ノンフィクションをどう書くか2026年05月10日 16時21分33秒

ノンフィクションをどう書くか
残念なノンフィクションは最初の1ページですぐにわかる。
ノンフィクションで最も大事なのは「人称」である。
「人称」が揺らぐと、そのノンフィクションはクオリティーが落ちる。
一人称で書くノンフィクションは、ルポルタージュ(報告文学)とも言われる。
私が(そこへ)行った。私が(そこで)見た。私が(そこで)感じた。私が(そこで)聞いた、語った。
では、そこにいた太郎はどう思ったのか?
それはインタビューで表現すればいい。
Q & A を使うのである。
この一人称形式はノンフィクションとして最も嘘がない。
ただし、やや物語性に欠けるため、作品によってはやや面白みに欠ける。

物語性を出すためには三人称で書くことである。
私が、太郎からインタビューで膨大な量の話を聞き出す。それをそのまま文にしないで、太郎から見た世界を再現するのである。
「太郎はその光景を見て、心から感動した」というふうに語るのである。

では、太郎の他にも二郎が物語に登場するとしたら? それはもう神の視点を使うしかない。
「太郎は立ちすくんでじっと考えていた。同じ頃、はるか遠くで二郎はさっそく行動を起こしていた」、、、こんな感じ。
こうなると、かなり物語性が強く、ノンフィクションとしての正確性・取材の忠実性が怪しくなることがある。
たとえば、「2020年の冬、新宿の繁華街はいつになくひっそりしていた」と書いた場合、これは誰がそう断じているのだろうか。
この言ってみればナレーションみたいな文章は、完全に神の視点である。
一人称で書くなら、こうなる。
「2020年の冬、私は新宿の繁華街に行った。人が少ない。いつもはこんなふうではない。例年はもっと路上に人が溢れている」

神の視点で書くことを完全には否定しないが、ドラマのナーレーションみたいに状況を説明するのに使うことはノンフィクションではやめた方がいい。
自分で取材して(見て、聞いて、考えて)、その結果を表現するなら、生のデータを出すべきである。
特に、一人称と神の視点が混ざるノンフィクションは非常に読みにくいし、面白さを削がれる。

ノンフィクションは「フィクションではない」ことが定義なのだから、表現内容が事実であることを読書に証明しなければならない。
ナレーションが入り、神の視点が強くなると、「本当に直に取材したのか?」と疑問が生まれる。
こういう書き方はどうかと思う。
ぼくは別の道でノンフィクションを書く。

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