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小児外科学会に対する根源的な疑問2010年05月01日 20時19分31秒

ホームページに書きましたが、6月18日の午後から19日にかけて休診します。
名古屋で開催される日本小児外科学会に参加するためです。
自分が所属する最も重要な学会ですし、かつては理事会の一員でもありました。
本来ならば毎年参加して当たり前でしょう。
それが隔年になっていたのは、ひとえにクリニックが忙しいからです。
しかし、クリニックにすべてのエネルギーを注入することだけが人生ではないと先輩に諭されて、今年は学会に参加することにしました。

学会のプログラムを見ていると、聞きたいテーマがたくさんある一方で、疑問も湧いてきます。

今年の総会は、いわゆる一般演題というのが無くて、シンポジウムなどの総合討論形式のセッションで占められています。

ですが、こういう形式は、止めようとかつて決めたのではなかったか?
順天堂大学の宮野先生が会長の時に、一般演題を重視し、すべてのシンポジウムを廃止したはずです。
日本の学会は欧米と異なり、会長の権限が強すぎて、理事会の権限が弱すぎるとの反省がありました。
そこで完全には理事会主導にはしないものの、和洋折衷で理事会の意向も会長の考えに差し挟むとなったはずです。

それがなぜ、ものの数年で180度反対になってしまうのでしょうか?

それに、さらに言えば、「一人の人間の講演に、会員全員が聴く」という形式のプログラムが多すぎないか?
これも、一般口演が重要視されていないことの反映ではないか?
講演なんていうものは、本来であれば自宅で印刷物を読んでいればいいだけの話。
なぜ、日本中の小児外科医が集って、同じ時間に全員で同じ話を聞く必要があるのか?

総会が何のために存在するのか?
それは一人一人の学会員が、総会のために1年間努力して、その集大成を発表するためです。
そうすることで、学問のレベルが上がるのです。

そうであれば、この学会の形式は本来の主旨からはずれてはいないか?
僕は宮野先生が開催した学会が最も道理にかなっていると思います。
今年はぜひ学会に参加して、その感想文を綴って、会長の先生にお送りしましょう。

さこももみさんの絵本を買う2010年05月02日 18時30分04秒

ペコル
クリニックが開院して4年目になります。
待合室にたくさん揃えた本もけっこう傷んできました。
そこでボロボロになった本には泣く泣く成仏してもらって、いくつか新しい本を購入することにしました。

蘇我のアリオさんに出かけて、うちの家内が数点、本を選んでくれました。
どういう本がいいのか結構難しい。
母親目線で選ぶのがいいのかもしれません。
しかし僕には別に腹案があって、買いたい本はすでに決めていました。

それは、さこももみ(佐古百美)さんの絵本。
さこさんの絵を見て、可愛いと思わない人はまずいないでしょう。
今日のところは、4点購入しました。

待っていればどんどん新作が出てくるようですから、また1年くらいしたら、改めて購入することになるでしょう。

ゴールデン・ウイークが明けたらクリニックのライブラリーは充実しますよ。
ぜひ、待ち時間に本を読んでください。

「スラムドッグ$ミリオネア」2010年05月03日 19時31分55秒

午前中にアリオさんに行って買い物を済ませ、午後からはゆっくりと映画を観ました。
「スラムドッグ$ミリオネア」。
傑作だと思います。

観る前はミステリーかと思っていましたが、実はこれは恋愛ドラマ。
「運」の話ではなくて、「運命」の話なんですね。

アカデミー賞を8部門受賞したのも頷けます。

しかし映画として欠点が無いわけではありません。

一つは主人公ジャマールが、ラティカをなぜここまで愛し続けることができたかという最大のポイントの描写がちょっと弱い気がします。
それはおそらく幼年期の出会いと別れにすべてが詰まっていたはずですから、そこをもっと丹念に描いても良かったと思います。

もう一点は、編集。
映画は「拷問」の場面から始まりますが、こういうミステリー仕立ては必要だったでしょうか?
一気に「最後の一問の手前」までクイズを見せて、そこで拘束されて、過去のすべてを振り返る方が良かったのでは?
その方が、シンプルだし、最初から主人公に感情移入しやすいし。

さらに細かい点をつけ加えれば、前後の編集がうまくまとまっていない点がいくつか見られました。
映画って、本と違って、後で書き直しができないからこうなるのですね。
特典映像の「削除シーン」を見るとそれがよく分る。
撮影の時点では、違ったニュアンスの展開を監督は考えていたことが分ります。

しかし歴史的な傑作であることには変わりありません。
多くの人が観れるように、安い値段でDVDを売ればいいのに、豪華な仕様で、2859円もしました。
付属の解説とか写真集とか、僕にはまったく不要。
そう思っている消費者はいっぱいいるはずです。
販売元も文化を利用して商売しようなんて考えて欲しくありません。

「ホルモン奉行」角岡伸彦(新潮文庫)2010年05月04日 13時35分57秒

ホルモン奉行
角岡さんの「ホルモン奉行」が文庫化されたのを機会に早速買って読んでみました。

まず、僕の「ホルモン」に対する視点を書いておきます。

1 食べ物に関して一般に興味はない。美味しいものを食べたいという欲求は普段から持っていない。
2 では、ホルモンという料理はどうかというと、牛テール、牛タン、豚足は好きである。
3 ホルモンという食文化に関わる被差別部落や在日朝鮮人文化には強い関心がある。

さて、この本は、文化に関する本というよりも純粋なグルメ本かもしれない、、、そうであれば、僕があまり面白いとは思わない系統の本ということになるが・・・。

いや。 面白かった!

それはなぜかと言うと、角岡さんが書いたからです。
この本をめくって、最初のプロローグ、その2ページで、「ああ、角岡さんの文体だなあ」とはっきり分ります。
後はもう、角岡さんと一緒に日本中を、いや、世界中を旅行しているような感覚になります。
角岡ワールドですね。
万城目さんにちょっと似てるかな。

この本を読んで悟ったことがあります。
それは、ノンフィクションというのはどんな素材であっても、筆者に筆力があれば、テーマに興味を持たない読者でも十分に引きつけることができるということです。
逆に言うと、(最近読んだいくつかの本で感じことで、本のタイトルは挙げませんが)どれだけ特異な経験を積んで人の知らない興味深い事実を知っていても、筆力が無ければ良い作品を作ることはできないということです。

筆力とは何かというと、筆者の感性と文章を創出する力だと思います。

さて今日は、千葉そごうに行って牛テールを探しましたが、残念ながらありませんでした!

男の料理2010年05月05日 19時44分30秒

ゴールデンウイークの4連休は、結局、長女とは一度も一緒に出かけませんでした。
中学2年になった娘が学校の友達と出かける姿を見るのは嬉しいものです。
ちょっと寂しいけど。

さて、毎日、本を読んだり映画を観たりですが、ちょっと家事の真似事くらいはしましょう。
料理の手つだいです。

考えてみれば、大学生の頃は真面目に自炊をしたものです。
2年間の一般教養を終えて、医学部専門課程に進んだ時に、東京から千葉まで通うのが大変だったので、アパートを借りたのです。
最初にやったことは、生活用品一式をそろえること。
自分でご飯を炊いて、お味噌汁を作って、卵を焼いて、ちゃんと食後は食器を洗って大学に通ったものでした。
セブンイレブンがまだほとんど無かった時代だったし、僕もなぜか、真面目に自炊しなければいけないと考えてしまったんですね。

ところが自炊生活は真面目にやっていると、朝の家事が終わるとお昼近くになってしまうんです。
すると1限目の授業に出ることができず、気が付けば、東京から通っている時よりも出席状況が悪くなる始末。

そのうち解剖実習が始まって、自炊することに抵抗を覚えるようになりました。
解剖実習は数ヶ月に及び、やがて自分の体中からホルマリンの匂いが抜けなくなります。
手はいつも水気でふやけているようになるし。

ある時、そんな手でお米を研いでいたら、なんだか水の表面に油が浮いているように見えて、、、。

そのあたりで、自炊生活とおさらばしましたから、「男の料理」とだいぶ遠ざかりました。
今ではゴミの捨て方もよく分らない。

けれど家族で料理をするのはなかなか楽しいものです。
牛テールを探して、圧力鍋で煮込んでみますかね。

今日も大混雑2010年05月06日 22時38分30秒

これまでの経験からすると、ゴールデン・ウイークが明けた時のクリニックは必ずしも混雑はしていません。
混むのはあくまでも谷間。
ですから、ま、今日はそれほどでもないだろうと思っていました。

しかし朝、クリニックに到着してみると、すでに行列が。
診療を開始するとたちまちカルテが山積みになり、とてもすべての患者さんを診ることはできない状態になりました。

そこで、11時の時点で受付を停止。
この時点でカルテは60を越えていました。

なんとかお昼休みの時間を確保して、午後の診療を開始。
「健診・予防接種」の時間帯にはキャンセルもあって、ゆったりと時間が流れました。

けれども夕方の診療になると、やはりカルテは山積みになっていきます。
最終的に140名くらいのお子さんがお見えになりましたが、大きな混乱も無く、診療を終えることができました。

一人あたり短い時間の中でしたが、真面目に一生懸命診察したつもりです。

さて、最近になり「新患」のお子さんが目立ちますが、これはなぜでしょうか?
ゴールデン・ウイークでみつわ台周辺に帰省している人が多いのでしょうか。
まあ、単なる偶然かもしれませんが。

明日はさすがにクリニックは空くでしょう。
余裕を持って冗談の一つも挟みながら診療をしたいものです。

漫画「フェアリーテイル」2010年05月07日 19時39分04秒

うちの7歳の次女が現在もっとも気に入っている漫画は「フェアリーテイル」。
僕にはよく分りませんが、ジャンルとしてはファンタジー漫画だそうです。
1000万部以上売れているようです。
すごいですね。

もう名前もよく憶えていませんが、鳩山さんの前に総理大臣だった人は、ゴルゴ13などの漫画が好きだったようです。
漫画も立派な文学だという人も多いのですが、果たしてそうでしょうか?

先日、次女が「フェアリーテイル」を読んでいたので、脇からちらりと覗いて、その瞬間、「あ、こりゃダメだ」と思いました。
皆さんは漫画をどういう視点で見ていますか?
僕は漫画の背景画を必ず見ます。
するとね、漫画って背景が描かれていないことが多いんです。
または、スクリーントーンが貼られているだけとか。

でもこれって手抜きと思いませんか?
美術館に絵を見に行って、その絵に背景が無かったら、どう思います?
え? それは漫画だから構わない?
つまり漫画の芸術度ってその程度ということです。

漫画は漫画として楽しめば良いと思いますよ。
過度に高く評価して、何か漫画を一種の芸術みたいに評価するのは行きすぎだと思います。
基本的には電車の中で読むのは恥ずかしいもの。

さて、ところがテレビでアニメを見ると、きちんと背景が描き込まれています。
もちろんこれはアニメを作るスタッフの数が、漫画とは桁違いということは僕も分ります。
でもこの差は大きいと思います。

背景画から論じた「漫画とアニメ」の違いって、僕は聞いたことがありませんが、専門家はどう論じて、あるいは、いないのでしょうか?

映画「リトル・ミス・サンシャイン」を観る2010年05月08日 17時25分53秒

リトル・ミス・サンシャイン
傑作だと思います。

美少女コンテストの「リトル・ミス・サンシャイン」に参加するためにカリフォルニアにオンボロ車で向かう家族の姿を描いたロードムービーです。

この家族の一人一人が、(ママを除いて)全員ダメ人間。
人生のドツボにいるのですが、だけど、あきらめない。
挑戦していく。
こういった姿が、過度に感動的でなく、かといって悲劇でなく、情けない姿を見る我々の胸に小さな勇気を灯すように描かれます。

最後の最後で、もしやおもいっきりカタルシスがあるのでは、、、とめっちゃ盛り上がりますが、それもない。
最後までダメ。

でもね、それで良いじゃなの? と思わせる映画なんです。

同時に人生なんて、世間一般の中の少数派であっても構わないということを教えてくれます。
90%の人から顰蹙を買っても、分る人は分ってくれる。
家族が信頼し合っていて、愛で結ばれていれば、世間の目なんてどうでもいいということです。

こういう映画はたいしてヒットしないんでしょうね。
それが、またこの映画らしくて良いじゃないですか?
映画の良さが分る人には分る、そういう映画です。

僕の記憶の中には長く生きる傑作の一本です。

「がんを生きる」(講談社新書)に感動する2010年05月10日 19時30分13秒

がんを生きる
都立駒込病院の院長・佐々木常雄先生が書かれた本です。

タイトルは「がんを生きる」、しかし、これは同時に人間はどのように「死」を迎えるかということを描いています。

日本人の二人に一人はがんになり、三人に一人はがんで命を落とします。
つまり「がんを生きる」というテーマは、他人事ではなく、私たち自身の人生の終末そのものなのです。

「がん」という病名を隠して、患者さんにウソをつき通す時代は終わりました。
患者さんの権利が強くなり、現代医療では「説明と同意」が無ければ医者は治療を行うことはできません。
従って、あなたが末期がんにかかって、余命があと3ヶ月だとすると、医者はそういった事実をあなたにはっきりと言います。
本人に病名を告げるかどうか、家族と相談する、、、そういったことも今後急速に無くなっていくはずです。
なぜならば、「患者本人」の同意が無いのに、病名を家族に知らせることは、個人情報の暴露になるからです。

そうすると私たちは、いつかある日、目の前の医者から「残念ですがあなたの命はあと3ヶ月です」と言われるかもしれません。
その時、私たちはどうやって、その限られた余命を受け容れる、いや、受け容れないであがこうとするのでしょうか?

死を乗り越える方法は、(一部の人を除き)宗教ではありませんし、また、もちろんなんらかの医療マニュアルではありません。
死に対する向き合い方は、一人ひとり別々でしょう。
ですから、結局、医師は患者と対話を重ねるしかないのです。

佐々木先生はそうやって対話を重ねてきました。
その中には、死の恐怖を乗り越えるヒントみたいなものも垣間見えます。

僕自身は、大学病院を中心に203人の小児がんのお子さんと共に闘い、そして56人の命を失いました。
56の魂が消えていく中で多くのことを考え、自分なりの死生観を作り上げてきました。
ところがこの本を読んで、自分が学んできたものの中の、未成熟な部分、傲慢だった部分、考えが及ばなかった部分、そういったものが炙り出されてきました。

医療関係者はもちろん、少しでも多くの人に、この本を読んで頂きたいと思います。
そしてぜひ佐々木先生に手紙を書いてみてください。
きっと真摯な応えが返ってくると思います。

名著です。
何十年も読まれる本だと思います。

12日(水)は休診2010年05月11日 23時20分02秒

ゴールデンウイーク前後のクリニックの喧騒は完全におさまって、今日は60人くらいの患者さんが五月雨のようにお見えになりました。
感冒や胃腸炎は減ってきましたが、喘息のお子さんはまだ何人もいます。
雨が影響しているかもしれませんね。

そう言えば、僕自身も雨の影響なのか、今日は左手の痺れが非常に強かった。
常にピリピリと電気が走っている感じ。
これは頚椎の5番と6番の間の椎間板ヘルニアで、左橈骨神経が圧迫されているから。
さらに、足底もジリジリした違和感。
こちらは脊髄症状ですね。

こういった症状は、昔で言うところの神経痛という奴でしょう。
毛沢東も晩年は神経痛に悩まされたそうです。

首を痛めた原因は単純で、それは姿勢が悪いからです。
1日中屈み込んで、子どもを診察していますからね。
自宅に帰ってPCの前に座るのも悪いですよね。
つまり1日中、体に悪いことをしている訳です。

誰に聞いても「そのうち治るよ」と言われますが、さて果たしてどうでしょうか?

12(水)のクリニックは臨時休診です。
八街と小倉台で幼稚園の健診を行ってきます。
また1日中、屈む姿勢になりそうです。