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m3.com その22021年04月04日 11時38分14秒

m3.comの2回目のインタビュー記事が掲載されています。大学病院での過重労働や、ぼくが大学病院を辞めた理由、開業医の難しなどについて語っています。以下のURLから読めますが、会員登録していない人のために、その下に書き下します。
https://www.m3.com/news/iryoishin/893912
――研修医時代の話は、昔のことと断った上で、結構過酷な勤務体験をつづられています。今の時代では考えにくいことも経験したと思いますが、先生自身は、そうした体験が医師としての成長につながったと考えていますか。
 それはものすごく成長につながりました。やっぱり患者を診るということを、もう骨の髄までたたき込まれたというか、徹底的に患者さんの具合が良くなるまで本当エンドレスに診続けることで、自分の医師としての技能は上がりました。今同じ事をやらせたら、ブラックになっちゃいますが。
 ある大学の教授の先生からは、今の若い人がそういう部分を読んでどう感じるのだろうかと感想を言われました。僕もそう思います。ちょっと理解できない部分もあると思いますね。
――一方で、若い医師を育てるというのは同じで、今の働き方改革などの風潮をどのように感じていますか。
 これは、どちらがいいと論じても仕方がないので、昔の方が良かったとか今の方がいいとか比較すること自体、意味がないことだと思っています。今は研修医の先生は9時から17時までの勤務と決まっているのであれば、その範囲の中で一人前の医師を育てるしかありません。だから今、各大学の教授たちは、そういう限られた時間の中で若者たちをどうやって一人前にするか、一生懸命に考えているのではないでしょうか。
 365日働けって言ったら、それはもうブラック企業でありパワハラですから、それはできないわけです。僕は教育者ではないので、こうすべきだという答えは持ち合わせていないのですが、もうその決まった形の中でいい医師を育てるしかないでしょう。
――ワークライフバランスが重んじられる今の時代に医療を学んでいる医学生や研修医の方へ伝えたいことはありますか。
 医師の基本は何かというと、患者を診ることなんです。とにかく患者を診る。自分の目を使って見て、耳を使って患者さんが言っていることに耳を傾けて、口を使っていっぱい語り掛けてコミュニケーションを取るということです。
 9時から17時であっても、看護師さんから何号室の患者さんが今こういう状態ですと言われたら、必ず足を運んで診に行く。ベッドサイドに行って必ず患者さんを診て、痛いって言っていたら必ずその場所を触れることです。看護の「看」っていう字は手に目と書きますよね。手で看るってよく言いますけど、医療も同じで手で看ること。頭が痛かったら頭を触ってあげるし、腹が痛かったら腹を触ってあげる。とにかくコミュニケーションと患者さんに触れてみるということ。絶対に患者さんを診ることを疎かにしてはいけません。
 それは1年目であっても、教授みたいな偉い先生になっても同じで、教授になったからといって「俺は偉いんだ」と教授室から出てこない医師はもう駄目です。患者さんから要請があったら、必ずベッドサイドに足を運んで患者を診る。それが基本です。それは絶対に譲れないことです。
――2006年にクリニックを開業した経緯を教えてください。
 18年前に大きな病気をしてしまったんです。解離性脳動脈瘤で、血圧が上がるとくも膜下出血を起こすリスクがあるので、千葉大学の脳外科の教授から「もう夜中とか土日の仕事は全部やめてなさい」と言われて、これは大学でやっていくのは無理だなと。ちょっとかっこ悪いんですけど、そういう理由で開業医になりました。
――大学勤務医と開業医では環境が大きく変わりますね。
 大学の医局というのは、基本的には少人数の集団が一つの価値観に基づいて行動するので、結構危険な側面もあります。患者を治すという1点のみの価値観においては有効な組織だと思いますが、一人一人の個性や多様性、伸びしろ、そういうものを発展させていく上では妨げになることがあります。
 僕は開業医になって、本も書くようになって、いろんな人と出会って、人間としての幅が広がったと思います。
 大学で勤務している若い先生たちにはぜひ、医局の外には膨大な世界が広がっていて、いろんな人がいて、いろんな考えがあるんだということを知っておいてほしいです。
――医師としての働き方も随分変わったのでは。
 大学にいたときは、僕は小児がんが専門だったので、千葉県の小児がん患者は全部診ていたし、それこそ全国からセカンドオピニオンで患者さんが僕のところ来ていました。幼い患者さんの親は、もう本当にみんな必死で、何とか子どもの命を助けたいと思っていて、必死になって僕のところに来ていました。
 ところが、開業してみると、必死な人はあんまりおらず、「乾燥肌なので保湿剤ください」みたいな感じで来る人も、いくらでもいます。重い患者さんは基本的に大きな病院に入院させますし。そのギャップの大きさは、開業して15年目ですけど、いまだに慣れないかな。
――開業にあたって、小児外科だけではなくて小児科を標ぼうされたんですね。
 そうです。純粋な小児外科の疾患はとても少ないので、小児外科だけ看板に出したら、多分誰も来ないです(笑)。
――今はそれこそ皮膚疾患みたいなものから、風邪など感冒系も。
 何でも診ますよ。
――ギャップの大きさになかなか慣れないというのは、大学病院時代に懐かしさを感じるということですか。
 大学にいたときは、ある意味小児がんっていう一つの疾患を、研究もしていたし臨床もやっていたし、僕なりに小児がんという病気を、もう極限まで追究していたわけです。海外の論文も全て読むし、診療が終われば研究棟に行って実験をし、常に病棟には小児がんの子が何人もいるという状況で。小児がんに対する知識や経験、手術の技術は、本当に日本の中で誰にも負けないくらいのものを持っていたと思います。だけど、開業してみると、そういう専門性って全然求められませんので。2006年に開業して今に至るまでって、小児がんの子は2人しか診たことないんです。そういう専門性を発揮できないのは、大きなギャップです。
――逆に開業して学んだことはありませんか。
 それはいっぱいあります。小児科の開業医は15歳以下であれば、ありとあらゆる子どもの病気の悩みに応えなくてはいけないという使命があって、それはそれでたくさん勉強しなくてはいけません。大学にいたときの狭い範囲を深くというのとは、逆に広く浅くになります。
 特に新たに学んだのが発達障害です。本も2冊書きましたけど、こんなに多いとは思いませんでした。2006年頃はそんなにいなかったのですが、今は本当に多いんです。
 僕自身も勉強することによって、発達の遅れがないかなと精密に診るようになっているので、見つけられるようになっている部分もあるかもしれないけど、親御さんから「うちの子、発達が心配なんです」って言われることも多いので、増えているのかなと感じています。
――発達障害という言葉とか認識が広がっているというのもあるのでしょうか。
 それもあるでしょうね。発達障害とか自閉症スペクトラムとかADHDとか、今の親御さんは結構知っています。
――開業医ならではのやりがいは。
 コロナ禍の前は1年間に延べ1万7000人の患者さんが来ていました。その中には単に自宅から近いという理由で来ている患者さんもいますが、僕のことをいいお医者さんと思って、信用・信頼して来てくれる患者さんもいます。信頼して来てくれる患者さんに出会うとやっぱりうれしいし、何とかその期待に応えたいと思います。

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