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障害のある人の親がものを言うということーー医療と福祉・コロナ禍・親亡き後(児玉真美)2024年12月29日 21時48分47秒

障害のある人の親がものを言うということーー医療と福祉・コロナ禍・親亡き後
障害児(者)の親は、医療・専門職に対して、ものを言えない、あるいは、ものを言うことが困難であることを説明した本です。
なぜでしょうか?
理由は複合的でかんたんにはなかなか説明できません。

まず、個人の問題。医者の中には人の痛みがまったく分からない人がいます。
そういう医者は世代的にぼくより、20〜30歳くらい上に多いと感じています。
親が何か言ってくると、「うるさい親だ」と非常に冷淡な態度をとります。
医者に向いていない人が医者になってしまったために、こういうことが起こるのでしょう。
今の若い医者には、こういう人はかなり少ない印象があります。

医療自体に構造的な問題もあるでしょう。
パターナリズムですね。
自分は医者=何でも知っている。
あなたは患者家族=何もわかっていない。
こういう構造があります。でも、これは100%間違っているわけではありません。
やはり、医者は専門家で、長い間経験を積んでいます。
がん患者などが、民間療法に走って大金を失い、命も失ったりするのも、患者(家族)が、わかっていないという部分があるからです。
しかし障害を生きるということは、当初は、障害児(者)は、医療の中にいますが、しだいに生活の中にいるようになり、医療はそのうちの一部に過ぎなくなります。
そうすると、今度は患者(家族)の方が、医者よりプロになるのです。

ぼくが『呼吸器の子』で書いたご家族は、福祉サービスについて医者よりはるかに詳しく知っています。
ですから、患者会というのがあって、新人の家族はここから情報を得るわけです。
こういうとき、医者は頼りになりません。
ですが、そういう事実に目を瞑る医者がいることも事実で、医療のシステムは基本的に、医者が患者に与えるものという形になっています。

あとは、やっぱり日本の文化でしょう。
封建的な、あるいは儒教的な。こうしたタテの関係が日本では美徳とされますから、弱い人が強い人に何かもの申すと、それは生意気だとか、礼儀知らずとか、反発を買うわけです。

ぼくは医者としてそれほど立派な人間ではないので、正直に言ってパターナリズムの部分があります。
大学病院にいた時もそうだし、現在クリニックで診療をしていてもそうです。
患者家族の言葉に耳を傾けるけど、それを否定することもあります。
こうした医師ー患者(家族)のコミュニケーションのあり方は本当に難しいと思います。

この本を読んで思い出したのは、千葉のがんの子どもの親の会です。
ぼくを含め何人かの医師がこの会の立ち上げに関わりました。
もっとはっきり言うと、医師主導で親の会を作りました。
そして、親の会は自分たちでどんどん勉強を重ねて、目指す次元が医師の先に行ってしまいました。
当初ぼくらは、その考え方についていけなかったのですが、あとになって親たちの考え方の方が正しいと気づきました。

ですから、医者なんて医療・医学の中でしかものを考えられないし、自分の知識や経験の外に飛び出していくことが非常に下手なんです。
そういうちっぽけな世界に自分は生きているということを医者はよく自覚した方がいいと思います。

今回も児玉さんの本で勉強させていただきました。
ぼくもまだまだ勉強中といった感じです。