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カレルの心臓からiPS細胞まで(1)2015年07月19日 16時05分18秒

1912年(大正元年)、外科医カレルは臓器移植を夢見ていた。
人の体から取り出した臓器を、人工的に生かすことができれば移植に役立つと考えたのであった。
そこでカレルは予備実験として、ニワトリの心臓から取り出した細胞をシャーレの中で培養することを開始した。
細胞は増殖し生き続けた。細胞がシャーレを埋め尽くすと、カレルは細胞をシャーレから剥がし、1/2の濃度にして別のシャーレに植え継いだ。こうしているうちにカレルは亡くなり、細胞は生き残った。
カレルの弟子たちは、なおも細胞を生かし続けた。しかし1946年(昭和21年)、細菌感染が起こり、「カレルの心臓」はついに永遠の命を手放した。
細菌の感染さえなければ細胞は生き続けたであろうと世界中の科学者たちは考えた。だからこの当時、生き物に寿命はあっても、シャーレの中の細胞に寿命はないと考えられていた。
ところが、誰も「永遠に生きる細胞」の追試に成功しなかった。

1951年(昭和26年)、メリーランド州ボルティモアの黒人女性ヘンリエッタ・ラックスは31年の生涯を終えた。彼女の命を奪ったのは子宮がんだった。科学者たちは、がん細胞をシャーレの中で培養し、細胞にHeLaという名前を付けた。HeLaは凄まじい勢いで分裂増殖した。世界中の科学者に供与され、様々な方法で科学利用された。
ポリオワクチンの開発にも利用されたし、スペースシャトルに乗って宇宙にも行った。

1961年(昭和36年)、ヘイフリックはカレルの心臓の謎を解こうと考えた。彼はヒト胎児の細胞をシャーレの中で培養した。増えた細胞を1/2に希釈し、別のシャーレに植え継ぎ、培養をくり返した。ところ何度やっても細胞は50回分裂すると、それ以上は細胞分裂が起こらないことを知った。
生物の種によって細胞分裂の回数は一定していた。そしてその回数は、その生物の寿命の長さに一致していた。
寿命とは、細胞分裂の数である。彼の考え方は「ヘイフリックの限界」と呼ばれた。

ではなぜ、カレルの心臓は34年間も生き続けたのであろうか?
それには「秘伝」があった。培養には、新鮮なニワトリ胚抽出液を足してやる必要があったのだ。そしてその継ぎ足された抽出液の中に、新しい細胞が混ざっていたのである。

ヘイフリックの限界説は科学界から好意的には受け入れられなかった。現にHeLa細胞は無限に増殖しているからだ。
ポリオワクチンを作成できるのは素晴らしいことではあるが、癌細胞から作ったワクチンを人間に注射することには問題があった。

1962年(昭和37年)。千葉大の安村は、SV40というサルに腫瘍を形成するウイルスの研究をしていた。SV40の実験をするためにはその都度アフリカミドリサルの腎臓が必要だった。つまり1回の実験ごとにサルの命が失われた。安村は考えた。シャーレの中で永遠に生きるアフリカミドリサルの腎臓細胞を手に入れられないかと。
安村はひたすら細胞を培養した。しかし何度やっても細胞は途中で増殖が止まった。しかし彼は諦めなかった。安村は無菌箱にラテン語で「雨垂れ岩をも穿つ」と書き付け、培養を続けた。
そして18回目のチャレンジである変化が起きた。植え継ぎが30回を過ぎた頃から細胞の増殖は生き生きとしてきた。瑞々しく輝いて見えた。これまでとは何もが違っていた。永遠の命を獲得した細胞を手に入れたと確信した。最初に培養を始めてから3年が経っていた。
エスペラントで、緑はVERDA、腎臓はRENOという。そこで、細胞にVERO(ヴェーロ)を名付けた。またVEROには「真理」という意味もあった。

Veroにはさまざまなウイルスが感染する。その結果、安全にワクチンを作ることができる。Veroによって毎年世界中に6000万人分のポリオワクチンが供給されている。日本ではポリオ以外にも、日本脳炎ワクチンが製造されている。
SARSウイルスもMERSウイルスも、ワクチンがVeroに感染したために分離同定が可能だったのである。

では、Veroはなぜヘイフリックの限界を超えて生き続けているのであろうか? HeLaと何が違うのであろうか?

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