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25年ぶりに再会した患者2013年07月20日 15時13分20秒

お昼で診察が終了したあと、クリニックに29歳の女性を迎えました。
A嬢と呼びましょう。
彼女は3歳で千葉大学病院小児外科に入院し、神経芽腫という小児がんと2年間にわたって闘いました。
病気は全身に広がっており、病期4という状態にありました。
1987年当時、病期4の神経芽腫で助かった子どもなど、日本で、いや世界でもほとんどいませんでした。

抗がん剤治療をおこない、手術をし、また抗がん剤治療をおこない、その回数は2年で20回に及びました。
そして腫瘍はすべて消えて無事に退院していったのです。

本来ならば大学病院でフォローアップをずっと続けるべきだったのかもしれません。
けれど、再発したらもう命は無いと分かっていたので、検査のために大学病院へ通うことをお母様はやめました。
悩んだ末の決意だったのでしょう。

そして時は流れ、Aちゃんは、A嬢になり、誰もが知っている一流企業に就職しました。
時々体調を崩すことはあるものの、普通に生きていると言っていい毎日だったようです。

しかし将来を見据えると、自分の体は抗がん剤や小児がんで傷付いているのではないかと不安がもたげてきたそうです。
今から7年前、みつわ台にぼくのクリニックができたのを見かけて、ああ、あの時の研修医が開業したのだとお母様は思ったそうです。
そして体調の不安を相談しようと、思い切ってぼくに連絡してきたのでした。

今日の昼下がり、1時間半にわたってお話を伺いました。
闘病中の苦労や、大学病院を離れることの決断や、その後の健康不安。
いくら語っても語り尽くせない辛さだったでしょう。
小児がんという「影」はどこまでもヒタヒタとA嬢を追いかけていたようです。

だけど、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
A嬢は自分が思っている以上に立派に育っているし、健康的で、明るく、きれいです。
いくつかの不安があるのならば、ぼくがお手伝いをします。
何人かの専門の先生に紹介状を書いて、A嬢の健康状態の精密検査をしてもらうことにしました。

29歳の、小児がん卒業生。君は奇跡の子だ。
生き抜いてくれて有り難う。
お陰でぼくは、大学にいた19年間が無駄でなかったと誇りをもつことができる。
人生の幕はまだ開いたばかり。命を目一杯生き抜いてくださいね。