11月30日の朝日新聞「耕論 知る 出生前診断」を読みました。
三人の方がそれぞれの立場で出生前診断について意見を述べていましたが、いずれも母親の知る権利に意見が偏っていました。
確かにいまの時代、胎児の状態について母親には知る権利があることは間違いないでしょう。
したがって検査を受ける権利もあるでしょう。しかし出生前検査はそれほど単純なものではありません。
意外に知られていませんが、障害を理由に胎児を中絶することは現在の法律で禁じられています。
障害者の人権がこうした形での中絶によって脅かされるからです。
1974年に障害児を中絶する胎児条項は国会での議論を経て廃案になっています。
また、胎児の生きる権利をどう考えたらいいのでしょうか。
2015年のNHKの世論調査によれば、いのちの始まりは、胎児あるいはそれ以前と考える人が91%にも達しています。
安易な中絶はないという意見もありますが、いのちの始まりを葬ることには道徳的な問題をともなうと言わなければなりません。
障害胎児を中絶すことはやはり優生思想の一つの形ではないでしょうか? 個人がどう考えようと個人の自由という意見もあります。
しかし、個人の考えは、必ず社会の考えとなって広がり、やがて定着します。
知る権利という観点を強調しすぎる出生前診断の議論には危うさがあるようにぼくには感じられます。
ある一面から出生前診断を論じるのであれば、違った角度から論じる意見も紙面に出して欲しかったです。
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