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貧血大国・日本 放置されてきた国民病の原因と対策 (光文社新書) 山本 佳奈2016年04月20日 17時26分32秒

貧血大国・日本 放置されてきた国民病の原因と対策
医者になって1年の人が、これだけ充実した本を書いたことにまず驚きます。
データの集め方、整理のしかた、文章の書き方、すべてが高いレベルです。
よっぽど才能のある人なのでしょう。
若者の手によるこうした充実した本には滅多に出会えるものではありません。
鉄欠乏性貧血に関して、僕も知らないことが多々ありました。

ただ敢えて私見を書くのであれば、「貧血」の定義が先にありきで話が進み過ぎているきらいがあると感じました。
不定愁訴に悩む人がいる→検査で鉄欠乏性貧血と判明→鉄剤投与→元気になった・・・
ならば納得できます。しかし、ヘモグロビンの濃度によって「貧血」の定義が決められていて、臨床症状がまったく無い人の慢性鉄欠乏を過大視するのは、ややセンセーショナリズムに傾いている気がします。

貧血の妊婦から、重い後遺症を持った赤ちゃんが生まれる、などという一文は大変深刻ですが、一体、どの程度の貧血の母親からどういった障害児が、年に何人くらい生まれているのでしょうか?

僕のクリニックには1年間に2万人弱の患者さんが来院しますが、「動悸・息切れ・易疲労感・顔色不良」などを訴えて来る人は、年間に1人いるかいないかです。
鉄剤の投与は稀におこないますが、その全ては、総合病院の小児科に肺炎などで入院した子どもが検査によって偶然、鉄欠乏が見つかったケースです。
つまり治療を要する鉄欠乏貧血にはめったに出会いません。

おそらく、貧血が問題になるのは、筆者自身が経験したように、若い女性のダイエットと、ごく一部の妊婦だと思います。
本のタイトルは編集部が付けるものですから、著者の責任ではありませんが、「放置されてきた国民病」というのは、かつての「結核」や現在の「がん」ではないのですからちょっと煽りすぎと思います。

鉄欠乏の解決は結局は食事になるのですが、要は偏食をせずバランスよく食べなさいと書かれています。
しかし、子どもは偏食なんです。
3人に1人は野菜嫌いです。そして偏食を治す方法はありません。
成長に従って自然と野菜は食べられるようになります。
野菜嫌いの子を持つ母にはきつい本だと思います。

サプリもどういう位置づけなのか、ちょっとわかりにくかった。
ま、誰にもわからない、というのが正解なのかもしれませんが。

ちなみに本書には「余談」が多々挿入されており、それがまた面白かった。
知識が豊富ですね。
で、若い。すばらしいですね。

われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」 (横田弘, 立岩真也, 臼井正樹)2016年04月21日 20時36分49秒

われらは愛と正義を否定する――脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」
「青い芝」の4つのテーゼの中で最もインパクトがあるのが、「愛と正義を否定する」という言葉です。
はじめてこの文章に接したとき、僕は、正義を否定するならば不正な組織になってしまうのではないかと疑問を抱いてしまいました。
しかしその後、横塚さんや横田さんの思想に接するようになって、このテーゼの意味を理解するようになりました。
こういう言葉を表出できるのは、やはり横田さんの詩人としての才能だと感じます。

ところが横田さんの説明によれば、この文章は4つの中で一番重要という訳ではないそうです。
確かに4つの言葉のうち、「愛と正義」は3番目に登場します。
もっとも大切なことは1番目に書いてあると横田さんは言います。
それはつまり「われらは自らがCP者であることを自覚する」というテーゼです。
なぜこれが大事なのでしょうか?
それはCP者=障害者という「殺される側」が、体制に対して抗議の活動をすれば、行政は改善策=懐柔策を打ち出しますので、CP者は「殺される側」にいることを忘れてしまうからです。
これは、戦時中における在日朝鮮人の「創氏改名」のアナロジーと同じことです。

社会はすこしずつバリアフリーになり、ノーマライゼーションが進んでいきます。
教育もインテグレーションからインクルージョンへと進みます。
そうすると、横田さんが闘うべき対象が少なくなっていく。
けれども、いくら世間の制度が変わっても、人々の心の中からCP者に対する差別意識がゼロにならない限りは、CP者はCP者であり、絶対に健常者になれないのですね。

若い頃の横田さんはそういう未来を見通していたに違いありません。
だから、「CP者であることを自覚」することの重要性を掲げたのだと思います。

「愛と正義」は「殺す側」が持ち出してくる錦の御旗のようなものです。
1970年代の障害児殺しは、母親の「愛」という名のもとに行われた訳です。
体制側の価値観を反転させてものごとを逆さに見ない限りは、差別される側の心情は理解できません。
「神奈川県・青い芝」の思想と行動のインパクトは、日本の障害者運動の発展を考えた場合、その存在を抜きにして語ることは不可能でしょう。
若い人にも「青い芝」の思想に興味を持って頂きたいです。

研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用 (中公新書) 黒木 登志夫2016年04月23日 23時04分19秒

研究不正 - 科学者の捏造、改竄、盗用
STAP細胞事件に触発されて書かれた本ですが、STAP事件だけにこだわる「小さな」本ではありません。
洋の東西を問わず、歴史的に明らかにされた研究不正と、研究にまつわる不正が分析されています。
ぼくが知らないことも多々書かれており、80歳という年齢で本書を書いた黒木先生の頭脳にまず驚きます。
「がん遺伝子の発見」(中公新書)で見られたユーモアは若干影を潜め、研究不正に対する筆者の危機感がにじみ出ていると感じます。

残念ながら日本は世界的に見ても研究不正大国です。
STAP細胞もそうですが、それ以上に深刻だったのはノバルティス事件でしょう。
悲しいことに、我が母校の千葉大学の循環器内科の教授先生(のちに大阪大学教授・東大教授へと転職した)も関わっています。

なぜ、研究不正が起きるか本書では細かく分析がなされています。そのすべてがその通りだと思います。
ですが敢えて僕が私見を付け加えるならば、日本人の文化も関係があると思います。

熊本の地震を見ていると、水の配給があると人々は何時間も我慢して長い行列を作ります。
こうした日本人の行動様式はたびたび海外の人たちから賞賛されます。
その一方で、現在、熊本では空き巣泥棒が頻発しています。
これをどう考えればいいのでしょう?

つまり日本人はみんなが見ている時には道徳を固く守る。
で、誰も見ていないと平気で倫理を捨ててしまうのですね。
そういう日本人の従来からの文化が、2000年以降の研究世界の科学者に対するプレッシャーの中で、研究不正という形で露出してきているのかなと思います。
要するに、日本人は元々、倫理観の強い民族ではないのですね。

僕は2002年に大きな病気をして、結局、2006年に大学を辞め開業医になりました。
その4年の間、科学者になろうと思っていくつかの研究所に面接に行きました。
その時、感じたことは、科学の世界が科学者にとって厳しくなっていることでした。
僕が大学院へ行った1989年などはサイエンスの世界はとても牧歌的だったと思います。
ところが、2002年には、科学者の身分は保障されておらず、絶えず業績を上げていかなければ採用打ち切りになる世界と化していました。

もし、僕がもう少し自分の才能に自信があれば僕は科学者になっていたと思います。
結局その道は選択せずに開業医になった訳です。

しかしこの本を読んで、科学者にならなくて本当に良かったと思いました。
黒木先生もこの本を書く作業は決して楽しくなかったと推測します。
21世紀の科学(とくに医学や生命科学)は美しいとはとても言えません。
捏造・改竄・盗用の歴史を知って、高校生などの若い人たちがサイエンスの門を叩くでしょうか?
そういう意味では大変暗い本でした。本書をが研究不正に対する警鐘になればうれしいと心から思います。

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書) 藤田孝典2016年04月27日 19時45分10秒

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃
最近話題の言葉です。
年収が400万円(日本の平均です)あっても、老後は下流・貧困に転落してしまうという衝撃的なドキュメントです。
こうした新書・教養本は通常データを並べて「知識」を解説することに主眼が置かれるのですが、この本の場合、筆者が自分の「意見」をしっかりと述べていてまたその意見に説得力もあります。
で、さらに文章もうまいと思います。

下流老人を生み出している要因は二つあります。
一つは、若者の貧困です。
もう一つは「生活保護」に対する憎悪の感情とも言うべき差別・偏見でしょう。
本書では主に後者に関して述べられています。

ユートピアみたいな社会主義国家(そんなものは存在しない)でなければ、国というのは必ず貧富の差が生じます。
一握りの富裕者や富裕企業が労働者を搾取するので、必ず貧しい人間が現れます。
貧困者のいない資本主義国家はあり得ない訳です。貧困者の存在は必然なんです。

そういう人間に対して、最低限の生活を保障するか(憲法第25条)か、のたれ死にを見過ごすかは、国家の存在理由に関わると僕は思う訳です。
生活保護を受ける人間に対して偏見を抱く人が多いことは、本当に残念だと思わざるを得ません。
こういう話をすると必ず「不正受給」や金をもらってパチンコをしている人の話が出てきますが、貧困問題を浅く感情レベルで理解せずに、深く勉強してことの本質を知って欲しいと思います。

2025年になると団塊の世代が後期高齢者になります。
悠々自適で老後を生きられる人はどれだけいるでしょうか?
彼ら彼女らが下流化すれば、日本には社会不安が広がると思います。
富を再分配するということは、社会のシステムを安定化させる最も確実な方法です。
そのために国家が存在すると言ってもいいでしょう。
生活保護というシステムを否定する人は、アナーキストみたいなものです。