『女帝 小池百合子』で大宅賞をとった石井妙子さんの最新作です。こんな短期間に次作が登場し、それがユージン・スミスとアイリーンの評伝とは意外でした。
で、読んでみて・・・しびれました。これは一級品のノンフィクションです。
一番いいところは、石井さんの文章です。実にうまい。
そして詩情に溢れている。
倒置法や体言止めが多用されているのですが、それがことごとくうまくいっています。
(普通は、こういう表現をすると文章に品格がなくなる)
本書はアイリーンの家系から話が始まります。評伝ではよくあるパターンですが、たいていの場合、この部分は退屈です。
しかし本書は違う。読ませる力があるのです。
そしてユージンの生い立ち。彼は、酒、ドラッグ、女に絡め取られたダメな人間に見えます。しかし後の章で、彼が水俣に行くと、水俣の民衆に受け入れられることが描かれます。
ユージンは、仕事で一番重要なのは Integrity (清廉潔白)と言っていますが、彼は仕事に対して、そして被写体に対してとても誠実な人だったのだと思います。
本の中盤は、水俣病と民衆を描いたページが延々と続きます。
この悲惨さ。この非情さ。そして、この不条理。
水俣病患者が会社チッソに対して株主総会や団交で徹底的に闘う場面は鳥肌が立つような迫力です。
石井さんの筆も冴えに冴えます。
しかし、では、ユージンとアイリーンの水俣を描くページは残っているのかと不安が擡げますが、それは杞憂でした。
ユージンは社会運動家ではありません(アイリーンは、運動家を志していた)。真摯にいい写真を撮ろうとする。だから、中盤と終盤では本の旋律ががらりと変わり、ある意味で、異なる本を読んでいるような感覚になります。
しかしながら、最終的にこの本が一つの作品として完成しているのは、アイリーンへの取材が深いからです。
長期間、話を聞いたと後書きに書かれていましたが、「長い」のではなく、「深い」のです。
長く聞くことは誰にもできます。
しかしここまで深く聞くことができるのは、石井さんならではでしょう。
封印された「入浴する智子と母」の写真の話も最後に出てきます。
両親がこの写真を封印した理由は、写真展でポスターやチラシに智子の写真が使われ、それが大量消費(雨に濡れ、人に踏まれた)されたからだという説があります。
第19回小学館ノンフィクション賞をとった山口由美さんの本にもそう書いてあったと記憶しています。
しかしこれは、石井さんの取材によれば都市伝説みたいなもので、事実はそうではないようです。
水俣病に冒された少女の裸体を、家族が正視するのがだんだん辛くなってきたというのが真実のようです。また、「被写体になったことで、どれだけ儲けたんだ」と心ないことを言われたことも辛かったそうです。
ではなぜアイリーンは映画『MINAMATA』で、その封印を解いたのか?
その理由に関して、アイリーンは明確な答えを持っていないようにも見えます。アイリーンは今後さらに思索を深めるのではないでしょうか。
2人が水俣に行ったとき、アイリーンはまだハタチそこそこでした。一方のユージンはすでに著名な大写真家でした。
そのアンバランス。
この本は、アイリーンの青春記、そして成長記としても読むことができます。
2人の水俣が終わり、ユージンが人生を閉じる場面では、思わず胸が熱くなります。
現在の政治は、自民党の岸田さんも立憲民主党の枝野さんも、高度成長期の総中流時代を、一種理想のように見ていますが、あの時代は、水俣病を初めてとして公害の時代だったことを忘れてはいけません。
現在の感覚ではとても信じ難いことだし、とても社会的に許されないことですが、海への工場排水によって水銀中毒で塗炭の苦しみを味わった人たちが何千人といたことを、私たちは忘れてはいけないと思います。
経済成長には必ず影がつきまとうことを、資本主義社会の根に巣食う害毒として認識する必要があります。
しかし、石井さんのノンフィクションは、見事としか言いようがありません。
ぜひ、読んでみてください。おススメです。
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