謹賀新年・自分に自信を持とう ― 2026年01月01日 11時27分34秒
新春を寿ぎ、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
いい2026年になりますように!
さて、昨年の12月に、YouTube を見ていて、ある文芸評論家の存在を知りました。
その人は、若くて(31歳)、才能があって、実に輝いていました。
才能があるというのは、年間にぼくの3倍くらい本を読んでいて、その内容を上手にアウトプットできるということです。
立て板に水、のようにお話しします。
ぼくなんか、読書数は年間に100冊未満だし、昔読んだ本の内容なんて忘れているし(夏目漱石とか)、忘れているから語ることができないし・・・趣味は読書といいながら自分はメチャ、ぽんこつだと、非常に落ち込みました。
しばらくの間、うなだれていました。
でも、よく考えてみると、ぼくは64歳です。
そりゃ、記憶力だって低下します。若い頃みたいに速読できないですよ。
その評論家だって64歳になったらどうなっているか分からないし、今、年間360冊読めているのはそれが仕事だからかもしれません。
だいたいぼくは、朝から夕方までずっと患者さんを診ているのだから同じ量の本を読むことはできるはずがありません。
31歳のぼく。当時は大学院に行っていました。
よく考えてみれば、ぼくの人生の中で知的パワーが頂点の状態にありました。
神経芽腫という小児がんの中で作られているがん遺伝子のメッセンジャーRNAの量を測定していました。
研究の世界では1番になることが重要で、2番目には何の価値もありません。
最初にゴールに到達した人だけが科学論文を書くことができるわけです。
そして大事なテーマで研究をしていると必ずライバルが現れます。
ぼくの場合、それはアメリカの NIH (米国国立衛生研究所)と、スウェーデンのウプサラ大学研究チームでした。
激烈な競争になりましたが、ぼくはその闘いに勝ち、研究成果を論文にしました。
この結果、神経芽腫の子の予後が正確に分かるようになり、不必要な抗がん剤の量をかなり減らすことが可能になりました。
ぼくの研究成果で、利益を得た子どもはたくさんいます。
そういう意味で、ぼくの31歳のときの知的アクティビティーって、十分に価値あるものだったと思います。
その才能に溢れた文芸評論家と比べて自分を卑下する必要はまったくないと再認識しました。
64歳には、64歳なりの人生の知恵があるわけですから、もっとプライドを持ってもいいのだと、改めて思いました。
これはぼくだけの話ではなくて、誰でもそうだと思います。
ぼくの父親は中卒で貧しい暮らしから這い上がった人ですが、彼にはやはりプライドがあったはずです。
プライドの芽は小さくてもいいので、生きる中でそれを育てていけばいいでしょう。
誰もが自分に自信を持っていいはず。
自分を大切にして、2026年を始めましょう!
いい2026年になりますように!
さて、昨年の12月に、YouTube を見ていて、ある文芸評論家の存在を知りました。
その人は、若くて(31歳)、才能があって、実に輝いていました。
才能があるというのは、年間にぼくの3倍くらい本を読んでいて、その内容を上手にアウトプットできるということです。
立て板に水、のようにお話しします。
ぼくなんか、読書数は年間に100冊未満だし、昔読んだ本の内容なんて忘れているし(夏目漱石とか)、忘れているから語ることができないし・・・趣味は読書といいながら自分はメチャ、ぽんこつだと、非常に落ち込みました。
しばらくの間、うなだれていました。
でも、よく考えてみると、ぼくは64歳です。
そりゃ、記憶力だって低下します。若い頃みたいに速読できないですよ。
その評論家だって64歳になったらどうなっているか分からないし、今、年間360冊読めているのはそれが仕事だからかもしれません。
だいたいぼくは、朝から夕方までずっと患者さんを診ているのだから同じ量の本を読むことはできるはずがありません。
31歳のぼく。当時は大学院に行っていました。
よく考えてみれば、ぼくの人生の中で知的パワーが頂点の状態にありました。
神経芽腫という小児がんの中で作られているがん遺伝子のメッセンジャーRNAの量を測定していました。
研究の世界では1番になることが重要で、2番目には何の価値もありません。
最初にゴールに到達した人だけが科学論文を書くことができるわけです。
そして大事なテーマで研究をしていると必ずライバルが現れます。
ぼくの場合、それはアメリカの NIH (米国国立衛生研究所)と、スウェーデンのウプサラ大学研究チームでした。
激烈な競争になりましたが、ぼくはその闘いに勝ち、研究成果を論文にしました。
この結果、神経芽腫の子の予後が正確に分かるようになり、不必要な抗がん剤の量をかなり減らすことが可能になりました。
ぼくの研究成果で、利益を得た子どもはたくさんいます。
そういう意味で、ぼくの31歳のときの知的アクティビティーって、十分に価値あるものだったと思います。
その才能に溢れた文芸評論家と比べて自分を卑下する必要はまったくないと再認識しました。
64歳には、64歳なりの人生の知恵があるわけですから、もっとプライドを持ってもいいのだと、改めて思いました。
これはぼくだけの話ではなくて、誰でもそうだと思います。
ぼくの父親は中卒で貧しい暮らしから這い上がった人ですが、彼にはやはりプライドがあったはずです。
プライドの芽は小さくてもいいので、生きる中でそれを育てていけばいいでしょう。
誰もが自分に自信を持っていいはず。
自分を大切にして、2026年を始めましょう!
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