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ハフィントンポストの一面2014年04月02日 19時56分51秒

ハフィントンポストの一面
猪谷千香さんにインタビューして頂きました。



http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/02/trisomy_n_5074329.html?utm_hp_ref=japan

千葉大学医学部へ行く2014年04月03日 20時54分21秒

千葉大学医学部の桜並木
休診を利用して出かけてきました。
認知行動生理学の清水教授に話を伺うためです。

清水先生は、もともとは統合失調症の原因を分子レベルで解析しようと、分子ウイルス学教室へぼくの後に大学院生としてやってきた方。
つまりぼくの弟弟子になります。
現在、力を入れているのは社会不安障害に対する認知行動療法。
この分野に関しては日本でトップなのではないでしょうか?

1時間ほど話を伺って、大変刺激を受けました。
精神医学というのは奥が深く解決しなくてはいけないことが山ほどあるようです。

写真は医学部と病院をつなぐ道路の桜並木。
きれいですよね。

シモーナ・スパラコさんの講演会2014年04月04日 23時10分29秒

シモーナ・スパラコ
夜になって時間ができたので、講演会へ出かけてきました。
場所はイタリア文化会館。
聴衆は僕くらいの年齢の、つまり、おじさん、おばさんが、100人くらいでしょうか。

「誰も知らないわたしたちのこと」はイタリアで高く評価され、またベストセラーになったそうです。
内容は衝撃的で、障害をもった胎児を中絶するために、イギリスにわたって29週の赤ちゃんを心臓穿刺で薬殺する場面が描かれます。

しかしこれはフィクションだそうです。
彼女はあくまでも小説家であり、そういった過酷な経験はさすがにしたことはなかったらしい。

だけどイタリアのネットの世界には、それと似たような悲しみの声が多数溢れているそうです。
そういう思いを文章にして、経験をなぞるように共感するのが文学の役割と彼女は言っていました。
まったくその通りだと思います。

読者がこういう体験談(フィクションですが)を読んで、たくさんの疑問を感じる。
イタリアではカトリックの力が強いので、堕胎を表現するのはタブーだそうです。
日本も、まあ、宗教は無いけれど似ていますね。
しかしタブーは有害であり、成熟した社会にはタブーはないはずです。
カトリックの制約によって、「良心的中絶拒否の産科医」はどんどん増えているそうです。
何年かしたら、イタリアでは中絶はできなくなる可能性が高いらしい。
まるでアイルランドですね。
しかしながら、35歳を過ぎると、無料で羊水検査を受けることができるとのこと。
疑問だらけですね。
こういう疑問が社会を、あるいは世界を進歩させる訳です。

質疑応答もかなり盛んでした。

講演終了後は、本の即売会。生命倫理に関する本を並べていました。
あ、ぼくの「運命の子 トリソミー」があった。

良い時間を過ごしました。

コウノドリ(1) [Kindle版] 鈴ノ木ユウ2014年04月07日 21時51分34秒

コウノドリ(1) [Kindle版]
kindle は、Kindle PW がないと見ることができないと思っていましたが、DLしてiPadで読めるそうです。
そしてマンガは、iPad の方がよりキレイに見ることができると。
であれば早速やってみようと、このマンガをDLしました。

3巻まで続けて読みましたが、大変面白い。
絵も上手だと思います。
大事なことも書いてあるし、良質な作品だと思います。

不思議なことに紙の本は絶版なんですよね。
マンガはどんどんデジタルに移行しているのでしょうか?

「あん」ドリアン助川2014年04月08日 20時19分38秒

あん
文章もうまいし、構成もうまいと思います。
真似できません。羨ましいです。

普通の科学者とは逆2014年04月09日 20時53分21秒

サイエンスとはどのような作業でしょうか?

まず、何が問題かを考える。
次にそれを解決する仮説を立てる。
そして仮説が正しいか否か、実験する。
結論を得たら、それが間違っていないことを実験を重ねて証明する。
論文を投稿する。

ま、こんな流れです。
一流の科学者は、自分が得た結論を疑うものです。
本当に自分の仮説は正しいのかと何度も反問し、実験を繰り返します。
自分自身をコンビンス(確信)させないと、他人をコンビンスさせることなどはできません。
そして、論文のレフリーや科学界でのライバルが、グーの音も出ない程にデータを突きつける訳です。
これでもかっていうくらいに事実を提示して、得心させるのですね。

ところ現在騒がれている理化学研究所の研究者は、こういった普通のサイエンティストとはまるで逆の感性を持っているようです。
自分は200回、細胞を作ったと言っています。
強烈に自分でコンビンスしている。
ところが、周囲は全然そう思っていない。説得されていないのですね。
実験ノートを世間に突きつけて、自分の学説が正しいと説得できないところが、この研究者にとっては致命的だと思います。

もしかしたら、その細胞は実在するのかもしれません。
しかし当初、プレゼンしたように、iPS細胞に比べて「簡単に、高い効率で」作ることができるというのは、ウソだと言わざるをえません。
iPS細胞にはがん化の危険もあるとプレゼンしています。
これから、iPS細胞を使った臨床試験を受ける患者さんはどれだけ不安な気持ちになったことでしょうか?

若いサイエンティストはトレーニングの一環として患者を見るべきだと、ぼくは常々主張していますが、この科学者に関して言えば、完全に遅きに失したと思います。

「仕事の手帳」最相 葉月2014年04月10日 19時58分39秒

最相葉月 仕事の手帳
「心得」「聞く」「書く」「読む」に分けて最相さんが自身の仕事術を解説しています。
この本の最も優れている点は、彼女の「目線」の位置だと感じます。

最相さんは日本を代表するノンフィクションライターであるのにもかかわらず、目線が一般読者と同じ高さにあるんですよね。
その水平感、イコール感が何とも読んでいて気持ち良い。
かといって、へりくだっているわけでもない。
星新一さんを例に、評伝を書く時の技術を述べるページが続きますが、あそこあたりは自然とプライドが滲み出ている。
それがまったく「上から」でなく、作者の熱意とか真面目さとか懸命さがすごく伝わってくる。

だから気持ち良く、読める。大事なことですね。

最後に10冊の本の書評が載っていました。
なるほどと思えるものばかりでしたが、「サンダカン八番娼館」と「こんな夜更けにバナナかよ」が入っていたのはとても嬉しかったですね。
ノンフィクション・ベスト10を挙げろと言われれば、ぼくはこの2冊は絶対に外さない。

診療の合間に読んでいたらたちまち読了してしまいました。
オススメです!

「救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか」 熊田梨恵2014年04月11日 20時34分33秒

救児の人々 ~ 医療にどこまで求めますか
良い本だと思いましたが、この本は難しいと思います。
インタビューを受ける医師たちは、とても深い話をしているのですが、著者である熊田さんがどこまでその思いを受け止めているのか、もしかしたら、同じ事象を医者と著者が違った解釈で見ている可能性もあるような気がします。

医師たちは、NICUの発展イコール重心の増加とは単純に思ってはいません。
しかし多くの読者はこの本を読んで、「NICUが発達したせいで、障害者が増えている」と案外かんたんに刷り込まれてしまうのではないでしょうか?
そういう単純な話ではありません。
医師たちもそういうことを言っている訳ではありません。
NICUには確かに「影」の部分もある。
「それだけ」を取り上げるのやはりまずいと思います。
なぜならば、重度心身障害児の全体を論じるのならば、NICU関連はその一部に過ぎないとわかるからです。

そういう意味で、
この本は読者を選ぶと思います。
そこがうまく伝わっているかどうか。
すべてインタビュー形式で書いたというのは、著者はかなり迷ったと思いますが、それが成功したどうかはぼくにはよく分かりません。
ぼくはそんな偉い人間じゃないので、断じることはできません。

Newton (ニュートン) 2010年 12月号2014年04月12日 17時45分49秒

Newton (ニュートン) 2010年 12月号
こういうものも読みます。

「胃ろうとシュークリーム~本当に大事なのは何ですか?」熊田 梨恵2014年04月13日 11時35分45秒

胃ろうとシュークリーム
「胃ろう」をシンボルにして、有限な医療資源をどこまで費やしていいのか、あるいはよくないのかを問いかけている作品です。

私たちの世界には多くの疑問や悩みがあって、そういったものが社会をそして世界を動かしていきます。
それには時間はかかりますが、人間というのはそれほどバカではありませんから、歴史の歯車は、人々にとってより良い方向へゆっくりと回っていきます。


胃ろうがこれだけ広く使われている理由の「一つ」は、胃ろうを作ると(病院が)お金が儲かること、作って早く慢性期病院へ転院させる方がお金が儲かることにあるそうです。
なるほど。
そういうお医者さんもいるかもしれません。
しかしこれだけははっきりと言っておきますが、ぼくは医者になって27年間、経済的に潤うか否かを医療の判断基準にしたことはただの一度もありません。
また、千葉大学医学部附属病院に長年勤務していて、そういう医者を一人も見たことがありません。

終末期医療を経済の観点から論じる意思はぼくにはありません。だって医者だから。
あくまでも人間の尊厳とか幸福の視点で考えたい。
答えはすぐに出ないので、悩み続けることになるでしょう。
その向こう側から、心理の光が差し込んでくるのではないでしょうか?