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笑い神 M-1、その純情と狂気(中村 計)2022年12月25日 16時22分14秒

笑い神 M-1、その純情と狂気(中村 計)
お笑い好きにはたまらないM1グランプリを中心に、80人以上の芸人さんにインタビューして出来上がった大作です。
うちの家族もお笑いが大好きで、年末になるとみんな揃ってテレビの前に座ります。
M1 の何がおもしろいのか?
それは1000万円という賞金ではないでしょうか?
以前は中堅クラスの芸人さんたちがチャンピオンになっていましたが、最近ではあまり名前の知られていない芸人さんが王者になります。
まさに現代のジャパニーズ・ドリームと言えるでしょう。
勝者は一夜にしてスターになります。

それゆえ、M1の王者になることは容易ではありません。5か月に及ぶ予選を勝ち抜き、本番でウケを取ることと、プロの審査員の納得を得ることが必要になります。
それは実力の世界であり、はっきり言って運の世界でもあると思います。
現在では7000組以上のコンビがこのM1に挑戦してくると言われています。
これはもう、お笑いの世界というより、死闘の世界でしょう。
そんな壮絶な世界を本書は分厚い取材で深く描いていました。
ヘビー級の面白さでした。

ただ、あえて余分な感想を挟むと、この本は、全体の構成をどう作るかちょっと迷ったのではないでしょうか。
初期のM1とは、笑い飯の挑戦の歴史でもありました。
この本を読むと、笑い飯という2人の生き方がよく分かります。
それはもちろんたいへん楽しく読めるのですが、本が描くフォーカスがM1なのか、笑い飯なのか、、、あるいはさまざまなお笑い芸人の群像なのか、そこの絞り込みがちょっと散らかっている印象でした。

週刊誌連載を基にしていますので、それらを全部盛り込んだのだと思いますが、実は、笑い飯の評伝として1冊書いた方がノンフィクションのクオリティーは高かったのではないかと考えたりします。
ま、いずれにしても笑い飯の魅力に引き込まれ、読後にYouTubeで笑い飯の漫才を観てしまいました。

ダウンタウンを超える存在になりたかった笑い飯は、結局そうはなれませんでした。関東では、彼らをテレビで観ることはまずありません。
それはなぜなのか。
最後にはそういう記述もありますが、ここをもっと膨らませてもよかったと思います。こんなに笑わせてくれる漫才はちょっとないのに。

いろいろな読後感が生まれると思います。
ぜひ、読んでみてください。おススメします。

母という呪縛 娘という牢獄(齊藤 彩)2022年12月27日 21時50分22秒

母という呪縛 娘という牢獄
引き込まれて一晩で読んでしまいました。
母は我が娘に幼少の頃からスパルタ教育をします。それはもう教育虐待と言ってもいいでしょう。
本人の能力を超えた(あるいは不向きだった)医学部受験を強要します。
暴言・暴力を振るい、娘の人生をメチャメチャにします。
医学部入学は叶わず9浪を経験し、結果、看護学部に入学します。
しかし母はそれでも納得できず、次には助産師学校に進むことを強要し、耐えきれなくなった娘は母を殺します。

この理不尽な人生、母子関係をどう考えればいいのでしょうか?
母親の話を聞いてみたいものですが、殺されてしまったので、それも叶いません。虚しいとしか言いようがありません。

この事件は特殊な家族内殺人なのでしょうか? それとも普遍的な真理が隠れているのでしょうか?
それはなかなか難しいところだと思います。
単に母親が「狂っていた」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、そうでもないようにも思えます。
家族って何だろう。
親子って何だろう。
人生を生きる幸せって何だろうかと考えさせられました。

深い内容の1冊です。おススメします。

学びは「多様」の中にある2022年12月29日 08時07分31秒

世の中って多様だなと意識したのは小学生の頃です。いや、正確に言うと世間から多様性が消えて初めて気づいたと言えるでしょう。
昭和40年代の東京下町では、塾や習い事に行く子どもなどはいなくて、学校が終われば近所の子どもたちが10数名集まって、完全に日が暮れるまで遊んだものです。
「缶蹴り」とか「馬跳び」とか。

この遊び仲間にYちゃんという子がいました。
年齢はぼくより3−4歳上。
軽度の難聴があった。
そして発語が不明瞭だった。
難聴があればうまく喋れないと、当時のぼくにも理解できましたが、Yちゃんの場合は、その点を際し引いても若干、知的障害があったようにぼくには見えました。
けれどもYちゃんはぼくらにとっては仲間であり、決していじめられたり、さげすまれたりすることはありませんでした。

学校にはH君がいました。
いつもニコニコして、すこし天然パーマで。
彼は明らかに軽度の知的障害でした。
級友から、時にからかわれることもありましたが、そういう時は彼は反撃しますので、最終的にはいじめられるところまではいかず、ある種の人気があって、いつも人の輪に中にいました。

いつしか、「路地裏」とか「地域コミュニティー」とかは消え、障害児はどこにも見当たらなくなってしまいました。
1979年は養護学校が義務化された年ですが、この年にぼくは、今でも忘れられない強烈なNHKドラマを見ています。
城山三郎原作の「素直な戦士たち」という作品です。
東大合格を悲願とした小学生の強烈な受験戦争がテーマでした。

こうした受験戦争は、同じ年に「共通一次試験」という形で具現化します。
全国100数十万人の子どもたちが、一つの尺度で評価されるようになった訳ですね。
その後、マイナーチェンジはあったものの、日本人は「単一」であることを好み、「多様性」を大事にしない道を歩んでいます。

日本は「単一民族国家」と発言して大臣を辞めた政治家も以前にいました。
もちろん、北海道や東北地方にはアイヌ民族が存在します。
沖縄の人たちにも特有な文化があります。
在日朝鮮韓国人は約40万人いますが、これは、日本がかつて朝鮮半島を植民地支配したための結果であり、戦後70年が経った今、彼ら彼女らに帰る国はなく、日本が故郷ということになります。

障害をもっている人。そうでない人。
民族が同じ人。そうでない人。
学歴が高い人。そうでない人。
人間性が豊かな人。そうでない人。
多様な社会でしか、私たちは何かを学ぶということはできません。
日本人1億人が全部同じ人間だったら、日本民族は何も学ぶことができず、民族として衰退し、滅亡してしまうでしょう。
だから「多様である」ことは尊いし、美しいと思います。
「異なっていることこそ正常」(ヴァイツゼッカー大統領の言葉)なのです。

虚ろな革命家たち ──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって(佐賀 旭)2022年12月29日 22時00分45秒

虚ろな革命家たち ──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって(佐賀 旭)
開高健ノンフィクション賞受賞作品です。
森恒夫とは、連合赤軍事件のリーダーです。彼は裁判の前に留置所で自殺してしまいましたので、彼が何を考え、事件はなぜ起きたのか、未解明の部分があります。
本書は、その森恒夫の足跡を辿り、生前の彼の姿や考え方に近づこうと意図した作品です。

結局この本で何が明らかになったのかというと、それは大変難しい問題で、はっきりした結論があるわけではありません。
森恒夫の実像がクリアになったかという点も曖昧です。
ちょっと難しい取材だったかもしれませんね。

一番面白かったのは、中核派へのインタビューだったというのは、ちょっと皮肉な感じです。
革マル派にもインタビューしてほしかったです。
1970年代の若者たちが、暴力革命に走った理由は何か。それに対する考察もありますが、もっと掘り下げてもよかったと思います。
著者は1992年生まれで、開高健ノンフィクション賞の最年少の受賞者なんだそうです。
ずいぶんと文章がしっかりとしているなという印象を受けました。
興味のある方は、ぜひどうぞ。

ボーダー 移民と難民(佐々 涼子)2022年12月31日 16時05分43秒

ボーダー 移民と難民
日本には基本的に移民はいません。しかし技能実習生という形で3年間の「移民」を受け入れています。
受け入れているというか、来てもらわないことには、基盤産業が成り立ちません。
問題は将来にわたって技能実習生が来てくれるかという点で、経済成長がまったくできない日本は、東南アジアの人々からは魅力を失っている現実があります。
こういった人たちが来てくれないと、日本の産業は足元から崩れてしまうかもしれません。大変大きな問題です。

難民の問題はもっと大きくて、日本くらい非人道的国家は先進国の中ではちょっとないでしょう。
日本人には、いわゆる「非白人」に対する強烈な差別意識があり、そうした人権感覚が難問問題にもろに出ています。
ウシュマさんも死亡事故はあまりもひどかったので、世論を少し動かしたと思います。
ぼくもこの事件に関して知人の新聞記者にいくつか相談されましたが(詳しくは書けない)、虐待死のようなことが入管の中で起きていたと思います。

本書は、そういった今の日本にとって大切なテーマを扱っています。
他人事ではなく、自分の問題として本書を読んでみてください。

生きることの意味2022年12月31日 22時53分08秒

生きることの意味
人はなんのために生きるのか? 
それは、より善く生きるために生きるのではないでしょうか。
ぼくは人として欠点の多い人間で、他人を赦す能力に乏しかったり、最も親しい人に愛情をうまく伝えられなかったり、(大学時代ですが)後輩に対して思いやりのある言葉を発せられなかったりしました。

しかしどこか善の部分もあります。
患者に対してひたすら真面目に精一杯治療を行ってきた35年間に偽りはなく、責任感とか使命感は揺るがずに持っていました。
つまり自分の心の中には、善の部分と、そうでない部分が混ざっています。
より善く生きるとは、善の部分を膨らませ、育て上げて、自己実現をはかっていくことでしょう。

開業医という仕事は、なかなか自分を成長させられません。
大学時代の貯金を切り崩して診療を行っているようなものです。
ぼくが開業医になって本当に勉強した分野は「喘息」と「発達障害」だけかもしれません。
ただ、たとえ風邪を診るだけでも、家族からすればありがたいことかもしれないので、医療という労働によって、ぼくはわずかでも日々自己実現している可能性があります。

本を書くことになったのは、今から14年前で、これまでに14冊の本を作りました。
それぞれの本に思い入れがあり、書くたびに学びがありました。
特に障害児医療をめぐる医師の使命と倫理については、本を書くことで初めて目が開かれるような思いをしました。
執筆を通じて、自分がより善く生きることができるようになったのは間違いなく、この活動はこれからも続けていきたいと思っています。

「売れる本」を書くつもりはありません。書けないし。「善き本」を書きたい。
そうして自分の中の善の部分を拡大し、生きる意味を再確認したいと思っています。
若い頃のエネルギーはもうないけれど、残りの人生の中で今日が一番若い日です。
挑戦をやめることはしません。