アクセスカウンター
アクセスカウンター

なぜ西ヨーロッパが世界を制したか?2013年05月22日 22時00分21秒

古代ギリシャの時代から現代に至るまで、歴史上の最大の出来事はなんでしょうか?
いろいろな考え方があると思いますが、僕はやはり15世紀終わりの「大航海時代」だと思います。
もちろん、悪い意味で、です。

なぜ現代の世界情勢が、圧倒的ではないにしろ西ヨーロッパ(アメリカを含む)の支配下にあるのでしょうか?
それは大航海時代を経て、西ヨーロッパが南北アメリカ大陸、さらにオセアニア、そしてアジアを侵略・征服・植民地化したからでしょう。

西ヨーロッパ人はなぜ海を渡ったのか?
それは彼らが経済的にも人口的にも(ペストの大流行で)、さらに宗教的にもイスラム勢に圧されて、完全に行き詰まってしまったからでしょう。
言ってみれば、大西洋に追い落とされる直前だった。
そこで、海の向こうに活路を見いだし、まずアフリカで黄金と奴隷を手にし、そして南北アメリカ大陸に到達した訳です(ここから先は三角貿易で大儲けします)。

大航海時代の準備期間には、ルネサンスも必要だったでしょう。
文芸復興と並んで科学技術も発達しました。
こういった文化の興りは、イスラムが深く関わっています。
古代ギリシア語はほとんどがアラビア語に翻訳されて、しまわれていました。
ルネサンスは、アラビア語をラテン語に翻訳することで始まった訳です。

また中世の欧州では、教会(キリスト教)の力が強すぎて、科学が発達しなかったと考えられています。
占星術や錬金術しかなかったのです。
この時代のイスラムや中国には、「紙」や「印刷」や「火薬」や、そして科学の萌芽がありました。
野蛮な国であった西ヨーロッパは、そういった科学技術を少しずつ東の国々からもらっていたのです。

そういう意味では、彼らも「準備」はできていた。
こうした準備がなければ、キリスト圏は完全に崩壊して、現代世界はイスラム教が支配していたかもしれません。
ただし、その場合、アステカ文明やインカ文明がどういう運命を辿ったか、ちょっとぼくには想像できませんが。

三角貿易で息を吹き返した西欧州は、17世紀に科学を発達させます。
ケプラー、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン。
なぜ彼らが登場したのでしょうか?
ある人は、キリスト教的宇宙(迷信の世界)から独立したからだと言います。
村上陽一郎先生は、その逆であってキリスト教的世界観の中からこそサイエンスが生まれたと言います。

いずれにしてもこの時代に天文学・数学・物理学が発展を遂げて、近代化への道が整うことになります。
ちなみに、この時代に「医学」がまったく未開拓だった理由は、人間という仕組みがブラックボックスだったからでしょう。
天文学・数学・物理学というのは、目に見えますからね。

だから歴史上、もっと人類史に影響を及ぼした人間を一人あげろと言われれば、アステカ帝国を壊滅させたエルナン・コルテスだと僕は思います。
アドルフ・ヒトラーやカール・マルクス以上かもしれませんね。

なぜ、現在の世界がこうなっていて、なぜ私たちが存在するかを考えるとき、進化論で説明する考え方もあります。
たしかに、ダーウィンの自然選択説もドーキンスの利己的遺伝子理論も、まさに正論だと思います。
しかしそれを社会に適応するのはどうなのでしょうか?
社会ダーウィニズムという言葉もありますが、それはちょっとニュアンスが違うでしょう。

ジャレド・ダイアモンド先生は、「欧州人が優秀なのではなくて・・・」という言い方をしますが、そうではなくて、欧州人は好戦的でその上、武器をもってしまったというのが正解ではないでしょうか?
実証することは極めて困難ですが、悪い意味での「民族性」は否定できないように思えます。

延々と勝ち続けた西欧州はアメリカ帝国となって現在も世界を制圧しようとしています。いろいろと無理がありますが。
そのアメリカのアンチテーゼだったソ連が崩壊してしまったのは、社会主義思想そのものに問題があったことは否めませんが、人間にもそれ以上に問題があった。
だから人類史においてスターリンの罪は深いのかなと僕は思います。

ルネッサンスの前と後ーーー二つの疫病2013年05月07日 23時52分12秒

なぜルネッサンス以降、西ヨーロッパが世界を制圧したのでしょうか?
ぼくは歴史に疎いので答えを知りません。
もしかしたら専門家には分かりきった常識かもしれません。

J・ダイアモンド先生の「銃・病原菌・鉄」を読むと、「それはヨーロッパ人が優秀なのではなくて、ユーラシア大陸が東西に伸びていたからだ」という画期的な概念が持ち出されています。

だけど僕が疑問に感じるのは、「世界を制圧した」=「優秀」という前提です。逆の面も考えた方がいいと思います。

そもそもなぜヨーロッパはルネッサンスを迎えたのでしょうか?
それはペストの大流行です。人口が激減して、社会構造が変化し、教会の権威は失墜し、農奴は解放されました。
これがルネッサンスの始まりです。
その後、近代医学が飛躍的に発展します。解剖学から外科学の幕開けですね。
文化の復興は、新しい文化の構築でもありました。大航海時代への準備ができたのです。
西ヨーロッパ人はなぜ海を渡ろうとしたのでしょうか?
その理由の一つは経済です。

欧州で毛織物の売れ行きが飽和したため、新天地へ商売先を求めたんですね。
彼らが新大陸に渡りそこで勝利を収めた最大の原因は、彼らが持ち込んだ天然痘ウイルスです。

ルネッサンスの前と後には、二つの疫病があったわけです。
天然痘ウイルスは今日バイオテロとして最も警戒されている病原体です。

だけど、彼らが海を渡ったのは、経済だけが理由ではないと思います。
西ヨーロッパ人は、相手をねじ伏せてやろうという「闘争本能」が強いのではないでしょうか?
そうでなければ、西アフリカから黒人を奴隷として連れてくるなどという非人道的なことはできなかったと思います。
「優秀」というよりも生物として「獰猛」だったのではないでしょうか?

結果、中米・南米に砂糖のプランテーションができます。
スペイン人・ポルトガル人(のちにイギリス人)は、ヨーロッパから西アフリカへ行き、黒人奴隷を買う。
西アフリカから中南米に行き、黒人にサトウキビを作らせる。
中南米からヨーロッパに戻り、砂糖を売る。
「三角貿易」ですね。

ぼくはこれが西ヨーロッパ人の世界制覇を決定づけたと思います。
天然痘の流行だけでは、中南米の文化が滅んだだけで、アフリカの深い傷にはつながっていないでしょう。
イギリスは、イスラエルの建国にも悪い面で関わりを持っており、かつて世界を制覇した欧州人はかなり罪が深いような気がします。

人類史と医学の接点 ーーー天然痘について2013年05月02日 22時23分04秒

ヒトはほかの哺乳動物に比べて遺伝子のバリエーションが少ないそうです。
たとえばチンパンジーでは、ヒトの10倍以上の「個性」がある。
なぜヒトの遺伝子は誰もがほとんど一緒なのでしょうか?
それはヒトの起源がかなり数少ない個体から枝分かれしたからです。
7万5千年前に起きたインドネシアの火山の大爆発は、地球上を火山灰で覆い尽くし氷期を招きました。
人類はあやうく絶滅するとことで、この時に生き残った人類はわずか1000人から1万人くらいと想定されています。
ですからヒトはこの時点で、遺伝子の多様性を失ったのですね。

さて、人類の10万年の歴史を見てくると、そこには当然医学との接点があります。
「7万5千年前のインドネシアの火山の爆発」に比肩しうる医学上の大きな出来事とは一体なんでしょうか?
それはずばり、ペストと天然痘の流行だと思います。
もしヒトに、病原菌と闘う知能が無ければ人類は滅亡していたでしょう。
ペストに関しては何度かここで書いたので、今日は天然痘について書きます。

天然痘ウイルスはこれまでに5億人の人間を殺したと言われています。
アステカ・インカ文明は天然痘によって滅びたようなものです。
この恐ろしいウイルスもワクチンによって次第に減少していきました。
ぼくらが幼少の頃は、天然痘の予防接種をうったものです。
そしてWHOの血のにじむような努力があり、1980年にはウイルスは根絶されました。予防接種もおこなわれなくなりました。
ですからこれを読んでいる若い人たちは、天然痘のワクチンをうっていないでしょう。
つまり免疫がない。

1990年代、アメリカとソ連は天然痘ウイルスを保管していました。
自然界からウイルスが消えたのだから、実験室の中のウイルスを破棄しようという話になりました。
ですが、、、、もしどこかの国が「生物兵器」として天然痘ウイルスをばらまいたら人類はどうなるのか?
アメリカは2001年にウイルスの破棄を中止しました。
ちょうどぼくが、分子ウイルス学教室で小児がんの遺伝子研究をしていた頃です。

ソ連が崩壊してこれまで秘密にしていた情報が明るみに出てきました。
どうやらソ連は「ペスト」と「天然痘」を生物兵器として複数の国に分与していたようなんです。
アメリカがイラクに因縁をつけて戦争に持ち込んだのも、この天然痘ウイルスの存在があります。

従って、アメリカの軍人や日本の自衛隊員は、天然痘ワクチンを接種しています。
「LC16m8」という副反応少ない良質なワクチンがあるんですね。
実はこのワクチンは、天然痘が撲滅される寸前に開発された新しいタイプなので、当時は必要とされず、事実上封印されていたんです。
それが2001年同時多発テロ以降、重要なワクチンとして急浮上してきた訳です。
もし、どこかの国家あるいは集団が世界中に天然痘ワクチンを撒布するようなことがあれば、私たちは「LC16m8」をうたねばなりません。
え? そんなことあり得ない?
バイオテロの(悪い意味での)先進国は日本ですよ。
オウム真理教事件を思い出してください。

さて、この「LC16m8」を開発したのは、橋爪 壮先生。
川喜多愛郎門下の一人で、千葉大微生物学教室(今の分子ウイルス学)の先生です。
ぼくも何度もお会いしました。
ぼくが青春を過ごした教室の先輩たちは、Vero細胞を樹立したり、「LC16m8」を開発したり、人類史にものすごく大きな貢献をしているんです。
若い時にはそういうことがよく分かりませんでしたが、年齢を重ねて、歴史を俯瞰するようになると、地味でも意義のある大きな研究が浮かび上がって見えてきます。

医学の歩みとは?2013年04月26日 23時22分17秒

医学の歴史に関して何冊かの本を読んでいたら、医学の進歩とは実に鈍いものだと気付きました。

大昔の医学の人と言えば、皆さんはヒポクラテスを思い浮かべるのではないでしょうか?
はい、古代ギリシャの偉人ですよね。
ではその次に登場する人となると・・・・。
それはイエス・キリストという意見もあるでしょう。
ですが、ここではガレノスという人物の名前を挙げておきます。
ヒポクラテスから600年も経っているのですね。

ガレノスは人間の循環器について考察を加えましたが、もちろん現代の医学から見ると間違いが多い。
しかし医学は解剖学からスタートしたということがよく分かります。

ところが医学はこの先、全然進歩しなかった。
なぜでしょうか?
それはヨーロッパ社会がキリスト教に支配され、教会の威光が人々の考え方や学問のあり方を規定したからでしょう。
医学は1500年以上も進歩を止めていた印象があります。

一方で、物理学は着々と進んでいたのでは?
ぼくは専門家ではないのでよく知りませんが、ニュートンが活躍したのが17世紀。
mα=F ですね。
同じ時代の医学と言えば、フックの顕微鏡があります。
ニュートンが思索を深めることができた理由に、ロンドンでのペストの流行があります。
彼は田舎に避難していたんです。
で、フックが顕微鏡でペスト菌を発見したかと言うと、まだ全然そんな時代ではありません。
ノミとかを観察して訳です。
はじめて「Cell=細胞」という概念を作ったのです。

17〜18世紀にかけて医学はマクロとミクロの方向に別れて進んだように思われます。
マクロとは解剖学。
正しい解剖を理解するためには同時に生理学も必要になります。
解剖学と生理学が正しく理解できれば外科学が誕生します。
杉田玄白の「解体新書」は1774年です。

で、一方のミクロとは細菌学。
疫病の原因究明と、それに対する治療ですね。

ノーベル賞は1901年に始まりましたが、この19世紀と20世紀の狭間には、細菌学の進歩とレントゲンの発見がありました。
つまり結核を診断できるようになった訳です。
(菌が同定できて、肺のレントゲンが撮影されるようになったから)

1901年から医学はようやく前進したように見えます。
細菌学は、より小さい微生物にターゲットを変えます。
ウイルスですね。
ウイルスが形として捉えられた(結晶化された)のが、1935年ですから、ついこの間のことです。

ウイルスとは、蛋白と核酸でできた「生物と無生物の間」の存在ですから、ウイルス学者はこの核酸(DNAとRNA)の研究に進むんですね。
同時に疫病を防ぐためにワクチンの開発もおこなった。
ポリオウイルスがコントロールされ、天然痘が絶滅したのは、ウイルス学の輝かしい業績です。
一通りワクチンの開発が終了すると、ウイルス学者はやることがなくなってしまったのです。

そこで、ニクソンの「がんとの闘い」です。
がん研究にウイルス学者が大挙してなだれ込んできたのです。
彼らは、がんを分子生物学で理解しようとしました。
ワトソンとクリックの2重らせんの発見(1953年)以来、分子生物学という新しい道具は科学の姿を変えました。

利根川進先生は(大胆に言えば)免疫学の素人でしたが、分子生物学という道具を持っていたため、「免疫の多様性」という100年間の謎を独力ですべて解明してしまいました。

動物のがんウイルスの研究をおこなったビショップとバーマスは、人のがんにとってきわめて重要な「プロトがん遺伝子」を発見しました。
1980年〜1990年代のサイエンスとは、がんの研究であり、分子生物学のさらなる発展だったと思います。

生活習慣病の解明などは全然進んでいなかったのでは?

キャリー・マリスのPCRという大発見によって、分子生物学は誰にでも扱える学問になりました。
この「一般化された分子生物学」と「再生医学」の出会いが iPS 細胞です。
つまりは、コッホとパスツールの細菌学は、iPS 細胞にまでつながっているとぼくは考えている訳です。

医学の爆発的な進歩は、まるでPCRでDNAが爆発的に増える様に似ています。
内科学には、未解明の部分(アルツハイマー病など)が多数ありますので、今後も分子生物学を利用して発展していくでしょう。

だけど、外科学というのは、「解剖学」と「生理学」が確立した時点でほとんどゴールだったのではないでしょうか?
外科医という存在は永久に必要ですが、研究課題はあまり残っていないかもしれません。

数学とか、物理学、化学はどうなんでしょうか?
人間の「知りたいという欲に答える」部分ではまだまだやるべきことは多いと思いますが、人類の福祉や幸福、繁栄という観点からするとかなりの部分が解決されたのではないかと門外漢のぼくは考えます。

医学も「100歳まで生きる」とか、「90歳過ぎても現役」といったおかしな幻影は捨てて、地に足の付いた研究へ進んだ方がいいでしょう。

「日本人は農耕民族・欧米人は狩猟民族」ではない2013年04月12日 21時06分26秒

日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族だから文化が全然違う、、、という説をよく聞きますが、これは完全に間違いです。

人類はもともと狩猟採取民族だった。
移動しながら暮らす訳ですね。赤ちゃんは足手まといですから間引きされる。
従って人口も増えない。で、案外衛生的に暮らしていた。
常に、新しくてキレイな所で生活しますから。

メソポタミアに農耕が生まれます。
人は定住する。動物は家畜化される。動物は食料にもなるし、農耕に役立つ。
食物が過剰になり、管理される。ここで社会とか国家が誕生するんですね。
人が人を支配する時には宗教が必要になります。
人口が増えて、食料にネズミなどの小動物がたかり、生活の周囲に糞便がある環境になる。

人類の誕生以前に動物が地球上にいましたから、動物には寄生虫やら細菌やらウイルスが共生している。
そういう微生物が、人類の繁栄と共に人間に感染先を求めて移り住んでくるのですね。

だから、人類と病原菌との闘争は避けがたい宿命なんですね。
必然の闘いと言ってもいい。
そして数ある微生物の中でも最大の脅威はペストだったのではないでしょうか?

最初の大流行は西暦541年。
2度目は1347年。当時ヨーロッパには5〜7千万人の人口があったが、これが半減した。世界の人口の1/3はヨーロッパにありましたから、ペストによって地球上の人類は1/6を失ったことになります。
3回目の流行は19世紀から20世紀をまたぎます。中国から全世界に広がったのですね。
ペニシリンが開発されたのが、第二次世界大戦中ですから、人類はペストと闘うすべを持たなかった。
ではなぜペストは終息したか?
一つは公衆衛生でしょう。ネズミを駆除したから。
もう一つは人口が減ってしまったからです。

きわどいところで人類は踏みとどまったのですね。
もしかしたら恐竜も病原微生物によって絶滅したのかも。

人類という生き物の決定的なターニングポイントは、色々な意味を含めて農耕の開始にあります。
こうして歴史を見てくると、「日本人は農耕民族・欧米人は狩猟民族」というのはまったく的外れの俗説ということがお分かりになると思います。

ぴたりのタイミングで2012年12月15日 23時55分19秒

昨日、新型出生前診断の話を書いたら、本日、日本産婦人科学会の理事長が記者会見を開きました。

施設を限定して、「安易に行わない形で」行うことになりそうです。

学会は一般の人からも意見を募集するそうです。

学会のHPはここですね。
http://www.jsog.or.jp/index.html

ぼくも意見を提出してみようかな。

新型出生前診断とマスメディア2012年12月14日 21時25分52秒

新型出生前診断の最大の問題点は、マスメディアの報道の仕方にあると考えるようになりました。
特に新聞です。
新聞は私たち国民から最も信頼されているメディアなので、いい加減な情報が流れると、国中に差別と偏見をばらまくことになります。

新型出生前診断でダウン症を診断する場合、以下のように数字で検査の精度を言い表すことができます。

ダウン症の赤ちゃんを「ダウン症です」と正確に言い当てる確率は、99.1%。
ダウン症ではない赤ちゃんを「ダウン症ではない」と正確に言い当てる確率は、99.9%。

上記のことを以て、新型出生前診断は99%以上の確率でダウン症を診断できるとマスメディアは報じます。

ですがこれは正しい数字でしょうか?

35歳の妊婦さんからは、0.3%の確率でダウン症の赤ちゃんが産まれます。
では、5万人の35歳の妊婦さんがこの検査を受けると仮定します。
5万人中、150人がダウン症として産まれます。
残りの49850人はダウン症ではありません。
その150人のうち、検査によって、99.1%にあたる149人はダウン症と「予言」されます。
49850人のうち、検査によって、(100%−99.9%=) 0.1%にあたる50人はダウン症と「予言」されてしまいます。
つまり、149人+50人=199人が「ダウン症と予言」される訳です。
しかし実際にダウン症は、199人中の149人だけ。
検査で陽性と言われても、その的中率は、149÷199=75%となる訳です。

全然99%以上の正確さ、、、ではないでしょ?

この記事をここまで読んでくれた読者は、ああ、面倒くさい計算だなあと思ったでしょ?
マスメディアも、多分読者が読んでくれないと思って、詳しく丁寧に書いていないのだと思います。
そういうことで、国民的な議論が深まるか大変疑問に思います。

ではぼくはこの検査をどう思っているのか?
それは敢えて言いません。
現在、いろいろな人に話を聞かせて頂いているので、ぼくは白紙の状態で取材を続ける予定です。

座長をつとめる2012年09月23日 21時34分16秒

第193回日本小児科学会千葉地方会という研究会? 学会? 例会? が千葉市でありました。

千葉大の小児科から依頼されて座長をおこなってきました。
前回引き受けたのは2〜3年前だったと思います。

座長でもつとめない限り、なかなか小児科の研究会には行かないものです。
だから喜んで座長を引き受け、自分のセッションだけでなく、前後の演題を聞いて勉強してきました。

こういった研究会は、普段の診療のヒントになるだけでなく、「小児外科」という学問の体系を考える上で学ぶ点が多々あります。
小児外科医も積極的に参加した方がいいのですけれどね。

実は小児外科医も来て、積極的に発言していました。
残念ながら千葉大学病院のドクターではありません。
順天堂大学浦安病院の小児外科医です。
これはおそらく、その先生の個人的な意志ではなく、本院の山高教授の戦略として参加しているのではないでしょうか?

東京の大学病院が江戸川を越えて千葉に進出してくることは、大変いいことです。
千葉大小児外科もぜひ迎え撃って、負けずに医療レベルを上げていって欲しいと思います。
切磋琢磨で、千葉県の小児外科医療が向上すれば恩恵を受けるのは患者さんですからね。

だけど座長という仕事・・・・。
ぼくは大学に在籍していた19年間ずっとそうなんですが、スーツが苦手なんです。
あれを着ると肩は凝るし、頭痛はする。
なんでしょうね? 体型がスーツに合っていないんでしょうね。

老人はさっさと引退しよう!2010年12月09日 21時18分20秒

ノーベル化学賞を受賞した北海道大学の鈴木さんが「僕は63歳で北大を定年退職した。少なくとも68歳、できれば70歳まで研究を続けられたらもう少し仕事ができた。菅直人首相に会ったとき、それを伝えるのを忘れた」と述べたそうです。

勝てば官軍で、ノーベル賞を受賞したら言いたい放題ですね。

千葉大学の定年は65歳ですが、これは絶対、長すぎると思います。
60歳くらいでさっさと辞めて、第二の人生を探すべきだと思います。

理由は2つあって、1つは65歳という高齢で、教授という知的アクティビティーが要求される仕事は務まらないという点。
もう1つは、65歳で辞めた教授のほとんど再就職先を見つけて働いている現実です。
もう1回働くのならば、せめて60歳くらいが適当ではないでしょうか?

こういう話を書くと、すぐに、僕が千葉大の悪口を書いていると批判する人がいます。
勘違いもほどほどにして欲しいですね。
僕は愛校心で言っているのであり、これは陰口でも悪口でもありません。
こういった話は、現在の千葉大医学部の副医学部長の教授にも直接何度も話したことがあります。

とても良い提案だと思いますが、誰か実行に移さないですかね?

ちなみに僕の恩師の高橋教授は「こんな馬鹿くさい教授なんて仕事を、65までやってられるか!」と医局員の前で何度も言っていました。
さぞ、教授職とはつまらないものなのでしょうね。
しかし教授を辞めたのはやはり65歳でした。
いろいろとお考えになったのでしょう。

僕も可能な限り仕事を早く辞めて、年金で細々と暮らしながら、貯めた貯金で「国内」を妻と一緒に色々なところへ旅行に行きたいものです。
引退こそ、我が夢なり。

「2位じゃダメなんですか?」2010年10月12日 21時30分44秒

ノーベル化学賞に輝いた鈴木章・北海道大名誉教授が、「2位など論外!」と発言しているようです。
これはもちろん、民主党の事業仕分けのレンホウさんの有名な台詞に対して自分の考え方をアピールしている訳です。

ノーベル賞を受賞した学者に相応しい尊大・傲岸な意見です。

問題はそんなことにあるのではありません。
この世の中には、喰うや喰わずの生活をしている人間がたくさんいる一方で、莫大な研究費の無駄遣いがあります。

僕が経験した大学での生活でも、「純粋に役に立つ」という観点からすれば、巨額のむだ金があった言わねばなりません。
この意見は僕だけの意見ではなく、名前は出せませんが、一つの研究機関や医学部を代表するような「大物」の先生も、僕と同じ意見を持っています。

さらに悪いことに、大学の医者は研究費を獲得しなければなりません。
研究をしないと、大学の中で生き延びることができないからです。
そうすると、研究が目的になり、研究資金を獲得することがさらにその目的になります。
そこで達成される研究は、ほとんど患者のためには役に立たず、研究者の出世にしか役立ちません。

こうなると医者はますます忙しくなり、医療崩壊などと言われます。
研究費は無駄。
医者は忙しい。

こういうことがおかしいと、ほとんどの大学の医者は考えていますが、一向に改善できません。
なぜでしょうか?

それは、研究費をたくさん獲得した人間の発言力が高まり、研究をやる人間が偉い!と、つまり自慢をして誰も止められないからです。

もう一つ言っておきますが、千葉大医学部は、1位を目指していません。
「オンリー・ワン」を目指すとはっきり明言しています。
1位狙いはやめたということです。

従って、ノーベル賞を受賞した鈴木章先生に言わせると、ダメな大学ということでしょう。

医者なんて、インパクトファクターが何点あったって、患者には何の関係もありません。
患者の心を分かることができて、患者の病気を治せるのが名医です。
自明ですね。