かれています。
ぼくはまったくその通りだと感じます。
日本人は常に人の目を気にして、他人からどう判断されるかを自分の判断基準にします。
ですからいつでも横並びであり、出る杭は打たれるし、反対に、池に落ちた犬を叩く訳です。
大災害や大震災が発生しても、大規模な略奪はおきませんし、水の配給があればみんな文句を言わずに整然と行列を作るのです。
ですが、その一方で、日本人は、人が見ていなければ平気で犯罪を犯します。
3・11の大震災でも破壊されたATMからは巨額の金銭が奪われています。
つまり日本人は「恥の文化」であるけれど、「罪の文化」ではない。
心の中に神様がいないので、人目が無ければ犯罪を躊躇しない訳です。

つい先日、ぼくのクリニックの休診日に誰かが無断で敷地内に侵入したらしく、チェーンを踏みつけポールをねじ曲げてしまいました。
当然、警察に通報し、近隣を捜査してもらうことになりました。
このポールを直すためには、かなりの金額がかかります。
しかし犯人が名乗り出る気配はまったくありません。
なんて恥知らずなのでしょう。こういう人間が、普段は善人のような顔をしているのかと思うと、恐怖すら感じます。
ま、これが日本人の特性ですね。

で、ぼくは自分の意見ははっきり言うタイプなので、陰口は言いません。
大学病院の小児外科に入局したフレッシュマンの時、「お前は新人類だ」(死語ですね)と言われたことがあります。
教授に向かって、言いたいことを言ってしまうからですね。
これは大学時代の晩年になっても同様で、たとえ相手が教授でも自分の意見は正々堂々と言わせてもらいました。
ぼくの上司たちからすると、ぼくという存在は鬱陶しかったと思います。
しかしそれでもクビにならずに通用したのは、この世というのは道理が通るように出来ているからです。
何も上司たちが寛容だったとか、懐が深かったからという理由ではありません。

日本人の二面性は、美点になる局面もありますが、やはりぼくはどうも好きになれません。
人の陰口を叩いても、何の効果もありません。痛痒もありません。
歳を取った新人類になってしまいましたが、これからも正直に道理を通していくつもりです。