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『分水嶺 ドキュメント コロナ対策専門家会議』(河合 香織)2021年05月05日 09時39分17秒

サブタイトルにあるように第1波のときの専門家会議の動きを描いたノンフィクションです。
本書を読むと、専門家会議⇄厚労省⇄政府の間で、どれだけ激しい軋轢があったのかよく分かります。
また、専門家会議のメンバーが世間的にこれだけ強く批判されていたとは知りませんでした。

筆者の河合さんは、尾身さんなどの関係者たちの言葉を丁寧に聞き取っていき、第1波コロナ禍に対して国がどう動いたかを立体的に構築していきます。
歴史に「仮定」は意味ありませんが、初回の緊急事態宣言を、感染者ゼロまで継続していたら・・・今とは違う世界があったかもしれませんね。

この本は、センセーショナルに「売る」ことを煽った本ではありませんが、ノンフィクション文学として非常にクオリティーが高いと思います。
取材力だけではなく、本の骨格を組み立てる力があって、なによりも文章がいい。
ぼくにはちょっと書けないな。
ノンフィクションとしてお手本のような作品でした。オススメします。

『開業医をやりながら作家もやってみた』①2021年05月08日 08時57分11秒

m3.com (医療情報サイト)で連載が始まりました。
『開業医をやりながら作家もやってみた』
第1回目です。よかったら読んでください。
https://www.m3.com/news/iryoishin/909395

死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者(小堀 鷗一郎)2021年05月09日 17時31分50秒

死を生きた人びと――訪問診療医と355人の患者
日本は「生かす医療」は得意だけど、「死なせる医療」は苦手ということが書かれています。
在宅医療はかなり進んできた印象がありますが、本書を読むとまだまだなんだとわかります。
自宅で人生を閉じたいと考えても、なかなかその通りにならない現実があり、また、自宅で亡くなっても検死に持ち込まれることも多々あると知りました。

人生の最後をどうするか、ぼくは妻と語り合ったりします。
でもこれはくり返すことが重要で、人間の気持ちは変わっていきます。
ぼくは病院で死にたいな。死ぬ間際の老いた姿を子どもに見られたくないので、いつの間にかにいなくなる・・・というのがいいな。
子どもの前ではカッコいい父親でいたい。

死ぬのが自宅でも病院でも、大事なのは家庭医とのつながりなんですよね。
でも、自宅の周囲を見回してもそういう医者は見当たりません(見逃しているのかもしれないけど)。
現在のぼくの主治医は千葉大の脳外科の先生だけど、いずれ死を診てくれる家庭医に出会いたい。
何かクリエイティブなことができるのは、あと10年。
残りの命は、あと20年くらいじゃないかな。
あっという間でしょう。

全員悪人(村井 理子)2021年05月11日 20時07分50秒

全員悪人
前作の『兄の終い』があまりにも面白かったので、次作も読んでみました。
エッセイかと思ってページを開きましたが、これは小説ですね。
認知症がテーマですが、何と認知症の当事者の1人称で書かれています。
この設定は誰もやったことがないのではないでしょうか?
ぼくは小説に関して詳しくないので、この本の価値を正しく評価することはできませんが、そのユニークさはさすがだと思います。
そして認知症がどういう疾患であるかも、1人称の語りを通じて表現しているなと感じました。
村井さんの文章の巧みさは、この本でもいかんなく発揮されていました。
「全員悪人」かあ。なるほど、世界がそういう風に見えるということですね。
大変興味深く読ませていただきました。僕も負けないようにがんばろうと思いますが、とても勝ち目がありません(笑)。

生物はなぜ死ぬのか(小林 武彦)2021年05月15日 21時28分21秒

生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)
たしかスティーブ・ジョブズが「死とは次の人のために席を譲る偉大な発明だ」と言っていたと思います。
本書も生物学の立場から、死が持つ「意義」みたいなものを論じていました。
私たちを含めた生物は多様な選択の生き残りとして存在します。これが進化ですね。
個体の死や種族の死も、進化と裏表の関係にあります。恐竜が絶滅しなければ、人類は生まれていなかったわけですよね。
そういう巨視的な論点と同時に、生物が死ぬメカニズム(テロメア短縮)や生き延びるメカニズム(酵母のミュータント)についても述べられています。
生と死を大きなくくりと、分子レベルの両方を書いているところが面白くて一気に読んでしまいました。

筆者はバリバリの生物学者。
以前、講談社ブルーバックスから「DNA の98%は謎」を上梓した時は、ちょっと内容が難しかった。しかし今回は、現代新書ですので、文系の人にも理系の人にも読めるようになっています。
この方は、本書のように「物語る」方が向いているような気がしました。
最終章の、人類の未来とAI を論じた文章も良かったです。

科学者をまどわす魔法の数字,インパクト・ファクターの正体---誤用の悪影響と賢い使い方を考える(麻生 一枝)2021年05月16日 10時40分09秒

科学者をまどわす魔法の数字,インパクト・ファクターの正体
医者でインパクトファクターという言葉を知らない人はいません。しかし一般の人にはほとんど知られていないでしょう。
インパクトファクター(以下 IF)とは雑誌の評価で以下のように計算します。

(2018年と2019年にその雑誌に掲載された論文が、2020年のさまざまな雑誌に引用された総回数)
を、
(2018年と2019年にその雑誌に掲載された論文の総数)
で、割った数値。これが2020年のIFです。
大雑把に言えば、その雑誌がどれだけ引用されているかを表しているのです。

現在、IFは研究者の業績の圧倒的な指標になっています。
はっきり言えば、IF の数が大きい研究者が教授になることができます。

この本は、そういうIF のダメな点を次々に列挙していきます。ま、それはその通りなんですが、今さらやめるわけにもいなかいでしょ?と僕は思います。

一般の人でも知っている雑誌がネイチャーとかサイエンス。
IF に文句があるのであれば、こうした雑誌に自分の論文を載せてから言えばいいと思います。
今の時代、個人のがんばりとか、アイデアとかでネイチャー・サイエンスに載せることは不可能です。
「はやぶさ」のような巨大プロジェクトのような研究報告ではないと掲載されません。

本書には、いい雑誌と引用回数は一致しないと指摘されていますが、そうとも言えないと思います。
大学在籍時代、ぼくは何度も海外雑誌の査読を依頼されました。
アクセプト(受理)かレジェクト(却下)かを判定するのですね。
その判断になるのが、雑誌のIFです。
僕は一度、ある雑誌から査読を頼まれた時に、判定に迷って、その雑誌の編集長に「貴誌のIFは何点ですか?」と質問したことがあります。するとけっこう数値が高かったので、「ではこの論文はアクセプトできないな」と考えてレジェクトした経験があります。
やはり、「IF が高い雑誌」は「いい雑誌」です。それは間違いない。
ぼくはがんの研究をやっていましたので、研究成果の大きさに応じて、IF の高いがん研究の雑誌に投稿していました。
公平な指標だし、これで教授が決まるというのは正しいと思います。

ただし、共著者問題は残ります。
ぼくは筆頭論文を10本、共著論文を38本書きました。
しかしこれらの論文の中には、ぼくの研究をまったく手伝ってくれなかった人も含まれています。それどころか、ぼくの研究にまったく理解を示さなかった人もいます。
しかし、臨床系教室の悪弊として、教室のスタッフ(教授・准教授・講師・助教)は論文に共著者として名前が載ってしまうんですね。僕はそういう習慣は改めるべきだと准教授に抗議したことがありますが、却下されました。

で、ぼくの研究をけなしていた人が僕の論文に名前が載ってそれが業績になり、その後、教授になっていたりするはまるで漫画のようです。
そういう意味で、この筆者の言うことも分かりますが、それでも僕は自分のIFに誇りを持っていますし、死ぬまで大事にしていくつもりです。

AERA に登場2021年05月19日 16時36分17秒

AERA に登場
AERA から取材を受けました。
巻頭特集は、発達障害。ぼくもインタビューを受けて、誌面に少し載っています。
雑誌の発売は一昨日なので、もう入手できないかもしれません。
本屋さんに少し残っているかな。

発達障害の子をどう支援するのかは大変難しい問題で、小児科のかかりつけ医が鍵を握るのは間違いないのだけれど、それだけでは解決しない難しさんがあります。
千葉市医師会でもこのことを重く見ており、どう解決していくか、知恵を絞っているところです。

開業医をやりながら作家もやってみた②2021年05月22日 13時35分17秒

m3.com の連載第2回が掲載されました。

医療関係者はログインして読むことが可能です。

https://www.m3.com/news/iryoishin/913174

今回は、大学を辞めることになって、次の仕事を見つけるために悪戦苦闘した話です。
興味のある方は、ご覧になってください。

死の恐怖を乗り越える: 2000人以上を看取ったがん専門医が考えてきたこと(佐々木常雄)2021年05月26日 22時54分18秒

死の恐怖を乗り越える: 2000人以上を看取ったがん専門医が考えてきたこと
ぼくも今年で還暦なので、これまで以上に「死」について考えるようになりました。
どう考えているかというと・・・それはもう1冊の本になってしまいますから、ここでは書けません。
いつも言っていることですが、ぼくは病弱で、医者になって34年の間に7回入院しています。
救急車にも2回乗りました。
50歳代前半の頃は、「死が怖い」というか、家族を残して「死ぬことはできない」と思ったものです。
そういう時は夜、家族が眠りについてから、両手を組んで神に祈りました。
神に祈れば、死を免れるのか・・・そうではありません。祈ることで、いま、この時間に、世界中で祈っている人と繋がることができるのです。
そうすると自分が孤立した存在ではないと分かり、生きようとする勇気が湧いてくるのです。

筆者の佐々木先生とは以前に文通したことがあります。
2009年の『がんを生きる』(講談社現代新書)が素晴らしかったので、先生の病院へお手紙を書いたのがきっかけでした。
先生は、死は「受け入れる」ものではなく、「諦めてしまう」ものでもないというお考えです。
最後の最後までがんと闘いたいとお考えになっています。

ぼくはまだ当分生きる予定ですが、自分に関する生と死についてだいぶ考えがまとまってきました。
いずれ何かの形で文章に残したいなと考えています。