生命の選別は許されるか 迷ったら歴史に学べ ― 2013年04月20日 23時07分14秒
この1年間、多くの重度障害児のご家族にお会いして、話を聞かせて頂きました。
ぼくは外科医ですので、こういった障害児の主治医になった経験はありませんでした。(手術したことはある)
ですから本当に勉強になったし、深く考えさせられました。
ぼくが学んだことは、紙の本か、電子媒体か分かりませんが、1年くらいの間には皆さんにお伝えしたいと思います。
障害児の医療には、常に生命倫理の問題がついて回ります。
一つは、産まれる前に障害が分かった場合、その生命を選別することは許されるのかという問題。
もう一つは、障害が重すぎて生き続けることが辛い場合、どこまで医療を継続するかです。
後者に関しては「安楽死」とか「尊厳死」という言葉がありますが、そこまでいかなくても、治療を手控えて「苦痛の時間を短くする」ということは、常にどこかの医療現場でおこなわれています。
問題は前者でしょう。
いよいよ新型出生前診断が始まります。
母体の採血で、21トリソミー(ダウン症)などの染色体異常が分かるという検査です。
ある人は、これを医学の進歩と言うし、ある人はこれを間違った優生思想と言います。
女性には妊娠中絶する権利があるという意見もあります。
その逆に、堕胎は殺人だという意見もあります。
答えはどこにあるのでしょうか?
ぼくは「迷ったら歴史に学べ」と思っています。
古代・中世・近代・現代の医学を辿ると、医学・医療とは何かがはっきりします。
医学の始まりは「人体というブラックボックス」を明らかにすることにありました。
解剖学ですね。
解剖学は生理学に発展し、そこに近代の麻酔学が合流することで外科学が生まれます。
そういう意味では外科学などは「医学」とは言えないかもしれない。
単なる「医術」ですね。
中世・近代の医学は疫病との戦いでした。
そこから公衆衛生学が生まれ、「細胞学」「細菌学」「ウイルス学」「分子生物学」が生まれ、この延長線上にiPS細胞があります。
大雑把に言えば、「解剖学」という基盤の上に、「外科学」と「内科学=細菌学」が乗っている訳です。
こうした医学は人々に何をもたらしたのでしょうか?
患者とは「耐える人」です。
医療は、患者の苦しみを取るために発展してきたと言っていいと思います。
近代までの医学は、疫病を治し、外傷の治療をし、そういった患者の苦痛を取り除いてきたのです。
そしてこれが本来あるべき医療の姿です。
産業革命と植民地主義は、帝国主義・覇権主義となり、第二次大戦にいたりました。
飽和した資本主義は、人々の生活を激変させ、この世には生活習慣病が溢れています(その一方で、世界の半数は餓死の危険がある)。
生活習慣病とは贅沢病です。
それでもまあ、患者が苦しむ以上は、医者は治療をしなければいけません。
だけど、「優秀な赤ちゃんを授かりたい・劣った赤ちゃんは産みたくない」というのは、明らかなエゴです。
こんなエゴになぜ医学が付き合わないといけないのでしょうか?
新型出生前診断などは、決して医学の進歩ではありません。
人間のエゴを利用して、医学が末期の資本主義に堕しているだけです。
では人工妊娠中絶は一切許されないのか?
それはさすがに、理想が現状に対して妥協しなければいけない部分だと思います。
しかし、とぼくは言いたい。
様々な事情があると思いますが、生まれる前の生命を絶ったならば、そのことに対する反省責任はあるはずです。
後悔する心・重荷を背負う気持ちは一生持ち続けるべきだと思います。
そういう心を持たないと、人は結局のところ幸福を得られないと思います。
「優秀な赤ちゃん以外は要らない」と思うならば、生命を授かる資格はありません。
もし、そういう親が「優秀な子ども」を持てば、差別主義者としての人生を親子で生きるだけだしょう。
ぼくはある意味、医学の進歩はもう十分だと考えています。
人間の苦痛を取り除く医療は、相当なレベルまで成熟していると思います。
ここから先は、不老不死みたいな人間のエゴに付き合う医学に堕していくのではないでしょうか?
ぼくは外科医ですので、こういった障害児の主治医になった経験はありませんでした。(手術したことはある)
ですから本当に勉強になったし、深く考えさせられました。
ぼくが学んだことは、紙の本か、電子媒体か分かりませんが、1年くらいの間には皆さんにお伝えしたいと思います。
障害児の医療には、常に生命倫理の問題がついて回ります。
一つは、産まれる前に障害が分かった場合、その生命を選別することは許されるのかという問題。
もう一つは、障害が重すぎて生き続けることが辛い場合、どこまで医療を継続するかです。
後者に関しては「安楽死」とか「尊厳死」という言葉がありますが、そこまでいかなくても、治療を手控えて「苦痛の時間を短くする」ということは、常にどこかの医療現場でおこなわれています。
問題は前者でしょう。
いよいよ新型出生前診断が始まります。
母体の採血で、21トリソミー(ダウン症)などの染色体異常が分かるという検査です。
ある人は、これを医学の進歩と言うし、ある人はこれを間違った優生思想と言います。
女性には妊娠中絶する権利があるという意見もあります。
その逆に、堕胎は殺人だという意見もあります。
答えはどこにあるのでしょうか?
ぼくは「迷ったら歴史に学べ」と思っています。
古代・中世・近代・現代の医学を辿ると、医学・医療とは何かがはっきりします。
医学の始まりは「人体というブラックボックス」を明らかにすることにありました。
解剖学ですね。
解剖学は生理学に発展し、そこに近代の麻酔学が合流することで外科学が生まれます。
そういう意味では外科学などは「医学」とは言えないかもしれない。
単なる「医術」ですね。
中世・近代の医学は疫病との戦いでした。
そこから公衆衛生学が生まれ、「細胞学」「細菌学」「ウイルス学」「分子生物学」が生まれ、この延長線上にiPS細胞があります。
大雑把に言えば、「解剖学」という基盤の上に、「外科学」と「内科学=細菌学」が乗っている訳です。
こうした医学は人々に何をもたらしたのでしょうか?
患者とは「耐える人」です。
医療は、患者の苦しみを取るために発展してきたと言っていいと思います。
近代までの医学は、疫病を治し、外傷の治療をし、そういった患者の苦痛を取り除いてきたのです。
そしてこれが本来あるべき医療の姿です。
産業革命と植民地主義は、帝国主義・覇権主義となり、第二次大戦にいたりました。
飽和した資本主義は、人々の生活を激変させ、この世には生活習慣病が溢れています(その一方で、世界の半数は餓死の危険がある)。
生活習慣病とは贅沢病です。
それでもまあ、患者が苦しむ以上は、医者は治療をしなければいけません。
だけど、「優秀な赤ちゃんを授かりたい・劣った赤ちゃんは産みたくない」というのは、明らかなエゴです。
こんなエゴになぜ医学が付き合わないといけないのでしょうか?
新型出生前診断などは、決して医学の進歩ではありません。
人間のエゴを利用して、医学が末期の資本主義に堕しているだけです。
では人工妊娠中絶は一切許されないのか?
それはさすがに、理想が現状に対して妥協しなければいけない部分だと思います。
しかし、とぼくは言いたい。
様々な事情があると思いますが、生まれる前の生命を絶ったならば、そのことに対する反省責任はあるはずです。
後悔する心・重荷を背負う気持ちは一生持ち続けるべきだと思います。
そういう心を持たないと、人は結局のところ幸福を得られないと思います。
「優秀な赤ちゃん以外は要らない」と思うならば、生命を授かる資格はありません。
もし、そういう親が「優秀な子ども」を持てば、差別主義者としての人生を親子で生きるだけだしょう。
ぼくはある意味、医学の進歩はもう十分だと考えています。
人間の苦痛を取り除く医療は、相当なレベルまで成熟していると思います。
ここから先は、不老不死みたいな人間のエゴに付き合う医学に堕していくのではないでしょうか?
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